2001年 1月 1日(月)「しんぶん赤旗」

新春対談

歴史の本流がさらに花開く世紀に

日本共産党委員長 志位和夫さん

ジャーナリスト 大谷昭宏さん


 しい かずお 1954年千葉県生まれ、73年日本共産党に入党。東大工学部卒、80年日本共産党東京都委員会に勤務。その後中央委員会勤務、書記局員などをへて90年の第19回党大会で書記局長に選出される。93年総選挙で衆院議員に初当選、現在3期目。2000年11月の第22回党大会で幹部会委員長に選ばれる。主な著書に『民主日本への提案―歴史をふまえ未来を展望する』『“自共対決”―志位和夫国会論戦集』『科学・人生・生きがい―先達たちの業績に学ぶ』など。  おおたに あきひろ 1945年東京生まれ。早稲田大政経学部卒、68年読売新聞大阪本社入社。徳島支局をへて大阪本社社会部で、大阪府警を担当。80年から7年間にわたり朝刊社会面コラム「窓」欄を担当する。87年読売新聞社を退社し、故・黒田清氏とともに黒田ジャーナルを設立、テレビでのコメンテーターとしてもおなじみの顔に。2000年黒田氏没後、個人事務所を設け、新たなジャーナリズム活動を展開。黒田氏との共著で新刊の『権力犯罪』のほか、主な著書に『日本警察の正体』、『新聞記者が危ない』など多数。

大谷氏
17歳で夢がもてない社会──
若い人にアピールする党になって

志位氏
新しい日本の担い手は
何といっても若い人たちですから

 

新世紀にのりだすしっかりした土台づくりができた大会

 大谷 あけましておめでとうございます。

 志位 あけましておめでとうございます。

 大谷 さっそくですが、昨年は第二十二回党大会で相当マスコミにも取り上げられ、「共産党は変わった」というイメージが強いんですけれども、振り返ってみていかがですか。大会の記録を読みますと、若い方の熱気がすごかったということが結語ででてくるんですけれども…。

 志位 若者の発言がはつらつと輝いていたことをはじめ、新しい前進への息吹がみなぎった大会になりました。今度の大会は、二十一世紀にむけた政治方針、党の組織方針、その基礎になる規約改定、そして新しい指導体制をきめ、新世紀にのりだすしっかりとした土台づくりができた大会になったと思います。

 大谷 今度の党大会は例の加藤(紘一・元自民党幹事長)さんの問題ですね、「加藤の乱」とかいわれていますけれど、それのさなかだったんで、かなりしんどかったんじゃないですか。(笑い

 志位 ちょうど最初の日が、内閣不信任案を野党が共同提出する日にぶつかって、午後一時から大会が始まったのですが、私は自分の報告が終わったらすぐに国会に急行する、不破さんも報告が終わったら追いかけて急行するということで、夜の本会議に出て、本会議もだいぶもめた本会議でしたから、大会会場の熱海に帰ってきたのが次の日の朝の六時で、一睡もしないで二日目だったんです。

 結局、加藤・山崎両派の腰砕けで終わったのですが、あの騒動を通じて、自民党という党が、国民がどう批判しようとも、自分で自分を変える力をもっていない党だということが、天下にさらされてしまった。

 大谷 もう動きがとれなくなっているということの証左だったという気がするんですね。

 志位 主流派は数を背景にした脅しだけ。反主流派は反旗は翻しても、どう政治を変えるかの中身がないし、変えるだけの根性もなかったということですね。

 大谷 するとこの党大会は、志位さんと不破さんは若い人に負けず体力勝負で走り回ったんですな。(笑い

 志位 二日目の冒頭に、私が国会のてんまつについて短い報告をしたんですが、しゃべりだしてみたら声ががらがらでね(笑い)。かなり体力勝負でしたが、しかしかえっていい大会になった。自民党が“世紀末”的な滅びゆく姿をさらけ出し、私たちは二十一世紀の展望を大きな視野で内政、外交ともに明らかにできた大会になったという意味では、いい引き立て役になってくれた(笑い)というのが、実感なんです。

憲法と自衛隊──原則をつらぬいているから思い切った柔軟な対応もできる

 大谷 両方の色が鮮明に出たということですね。ところで、従来の共産党から大きく変わっていいのか、悪いのかという戸惑いが、とくに古い党員の方にはあると思うんですね。志位さんは、柔軟頑固路線とおっしゃってますが、原則を貫きつつ、変えていくというのは非常にむずかしいと思うんですね。どうお考えですか。

 志位 私たちは逆に、原則がしっかりしていれば、柔軟性も発揮できるという考えなんです。

 大谷 つまり、軸足がしっかりしていると。

 志位 軸足がしっかりしていれば、相当思いきったことをやっても、十分耐えうる、しなやかな弾力性が発揮できると。私たちは、柔軟性というものは、原則性と対立するものではなくて、むしろ統一できると考えています。

 大谷 なるほど、なるほど。

 志位 たとえば、今度の大会でずいぶん話題になった憲法と自衛隊の問題ですが、今度の大会では、憲法九条を文字どおり全面実施できる条件が二十一世紀のアジアにはうんと広がっているという認識の上に立って、自衛隊解消への筋道をつっこんで明らかにした方針を決めました。

 ただ、この仕事は一足飛びにできません。国民の合意が必要です。国民とともに、国民の合意をふまえて、憲法九条の完全実施にむけて、違憲の自衛隊の現実を一歩一歩改革していく。こんどの方針の一番の眼目はここにあります。

 こうした、自衛隊の段階的解消という方針をとる以上、一定の期間、自衛隊が存在することになります。その過渡的な期間に、「万が一」という急迫不正の主権侵害などが起こった場合に、自衛隊を使うのか使わないのかという問題が端的に問われてくる。私たちはそのときは、国民の生命と生活を守るために、可能なあらゆる手段を使う、必要ならその手段から自衛隊を排除することはしないという方針を決めました。

 そういうことが起こったときに、国民には抵抗を呼びかけて、自衛隊には「寝ててください」(笑い)というわけにいかないですよ。私たちは、日本への侵略などということは現実にはほとんど起こりえないと考えていますが、国民から質問が出される以上、きちんとした答えを出しておかないと、国民の安全に責任を負う党として、責任を果たせません。そういう立場から答えをだしたのが、例の「活用論」という問題なんです。

 大谷 なるほど。

 志位 これも、憲法九条の完全実施をめざすという原則をつらぬいているからこそ、そういう問題にも堂々と答えがだせる。九条をどうするかという点がふらふらしてたら(大谷「いえなくなる」)、筋道だった答えがだせなくなります。

自衛隊解消の国民的合意には、独立・平和の日本のもとでの国民の体験が力に

 大谷 われわれも九条を貫くという原則があるから、安心してこういう論議ができるんで、そこの軸足がぶれちゃったら、とてもじゃなくて、おっかなくてできない。ただ、じゃあ段階的解消というんであればいつ解消なんだ、どういう事態になれば解消なのかという問題が残ると思うんですね。それからもう一つの問題として、自衛隊は違憲であるといいながら、それを活用するということは矛盾するんじゃないか、国民の間にこれから残っていく疑問は、この二つだと思うんですね。

 志位 最初の点についていいますと、いつそれが実現するのかというのは、国民の大多数が「日本は自衛隊なしでももう十分に安心だ」という合意が成熟することをみきわめて、それにとりくむというのが今度の方針です。

 そこにいくためには、いくつかのステップがいるということで、三つのステップを今度の方針では出しているんです。

 第一の段階は、日米安保条約がまだある段階です。この段階でいちばん大事なのは、自衛隊の海外派兵をやめさせるということ、それから軍拡から軍縮に転じるということです。たとえば、今度やろうとしている、次期中期防では、“ヘリ空母”とか、空中給油機とか(大谷「かなり入れてますよね」)、海外派兵をねらった軍拡をすすめようとしている。海外派兵と軍拡にきびしく反対して、軍縮に転じるというのが当面の目標です。

 第二の段階は、安保をなくした段階ですが、ここでは米軍と自衛隊との関係をたちきることが大きな焦点となります。つまりいまの自衛隊というのは米軍の補助部隊という性格が強いわけです。

 大谷 ほんとに兵器を見てるとね、たとえば哨戒体制をみても……。

 志位 海上自衛隊はP3C(対潜哨戒機)を百機ももっていますね。あれは米軍に情報を垂れ流すためのものですね。それからたとえば護衛艦を五十五隻も持っているでしょう。空母がないのに護衛艦だけ持ってるというのはこれは変な話で(笑い)、アメリカの空母を守るために護衛艦があるんですね。日本を守るというより、アメリカを守る軍隊という色合いがきわめて濃い。

 大谷 兵器をみていくと明らかにそうですね。

 志位 その部分を断ち切ることで、いよいよ本格的な軍縮が可能になると思います。

 大谷 基地も撤去させる。そうすると攻められる危険性はきわめて遠のくわけですね。

 志位 安保がなくなることによって、米軍基地はなくなる。そうすると米軍が日本を拠点にして戦争行動をやることができなくなります。自衛隊も米軍といっしょに海外に出ていく危険がなくなります。安保をなくすことは、平和への大転換の舵(かじ)をきるという歴史的な事業になるでしょう。ただ、この段階でも、おそらく国民のなかで自衛隊をすぐ解消していいとはならないでしょう。

 大谷 阪神大震災みたいなこともあるしね。

 志位 私たちはやっぱり、国民の体験がいると思っているんですよ。つまり、安保をなくした日本が、こんどはほんとうの独立国として、中国とも、朝鮮半島の二つの国とも、東南アジアとも、ロシアとも、そしてアメリカとも、まわりの国ぐにと、道理にたった平和外交をおこない、しっかりした平和・友好の関係をつくる。そういう平和的な関係が安定し、国民が日本のまわりを見渡して、「自衛隊なしでも十分に安心だ」という合意が成熟するときがかならずくる。その合意をちゃんと見極めて、自衛隊解消の措置を取るというのが、私たちが第三段階といっているステップです。

 これは、どれくらい時間がかかるかといったら、いまから決めることはできないんですけれども、いま東アジアにおこっている巨大な平和の流れからすれば、かならず国民合意で自衛隊解消を実現する日はやってくる。それが、最初の質問へのお答えです。

矛盾を引き継ぎながら解消──白地のキャンバスに絵を描くようにはいかない

 大谷 もう一つの疑問は、自衛隊の人は怒るんじゃないかと思うんですよ。“おれをいらねぇといっといて、使うときは使うのか”と。(笑い

 志位 私たちは、自衛隊は憲法違反だという立場です。憲法違反の自衛隊を活用するのは矛盾じゃないかといわれれば、「たしかにそれは矛盾です」と答えるのが私たちの立場です。自衛隊の段階的解消ということは、一定期間自衛隊が存在しているということですから、それ自体が憲法との矛盾です。活用だけでなく、自衛隊への予算もふくめて、自衛隊にかかわるあらゆることが憲法との矛盾です。ただ、この矛盾というのは、私たちがつくった矛盾ではありません。

 大谷 なるほど。

 志位 つまり、自民党政治がつくった矛盾です。私たちが民主的な政権をつくったとしても、白地のキャンバスに自由に絵を描くように政治をはじめるわけにいかないわけですよ。つまり、自民党政治がつくった負の遺産も、すべて引き継いで、その相続もやって(笑い)、その負の遺産をひとつひとつなくしながら、いい日本をつくっていく。現実にはそういう苦労がどの分野でも必要になるでしょう。

 自衛隊も、憲法違反の存在という矛盾を引き継ぎながら、憲法九条の完全実施の方向でその矛盾を解消するために努力する。矛盾を引き継ぎながら解消する――これこそ憲法を大切にするもっとも現実的かつ責任ある立場ではないでしょうか。

日本が戦後、武力で外国人をだれ一人殺していないことは世界に自慢できること

 大谷 私はやっぱり、日本が一番、後世に誇れることは、戦後五十五年間で、武力で外国人をだれ一人殺してないことだと思うんですよ。これぐらい、世界に自慢できることはないと思うんですよね。

 志位 それはまったく同感です。世界の主要国の中でそういう国はないですよ。これは、憲法九条と、それを守る国民のたたかいの誇るべき成果です。

 大谷 やっぱり、革新勢力が、そこは絶対譲らないという姿勢を貫いてきたからですね。私が一九四五年生まれですから、とにかく私が生きてきた間、日本は一回も他国人を殺していない。これは、結構私の人生の誇れることじゃないか。

 志位 憲法九条は、戦後、自民党政治によって、ひどく粗末に扱われ、ぼろぼろにされてきたけれど、なお生きて日本の平和のためにかけがえない役割を果たしている。その重みを感じますね。

 私は、憲法九条をめぐって、いま日本の政治の流れの中で三つの流れがあると思うんですよ。第一の流れは、九条を明文的にも改変して、取り払ってしまおうという流れです。明文改憲の流れですね。自民党は明文改憲というのが党是ですよね。野党の一部にもこの流れはあります。国連軍に参加することを明記せよという流れもありますし。

 大谷 小沢(一郎・自由党党首)さんなんかそうですね。

 志位 集団的自衛権を明記せよという流れもあるし。これが第一の流れですね。

 第二の流れは、自衛隊合憲論、つまり解釈改憲の立場から抜けられないけれども、九条の明文改憲には反対するという流れです。

 大谷 なるほど。明文化はさせないけど、解釈の上では……。

 志位 解釈の上での合憲論から抜け出せないけど、明文改憲は反対だ。社民党の立場は、この流れになると思います。社民党は、村山政権時代に……。

 大谷 自衛隊合憲を言っちゃってますからね。そこから社民党の落ち目がはじまったわけですよね。

 志位 その問題を社民党が乗り越えるのか、乗り越えられないのかは、注目点ですね。

 第三の流れは、明文改憲も解釈改憲も許さないで、九条の完全実施にむけて現実を改革するという立場です。この立場にたつ党は日本共産党しかありません。ただ第二の流れと第三の流れは、憲法九条改悪反対では協力できると思っています。

 大谷 そうですね。

 志位 同時に、やっぱり、第三の流れである日本共産党が、国政でももっと大きな力に成長してこそ、九条という二十世紀にわが国がつくり、人類にとっての宝でもある原則を二十一世紀に生かせる道が開けると、私たちは考えています。

自民党政治をどう変えるのか──その中身の議論が大事

 大谷 さて、自民党政治の全体をどう変えるかという問題ですが、いわゆる「族議員」を含めて腐りきっている自民党の守旧派ですね、これを倒していくのは、もちろん選挙で引っくり返して野党政権ができればいいわけですけれども、そうではない段階でどうすればいいのかという問題です。

 志位 今度の参議院選挙で、自公保政治への徹底的な審判をくだすのはもちろん大事なんだけれど、問われるべき焦点は、自民党政治のどこをどう変えるのか、政治を変える中身だと思うのです。中身の議論なしに、ただ政権が交代しさえすれば、日本の政治はすべてよくなりますよということでは、国民の期待にそう結果は生まれない。というのは、前に「非自民」を看板にした細川連立政権というのがあったでしょう。自民党でなければなんでもいいと……。

 大谷 なんでもいいと。マスコミは、「非自民」と書いたわけですからね。

 志位 しかし、「非自民」政権がやったことは、自民党の基本政策を継承しますということを宣言して、金権腐敗まで継承して(笑い)、あっけなく崩壊した。ものすごい幻滅を国民に与えた結果で終わったわけですよね。やっぱり中身の議論抜きの政権交代というのは、日本の政治をよくしない。それどころか、あの政権によって小選挙区制というものが残ったわけです。その小選挙区制が民意をゆがめ、自民党政治を延命させる土台になっているわけですから(大谷「ええ」)。

 私たちは、こんどの大会で、憲法と安保の話だけではなく、経済の問題や教育の問題などでも、ありとあらゆる問題で、日本改革の中身をずいぶん(大谷「提示していましたね」)、ええ、つっこんで明らかにしましたので、この中身をおおいに語って選挙での前進を期したいと思っています。

 大谷 国民のなかには、むこうもわからずやだけれども、とにかく一回野党へ政権を持って来いという気持ちがある。なにしろ森政権は七五%が支持していない政権ですから。なにがなんでも、あのいまの政権にやらしておくよりはましだろうと。そういう気持ちにはどうこたえますか。

 志位 その気持ちは非常に強いと思います。ともかく自公保政治がつづくのだけは勘弁してくれ。退場してくれ(大谷「ええ」)。その点で、いま力を入れたい焦点は、やはり国会共闘ですね。国会での野党共闘では、この間、いろいろな奮闘をやり、成果もあげ、お互いに信頼も生まれた。ただまだ相手の暴走をストップさせる反対共闘が中心で、共通の政策を実現する共闘にまでは全体としてはいっていない。野党間でおおいに議論をしながら、国会共闘を前進させるというところが一番のポイントだと思っています。

 大谷 選挙ではどうですか。東京二十一区の川田(悦子)さんのとき、ぱっと共産党候補を降ろしましたよね。結果は勝った。ここらへんのたたかいの変化というのはこれから出していけるんですかね。

 志位 川田さんと同じような状況が生まれたら、同じような対応もありうるんですよ。ただ現状では、川田さんのようなケースというのは、かなり特別なケースなんです。

 大谷 野党間の選挙協力はどうですか。

 志位 選挙協力となると、共同の意志とともに、基本政策での合意が必要です。私たちと他の野党との間に、選挙協力の条件があるかといえば、そこまでいっていないですね。選挙協力となると、参院議員としますと任期が六年あります。そのあいだには山あり谷ありで、あらゆる問題で態度が問われますよね。そのときに安保の問題、経済政策の問題、憲法の問題、こういう問題で基本政策の合意がないと、なかなかこれはむずかしい。

 大谷 (任期は)六年間あるわけですからね。

 志位 もし他の党の候補を推すとなれば、私たちの支持者に責任を負わないとならないですから、責任を負えるだけの基本政策での合意がなければこれは難しいのです。国会での共闘を発展させながら、選挙では自公保の延命を許さないという共通の立場にたちながら、おおいに野党間でも前むきの論戦をして、おおいに競い合うということでのぞみたいと思っています。

極端な右傾化の流れ、戦争法──この危険をどうみるか

 大谷 野党が手を結べるか結べないかというときに、この閉塞(へいそく)感のなかで極端な右傾化の流れ、たとえば石原(慎太郎都知事)待望論というものがありますね。自民党の守旧派が崩れていく、自民党がボロを出していくなかで、革新を伸ばそうという動きの一方で石原さん的な極端な右傾化の部分――これは昭和のはじめに閉塞感があったと思うんですね。大正デモクラシーがだんだん消えていく、大不況がやってくる、そのときに一気に日中戦争に走ってしまったという歴史からしますと、二十一世紀は二つの要素をはらんでいると思うのですが、いかがですかね。

 志位 その危険性は否定できないと思います。つまり、自民党政治がゆきづまって、保守政治なりの統治能力も喪失する、根本から腐っていくという状況が一方にあるが、日本を民主的に改革をしていく、未来ある方向に変革していく新しい力がまだ未成熟だという状況が他方にあった場合、そのすき間に、そういう逆流が起こることはあり得る危険であって、軽視せずに正面から対峙(たいじ)することが必要だと思っています。

 ただ、あまりこれを過大評価しすぎて、二十一世紀はただ暗いんだという見方にはくみすることができません。いま石原さんがやっているような排他的なナショナリズム、国粋主義というものが、一部分である共鳴を得るということがあったとしても、それは発展性をもたない、未来をもたない流れですよ。

 大谷 ただ国民には耳にさわりがいいことというか、たとえば“北京空港はだれがつくったと思ってんだ。お礼の一言もないじゃないか”と、非常に刺激的に、非常にファシスト的なエンターテインメントを持っている人なんですね。あの人は。

 志位 ただ、じゃあ、石原さんのとなえるような、あからさまな侵略戦争美化論、他民族にたいするべっ視的立場を、現実に日本政府が採用したときに、アジアで通用するかといえば、まったく通用しませんよ。石原さんは、都知事になるときそういう公約を掲げて都知事になったわけではないのですから、都知事という地位を利用してそういう発言をすること自体が、許されないことですが、そういう石原さんのような立場を、公式に日本外交の立場にしてしまったら、だれからも相手にされない国になる。彼の作り話どおりの方向に日本を引っ張っていくということは、本当に現実感を欠いた話です。

 一番現実性のある危険は、戦争法を発動し、米軍と一体になって、対外的な干渉戦争にのりだすということですね。石原さんの議論は、極論をいうことで、そういう方向に日本をもっていく、雰囲気づくりの危険だと思います。

 大谷 なるほどね。そっちの方が危険性としてあり得ると……。

 志位 ある話です。一番現実性のある危険です。実際、そのための法律までつくったわけですから。ただ、つくったものの、東アジアで起こっている平和の流れからすれば、これもまた現実にあわないことも事実です。たたかいいかんで、戦争法を無用の廃物にする条件はおおいにあります。

「歴史の本流を促進する党」──“こいつは春から縁起がいい”

 大谷 ぼくは一九九九年というのは、ガイドライン(法)にはじまって、黒田清さんも一貫して戦争法だといいつづけたわけですけれど、そこへもってきて「日の丸・君が代」、それから盗聴法、住民基本台帳法ですね。この四つ並べると、力としては戦前の治安維持法くらいのことは平気でできちゃうんじゃないか、というくらい危険なものが一気に通ってしまった。石原さんみたいなファッショ的なものは別として、やはり、憲法を変えてしまう、いわゆる逆行していく流れが強まってきているんではないかという危険性を、すごく感じているんです。

 志位 そういう危機感はわかりますし、その危機感を共有しているからこそたたかっているわけですが、今度の大会の決議のなかでは、歴史における逆流と本流の見極めというのが大事だという強調をしたのです。その見極めをやるには百年の単位でみる必要があるという、かなりスケールの大きな論をのべたのです。

 よく二十世紀というのは、「戦争の世紀」といわれますね。たくさんの人が戦火で犠牲になった世紀だと。たしかにその側面からだけみたら、ペシミズム(悲観主義)の真っ黒で一色に塗りつぶすことは可能かもしれないけれど、しかしこの世紀が、人類が多大な犠牲を払いながらも、人類史でも空前の、巨大な世界史的進歩をとげた世紀だったことは、動かせない事実です。

 こんどの大会決議で、このことを冒頭に書きました。民主主義の発展、民族の独立、世界の平和秩序、資本主義への規制、社会主義という問題の五つの角度から、二十世紀に人類がなしとげたことのおおまかな総括をしました。

 大谷 二十世紀とはどんな時代だったかということを、明らかにした。

 志位 歴史の一断面だけみますと、逆流が猛威をふるって非常に強いようにみえることもあります。たとえばアメリカの覇権主義が無敵の力を誇っているようにみえる。あるいは経済でも規制緩和という流れが万能の力を持っているようにみえる。石原さんが羽振りがいいようにもみえる(笑い)。しかし、二十世紀という、百年というスケールでみた場合、何が歴史の本流で、何が逆流かははっきりしてきます。逆流は、一時的に力をもっているようにみえても、未来にはけっして力はもちえない。

 大谷 それが、「逆流が二十一世紀に未来をもちえないことが明らかである」という言葉に集約されているわけですね。これが本流になるはずはないと。

 志位 ジグザグはあるんですよ。歴史というのはたんたんとすすみませんから。逆流が一時的に本流をおおってしまうということはあり得ることです。いまの日本の状況をみると、ずいぶん暗いことが多いですから、悲観主義になったり、敗北的な気持ちになってしまうこともあるかもしれない、だけど、長いスケールで見た場合は、日本でも、世界でも、諸国民のたたかいは素晴らしいもので、二十世紀に、実に偉大な進歩の流れを記録したことは間違いのないことなんですよ。二十一世紀には、これがいっそう花開くことになることは疑いない。これが、私たちの歴史観なんです。

 大谷 そういわれると、われわれもほっとします(笑い)。「歴史の本流が、いよいよたしかな流れとなって、地球的規模に広がり、定着し、花開く」と。

 志位 そう思います、私たちは。

 大谷 しかも、そこに「その流れを促進する先頭に立って奮闘する」党と。こいつは春から縁起がいいやあと。(笑い

 志位 格調高いでしょう。(笑い

 大谷 そうです。ここの部分は格調高く歌い上げている、日本国憲法みたいなことで。

 志位 逆流による歴史の暗転というのは、国民にたいへんな痛みを伴うことですから、できるだけそういう道におちいることなく社会発展に力をつくす。そこに私たちの党の責任があると考えています。

深刻な「学力の危機」──すべての子どもに基礎・基本の学力を保障する学校を

 大谷 それから、今回の大会決議で、教育にふれていますね(志位「はい」)。実は私は、少年犯罪の取材にかかわることが多いんで、一貫していいつづけているのは、景気回復もいいだろう、構造改革も財政改革もいいだろう、しかしいま政治家に体をはってやってほしいのは、教育問題なんですよね。とくに(凶悪事件を起こしているのは)「十七歳」「十七歳」といわれてますが、二〇一三年にはこの世代は三十歳、二十一世紀初頭には真ん中にいるわけですよね。

 決議では、少年問題には国民のだれもが心を痛めているとまで言いきっているわけです。ここはぜひ、日本共産党が子どもの教育でどういう考えをもっているのか、どういう若い人を育てていくのか、非常に注目している。

 日本共産党は若い人たちにアピールしてほしい。若い人に夢を与えてほしい。もう十七歳で夢がないんですよ。自分の人生が十七でわかっちゃっているというときに、夢を持てなんて無理ですわ。そこに語りかけてほしい。

 志位 私たちは、いろいろな角度からいまの少年の問題、子どもの問題を考える必要があると考えていますが、大きくいって三つの接近の角度があると思っています。第一は学校教育を良くするという問題、第二は社会全体に道義とモラルを確立するという問題、第三は子どもを有害な情報から守るという問題――この三つの角度から、私たちは、提言を出してきました。

 今度の大会で、そのなかでもとくに光をあてたのは、学校教育の問題です。子どもにとって、一日の生活のなかで、学校が占めている比重は、非常に大きなものがあって、だいたい生活している時間の半分ぐらいは学校にいってます。宿題も含めれば学校とつきあっている時間はもっと長い。私たちは、子どもの問題を考えるときに、一つの問題を解決すれば、万事解決するという単純なものだとは思っていませんけれども、学校教育の役割というのは非常に大きなものがあって、学校教育を良くするという点で、国民みんなが真剣に討論し、団結することが大事だと考えたんですよ。

 それではどう良くするか。これもいろいろな角度があるのですが、基礎・基本の学力というところに、いまあらためて目をむける必要がある。いま「学力の危機」ということが、社会問題にもなっています。文部省の調査でも、学校の勉強について、「よく分かっている」と答えた子どもが、小学校で四人に一人、中学校で二十一人に一人、高校生で三十人に一人だという。この数字自体がショッキングだけど、もう一つショッキングなのは、多くの子どもが学校で「嫌い」なもののトップに「勉強」をあげていることです。

 大谷 学校って勉強するところなのに。

 志位 勉強が「嫌い」という。国際教育到達度評価学会(IEA)が、十二月六日に国際比較の調査結果を発表しています。中学校二年生の比較ですが、三十八カ国・地域中、日本は、平均得点は数学は五位、理科は四位なんです。点数は割にとっているのです。

 大谷 嫌いなのにとってる。

 志位 ええ。ところが勉強が好きかという問いに対しては、日本は、数学、理科とも、下から数えて二番目。数学は三十七カ国・地域中三十六位、理科は二十三カ国中二十二位なんです。点数はそこそことるんだけど、嫌いだと。

 大谷 いやいや勉強しているわけですね。

 志位 文部省は、「平均点が四位、五位だから、学力はおおむね良好」というのですよ。しかし私は、勉強が嫌いではほんとうの身についた学力とはいえないのではないかと思う。子どもは、本当は勉強が好きなはずだと思うのです。子どもにとって、新しくものごとがわかるというのは、自由が広がることであり、喜びであり、感動であり、目が輝くことのはずです。

 大谷 もっとやりたくなりますよ。

 志位 そのとおりだと思います。ほんとうに勉強が好きという学力は、発展性のある学力ですよね。しかし、嫌いという学力では、発展性をもたない。ほんとうに自分のものにならない学力なんですよ。自民党の長年の教育政策のゆがみによって、子どもたちの基礎・基本の学力というものが、ほんとうに危機的状況にあるというこの事実を、まずみすえる必要がある。

 すべての子どもたちに、ひとしく学ぶ喜びや感動を伝えていける学校にする。主権者として成長するために必要な、基礎・基本の学力の内容を、国民的討論をふまえて、よく選び出し、子どもの発達段階に即して、それを適切な形で配置していく。そして、真に基礎・基本的な事項については十分に時間をとって、すべての子どもが分かるまで教える。すべての子どもたちに、基礎的な学力を保障する学校教育への改革こそが、いま強くもとめられていると思います。

財界のシンクタンクの警告──自民党政治は、「学力」でもゆきづまってしまった

 大谷 斎藤貴男さんという方が、『機会不平等』という本を出しているんですが、そこで日本は「結果平等主義」とさんざん批判されているが、結果はとうの昔に不平等で、実はそれどころじゃない。機会不平等だといっています。

 その本にも出てくるのですが、政府の教育課程審議会の前会長で、作家の三浦朱門氏は“非才、凡才はすべてコツコツ働く精神を養えばいい”と、いっているわけです。

 全体の基礎学力を押し上げようなんてことをやっていたから、日本全体の学力が落ちてくる、国家としては、みんなが同じ程度の教育を受けて底上げする必要はないんだというわけです。できない子はコツコツまじめに働いてくれる精神をきちんと養っていればいいんだと。そういう精神を教え込めばいいと。できる子たちは飛び級でも何でもいいじゃないかと、そっちを養成していった方が国家の教育レベルがあがるということだと。

 いま、志位さんがおっしゃっているのとは、かなり隔世の感があるのですね。国民全部がそんなに学力をあげてどうするんだという発想が、教育だけでなくて、たとえば労働界でもあって、いい労働力さえ残せばリストラも仕方がないという流れが非常に出てきている。こういう議論の流れから言わせれば志位さんの論法は、まさに理想論ということになってしまう。

 志位 私は、むしろ、現実にあわなくなってきているのが、文部省がずっとつづけてきたやり方だと思うのです。つまり、競争、競争で、子どもたちをおいたて、ふるいわけをやってきた。基礎・基本の学力にあてる授業時間は減りながら、詰め込みだけは続ける。そういうやり方をつづけてきたあげくが、勉強が「分からない」「嫌い」でしょう。自民党流の教育が、学力という点でもゆきづまってしまった。「できる子」を育てればいいというが、「できない子」が勉強が嫌いなだけじゃなくて、「できる子」だって勉強を本当に好きでやっているかというとそうじゃない場合が多い。

 大谷 そうですね。いい成績とってトップいってたのに、オウムにいったりする。

 志位 面白いと思ったのは、日本総合研究所という財界のシンクタンクが「急がれるIT対応型わが国教育改革」という「提言」を出しているんです。立場の違いはあるが、ずいぶん一致するところも多くて、読んでびっくりしたんです。

 大谷 ほう。

 志位 まず日本の学力に「危機的状況」が生まれているという事実から出発し、その原因を、「わが国の場合、学校を知識・技能を身につけ、社会人に成長するための重要な機関としての位置づけが稀薄」だということにもとめています。そして「基礎学力の向上が最優先課題のひとつ」だとして、そのために「教育予算の大幅積み増し」「小人数クラスの実現」などをあげています。

 大谷 共産党の態度と、よくにているじゃないですか。(笑い

 志位 そうなんですよ。もちろん競争主義の枠内での「提言」なので、肯定できないこともありますが。ただ私はこれを読んで、経済界の側からいっても、このままの教育でいったら、日本の未来を支えていく「人材」が枯渇するという危機感があると感じました。彼らなりの「長期展望」にたって、問題の深刻さをとらえているわけですよ。これを読んでも、自民党政治は、教育と学力という、社会の基本のところまで、日本をゆきづまらせてしまったと痛感しますね。

 大谷 そうですね。

 志位 よく文部省が、道徳教育が大事だというでしょう。私たちも、民主的な市民道徳の教育は大切だと考えています。しかし、子どもをほんとうに大切にしていない文部省が、「友達を大切に」などと道徳を説いてみても、子どもの心には響きません。どの子も、自分が学校という場で大切にされている、みんなが分かるまで教えてくれる、すべてひとしく大切にされているということがあふれるように実感できるような学校にしてこそ、他人の人格への尊重や、ほんとうの道徳性も生まれると思うのです。

教育基本法の精神とは──「人格の完成」を目的に、「不当な支配」に服しない

 大谷 日本の母親が自分の子どもに一番多く使うボキャブラリーって、全国共通で「早く」なんですよね。

 志位 ああ、そうかもしれませんね。

 大谷 学校の先生が「あんたまだそんなことを言ってんのか」と。実は教師がそうなんです。教師が一番うんと使う言葉も「早く」。子どもが家でとにかく「早くなんとかしなさい」「早く塾行ってきなさい」「早く帰ってきなさい」と追い立てられて学校でももっとそういうのがあるかと思うと、教師がとにかくもう追い立てられて……。

 志位 教師も「早く」と追い立てられていますからね。教育委員会から(大谷「そうなんです」)。子どもたちに、学ぶ喜びや感動を教えたいと思いながら、現実はなかなかたいへんで苦闘している教師がたくさんいます。

 大谷 当然遅い子はだめだ、ゆったり自分のペースの子はだめだと。家庭でも学校でも、塾は最たるものだけど。こんなの今の子どもたちは息つく暇がないんですよ。ゆっくりして落ちてくやつは全部切られている。言いかえれば、捨ててけということでしょう。

 志位 そういう競争主義、管理主義の教育を、このままつづけていいのかということですね。

 教育基本法の第一〇条には、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」とあるんですよ。これは戦前の教育の反省なんです。「不当な支配」というのは、要するに国家権力の支配に服してはならない。そして、「国民全体に対し直接に責任を負う」んだと。ここが大事だと思います。つまり、教育委員会に責任を負うのではない。文部省に責任を負うのではない。国民に直接責任を負う。つまり子どもに責任を負う、父母に責任を負う。

 大谷 昔は国家に責任を負ってたのですよね。天皇ですよね。

 志位 天皇に責任を負っていた。「天皇のために死んできなさい」という教育を行った。その反省の上に立って、国民に直接責任を負わなければならないとした。

 大谷 子どもと親ですよね。

 志位 教師にとっても、これはたいへんな苦労がいるところです。文部省がいっているから、あるいは学習指導要領で縛られているからということで、国民への責任を逃れるわけにいかない。そういう立場で、がんばっている多くの教師もいます。

 大谷 でもそれってすごくいい言葉ですね。

 志位 「不当な支配」に服せず、国民に直接責任を負うというのは、教育基本法の一番のカナメだと思うのです。それから教育基本法では、教育の目的について、民主的な「人格の完成」ということをいっているでしょう。逆にいうと、教育は、それ以外の目的でやってはならない――特定の「国家目的」のようなものに従属させられてはならないということだと思うのです。

 つまり教育というのは、主権者として「人格の完成」をめざすことが目的であって、その育った主権者が、未来にどういう社会をつくるかは、その子どもたちが決めていけばいいという問題だと。

 大谷 任せればいいではないかということですね。

 志位 子どもたちに信頼をおいて、未来のことは子どもたちが決めていく。それが教育基本法の精神だと思います。この精神をこわし、歴史を逆転させる動きには、きびしい警戒が必要ですね。

一人ひとりの個性を大切にしながら、みんながわかる学校に

 大谷 沖縄の盲目の歌手で新垣勉さんという方がいるんですよ。米兵とのあいだにうまれた方です。いまあちこちの学校で「さとうきび畑」という歌を歌っている。うたいながらまた途中で話しているんです。

 その彼がいつもいうのです。「君らナンバー・ワンというのがそんなにすてきか。ここに四十人いたら一人しかナンバー・ワンになれないだろう。でもいままでの日本の教育はずっとナンバー・ワンが素晴らしいとやってきた。僕は両親がどこにいったかわからない、盲目だ、失うものばかりだったところに、この歌声がある。ナンバー・ワンよりオンリー・ワンが素晴らしいんだ」。いやもう子どもらも目を輝かせて聞いているんですよ。

 遠回りだけど、子どもたちにみんなが「オンリー・ワン」になれるんだということを教育した方がひょっとしたら早道じゃないかと。いま志位さんがおっしゃったのもそういうことじゃないかと思うんです。

 志位 どの子にも等しくという場合に、どの子にもみんな個性があって、その個性を一つ一つ大事にしながら、基礎・基本のことはみんなが分かる教育にする。いちばんシンプルにいえば、学校という場を、みんなが「分かって」「楽しい」場にするということですね。子ども、先生、父母、地域の人たち、みんなが力をあわせて、そういう学校への改革の努力をすすめたいですね。

一番ムカつくのは偽善と出会ったとき──ウソ、偽りを追放しよう

 大谷 ぼくは、問題行動をおこした子どもたちと接してますとね、彼らは本当のワルというよりは、一番ムカつくときは、偽善と出合ったときなんですよ。一番ムカついているのは、政治を含めて、それこそ自民党政治を含めて、おとなの偽善だと思うんですよ。いいカッコしてる政治家が裏で何をやっているのか。

 志位 そうでしょうね。私も、偽善という点では、政治、経済もふくめ、社会全体から偽善をなくすということが重要だと思いますね。同時に、学校という場は、もっとも偽善があってはいけない場だと思うのです。

 大谷 そうです。

 志位 私は、学校というのは“一事が万事の場”だと思うんです。つまり、一つでもウソがあったら、子どもは全部ウソだと思う。そういう点では、「日の丸・君が代」の押しつけというのは一番悪いものの典型ですね。なぜ主権在民の国で、「君が代」か。これは説明のつかないことですから。

 大谷 「君が代」の斉唱率が九割だとか。あれ何のためにああいうことをするのかというのは、子どもは不思議でしょうがないと思いますよ。

 志位 不思議でしょうがないでしょうね。ただ子どもというのは、ウソがあった場合に見抜いてしまう。

 大谷 見抜きます。

 志位 そしてその学校で、あるいは教師が、一つでもウソ、偽りをやったら、ほかにどんな立派なことをいっても、子どもは信用しなくなる。

 大谷 そこはムカつくという言葉に代表されると思うんですね。

 志位 学校というのは、民主主義というものが普通の社会よりももっと徹底してなければならない場所だと思います。そこにいろんな不合理なものを上から持ちこんでくる。今度はまた「奉仕の強制」なんてものを持ちこまれたら、ますます不合理を子どもにおしつけることになる。要するに上から強制して、力ずくで子どもを押さえつけようという貧しい発想です。森首相は、「便所掃除をやらせろ」というけど、そういう発想は冗談じゃないですよね。(笑い

 大谷 おとなはまあまあで済んでも、子どもは不合理は許せないですよ。

 志位 ウソ、偽りを、学校からも、社会からも、追放したいですね。

物理の面白さを教えてくれた高校の先生──教師は素晴らしい職業

 大谷 ところで、話が飛びますが、委員長は子どものころはどんな子どもだったんですか(笑い)。お正月だからいいじゃないですか。(笑い

 志位 好奇心はとってもありましたね。自分で小学校のころ、「世界の国めぐり」というのを書きましてね、全四冊あるんですよ。どの国から始まったのか覚えていないけれども、風物がどうなっていて、地理がどうなっていて、どこにどういう動物がすんでいてとかを、絵入りで書いたものがありまして……。

 大谷 新日本出版から出したらどうですか。(爆笑

 志位 ただ、僕らのころももう競争主義の時代ですから、その締め付けの圧力というのは僕にも加わってきましたね。なんでこんな勉強やっているんだろうと嫌になることもありましたね。

 幸い、高校の物理の先生が、素晴らしい授業をしてくれた。いつもガリ版刷りで自前のテキストをつくってくださった。ノーベル賞をとったファインマンという物理学者の本を下敷きにしたテキストでしたが、実験もつぎつぎやりながら、物理の面白さを伝えるという授業でした。これに私は感動しましてね。

 大谷 そういう出会いで人生変わりますよね。

 志位 物理ってこんなに面白いのかなと思って、一時は物理の方に行こうかと思うくらい物理のことが好きになりました。

 大谷 ぼくは教師というのは素晴らしい職業だと思うんですよ。ところがいまは子どもが輝いていないだけでなく、教師が輝いていないですよ。ぼくはいつも講演なんかいくと教育委員会の人とかが迎えにきてくれる。それで必ず聞くんですよ、「現場と教育委員会のどちらが面白いか」と。そうしたら、みんな現場が好きだというんですよね。“私たちは子どもの顔をみてなんぼの仕事ですよ。一刻も早く教壇にたちたい”と。みんなが口をそろえてそういう。なのに、なぜ教師があんなに輝きを失ってしまったんだろうか。みんなすごい情熱をもっていますよ。

 志位 人間から人間へと、学ぶ感動を伝達するのが教師の仕事の素晴らしさですね。いま文部省がつくりだしてきた体制のもとで、学習指導要領で全部おさえつけられ、がんじがらめにされている。そういうなかでも情熱をもって、苦闘している先生がたくさんいる。教師が団結し、それを父母が支え、地域の人たちが支え、そして政治がちゃんと責任を果たすということが大切だと痛感します。

新しい社会をきずく「空気」「光」「空間」が地球的規模で広がった世紀

 大谷 では、最後に二十一世紀はどういう時代になるのか。日本共産党の展望として、いつごろどういう政治を実現していくのかという問題に入りたいと思います。さきほどの逆流と本流の話ではないですけれど、少なくとも二十一世紀が戦争の世紀というのはもうありえないのか。一番そこを願っているのですが。

 志位 二十世紀というのは、戦争から平和への大きな進歩を遂げた世紀だったと思います。もちろん、二十一世紀に戦争の火種がなくなっているとはとうていいえないわけで、依然として大きな危険をはらんでいるのですが、二十世紀の二つの大戦のような惨禍は二十一世紀にはありえないし、またおこしてはならないと思います。

 二十一世紀はどういう世紀になるかということについていいますと、二十世紀に人類が達成した、さきほどのべた五つの角度からの巨大な進歩が土台になって、人類が資本主義という制度を乗り越えて、新しい社会へと発展する、その条件が、地球的規模で熟してくる世紀になると、私たちは考えています。

 大谷 ある意味で、資本主義は限界にきているということですか。

 志位 人類史的なスケールでみると、ある限界にきているといっていいと思います。こんどの大会決議の中でも、二十一世紀には資本主義を乗り越える新しい社会への条件が熟する世紀になると書いたのは、根拠があってのことなんです。

 つまり二十世紀に人類が達成した、民主主義と民族独立などの社会進歩は、新しい社会をつくる土台になる。エンゲルスという科学的社会主義の大先輩は、社会主義者にとって、民族独立と民主主義の発展をかちとることは、解放運動を発展させるために必要な、「空気」であり、「光」であり、「空間」をかちとることだといっています(一八八二年二月七日、カウツキーへの手紙)。

 大谷 ほう。

 志位 民族独立と民主主義が発展してこそ、新しい社会をきずく解放運動が息をする「空気」、そして浴びる「光」、自由に活動する「空間」を獲得できる。私は、二十世紀という世紀は、いろいろとジグザグがあったけど、新しい社会をきずく「空気」と「光」と「空間」を、地球的規模で広げた世紀だと思うのです。

 大谷 うん。

21世紀のどこかで資本主義の是非が問われるときがやってくる

 志位 もう一つは、いまの世界の資本主義の矛盾の深さです。失業、金融投機、貧富の格差、南北問題、環境問題などの矛盾は、どれも資本主義という制度が未来永劫(えいごう)続くのかどうか、その是非をかなり根本的なところで問うてますよね。

 資本主義という制度を乗り越える条件が、つぎの百年では地球的規模で熟するという私たちの展望は、そういう根拠のうえにのべたものです。

 私たちがめざす社会主義とは、ソ連型の抑圧社会はきっぱり拒否するという立場です。また、資本主義のもとで私たちが獲得した自由と民主主義などの達成物は、すべて発展的に引き継ぐという立場です。そして、利潤第一主義の原理を乗り越えたところにこそ、本当の人間の自由と平等な関係が生まれるというのが私たちの展望です。

 もちろん、私たちは、すぐに社会主義をめざすという立場ではない。まず、資本主義の枠内での本当の民主主義日本をめざす。まだまだ日本の社会は、エンゲルスの言葉を借りていえば、「空気」と「光」と「空間」が十分とはいえない社会ですから。

 大谷 たしかに資本主義のなかで達成してきた部分というのは、未熟でもありますよね。ただ、二十一世紀に、委員長がおっしゃられました環境だとか、金融だとか、民族だとかということが、果たして資本主義という手段で本当に解決できるかどうか。

 志位 当面の課題として、資本主義の枠内で、多国籍企業や国際金融資本などに民主的規制をくわえることは、世界的規模でも急務になっています。同時に、資本主義という体制では、解決しきれえない問題が山積していることも事実です。

 大谷 スキームとしての資本主義で、これらの問題をクリアできるかどうかということが、二十一世紀のどこかの時点で、私はぶつかってくると思うんですね。

 志位 そう思いますね。

権力犯罪を追及するが、「やった側」には1回も出てこない党

 大谷 ところで、私はこんど亡くなった黒田清さんとの共著で『権力犯罪』という本を書きました。権力犯罪で共産党は、一貫して追及する側には立ったけど、犯罪をやった側には一回も出てこないですね。

 志位 それはそうだ。(笑い

 大谷 共産党が出てくることは追及するということなんですよ。これはさっきの「一人も殺していない」の話じゃないけど、日本共産党が最も誇れることじゃないかと思うんですよね。

 志位 権力犯罪の対象にはされていますけれどね(笑い)。犠牲者になったことはあるけど、それとたたかったことは私たちの誇りでもありますね。ただ、権力犯罪を追及するとともに、さらにすすんで国民のために政権の一翼を担えるような党にどう前進するかということが、今度は日本共産党に期待されるような時代にだんだんさしかかってきていると思うので……。

 大谷 いつごろですか。(笑い

 志位 それは、国民のみなさんが決めることで、スケジュールは勝手にたてられませんけれども(笑い)。ただ、世の中というものは、ほんとうに変わるときには早く変わるということもありますから。

支部が一番の生命力──「50万の党」でパワーアップした日本共産党を

 大谷 ぼくはやっぱり、この間の総選挙で、共産党が議席を減らしたんでがっくりきたわけですよ。やっぱり九〇年代の共産党がもうちょっとがんばれたんじゃないのかなと。

 志位 そこは今度の大会でも、もちろん相手の逆風という問題もあったんですけど、それだけではない私たちの主体的なとりくみ、力量の問題点をずいぶん率直に自己分析的に明らかにして、新しい前進への道をみんなで決めました。とくに、私たちの党の一番の生命力というのは、全国の草の根で国民のみなさんと結びついて、こつこつがんばっている支部なんですよ。

 大谷 そうですね。

 志位 全国で二万六千の支部が、元気でがんばっていくということが一番の力なんだけど、この支部を支えているのは党員でしょう。その党員の数が、一時四十八万人までいったんですけど、三十六万人までいったん減らしてしまった時期があります。旧ソ連や東欧が崩壊して、その影響などもあったんですけれど、同時にとりくみの弱さということもあったんですよ。

 大谷 今度は五十万人という目標ですね。

 志位 三十六万人から、いまだいたい三十九万人ちかくまで、三万人ぐらい新しい方を増やしたのです。これを二〇〇五年までに五十万人まで増やす目標をきめました。「五十万の党」になったら、私はまた違った、国民のみなさんにとってもう一段パワーアップした共産党になって(笑い)、しかも若返った共産党になって、さらに元気な姿が光る共産党になれると思うんですね。

 大谷 一回大阪城ホールで共産党の演説会で講演したことがあるんですよ。その翌日届いた「赤旗」に、メモが入っていてね。昨日の感想文が入っていた。おそらく、お帰りになってから早朝の配達の前に書いてくれたと思うんですね。それがぽっと新聞から落ちてきてね。やっぱりこの党はすごいなと思ったんですね。そこの力だと思うんですね。

 それと、今度の党大会で、若い人たちの声がたくさん出たと。これはやはり二十一世紀に向けてすごくうれしいですよね。

 志位 うれしいです。だって、二十一世紀の新しい日本の担い手は、何といっても若い人たちなのですから。

 大谷 そうですね。ぜひがんばってください。

 志位 ありがとうございました。




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