2002年4月13日(木)「しんぶん赤旗」
日本共産党の志位和夫委員長が十二日、記者会見で明らかにした「官房機密費の実態をしめす内閣官房内部文書の公表にあたって――政治腐敗の奥深い闇に、いまこそメスを」は次の通りです。
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わが党は、これまでもいっかんして、機密費(「報償費」)の名のもとに、巨額の税金が党略的・私的に流用されている問題について、その実態を国民に明らかにすることを要求してきた。
それは、機密費問題が、政府自身による国民の税金の不正な流用という点で、きわめて悪質であり、日本の政治をもっとも奥深い闇のなかで腐敗させている根源にあると考えるからである。
しかし、小泉政権をふくめて、歴代政権は、その実態を国民に明らかにすることを、拒否しつづけてきた。
わが党は、その機密費の重要な部分について、使途の詳細を明らかにした政府の内部文書を独自に入手した。この間、資料の裏付けについて精査をおこない、これが、宮沢喜一内閣で加藤紘一氏が官房長官をつとめていた時期(一九九一年十一月〜九二年十二月)の内閣官房機密費の会計記録の一部であることを、十分な根拠をもって確認することができた。(その裏付け調査の内容と結果は別紙の通り)
これまで複数の官房長官経験者が、機密費のなかには、「国会対策」や「餞別(せんべつ)」など、官房長官がその自由裁量で何にでも使える部分がある旨、言明してきたが、この資料は、加藤官房長官の時代に、官房長官が自由裁量で使った機密費の使用明細であることは、間違いない。
今日、さまざまな政治腐敗事件があいつぎ、国民の政治不信が、きわめて深刻なものとなっているもとで、機密費問題という政治の闇にメスを入れることは、日本の政治腐敗を一掃するうえで、避けて通れない課題となっている。
わが党は、こうした立場から、入手した全資料を公表し、機密費にかかわる重大な問題点を提起するものである。
公表する資料は、(1)一九九一年十一月から九二年十二月までの十四カ月分の金銭出納帳(「KOKUYO」のノートを使用)と、この出納帳を整理してつくった(2)月別の収入・支出表(「内閣用箋(ようせん)」を使用)および(3)目的別の分類表(「内閣用箋」を使用)の三つの資料である。
ここに記録されている機密費の総額は、収入で一億四千三百八十四万円、支出で一億四千三百八十六万円となっている。
誰がこの資料をつくったのかの記録はないが、状況からみて、加藤官房長官が自分の自由裁量で使う分の機密費の一部について、その執行にかかわった人物がその明細を「金銭出納帳」に記載し、機密費にかかわる官邸職員が、それをもとに収入と支出、目的別の分類などを内閣用箋に整理したものと判断される。
この資料に記載された機密費の支出をみると、そのほとんどは、国民の税金の支出として許されない、不当きわまりないものである。
第一に、「国会対策費」という分類で三千五百七十四万円が支出されている(集計表には2521万円と記載されているが、出納帳から書き写すミスによる誤り)。そのうちの主なものだけでも、「英国屋(権藤、二見、鶴岡)」/160万5000円(91年11月14日)、「英国屋(黒柳明)」/100万円(同11月26日)、「総務会メンバー39人(背広)」/1170万円(同12月17日)、「河本敏夫」/300万円(同12月20日)、「(参)幹事長、副幹事長6名(背広)」/180万円(同12月20日)、「海部前総理」/300万円(同12月26日)、「商品券」/312万2575円(92年2月27日)、「粕谷茂(政治改革)」/296万6400円(同3月5日)、「公明 背広30×3」/96万3000円(同4月28日)などがある。
これらは、自民党の党内対策、野党対策など、党略的目的のために、機密費が使われていたことを、しめすものである。
第二に、政治家への政治資金のばらまきである。集計表で、「国会対策費」と分類されたもの以外にも、「パーティー」と分類された三千二十八万円の多くの支出先は、政治家である。政治家の「励ます会」「出版記念」「シンポジウム」などの機会に、機密費が支出されている。これは事実上の政治献金として、機密費が党略的に使われていたことを、しめしている。
第三に、私的費用への流用もみられる。「長官室手当」「秘書官室手当」の名目で総額千六百六十二万円が支出されている(集計表には1542万円と記載されているが誤り)が、これは毎月十日、すなわち国会議員歳費、公設秘書給与等の支払日と同じ日に、一定の額が支出されており、官房長官室関係者の給与にいわば「ヤミ給与」として上のせされて支給されていた疑いが強い。「長官地元入り経費」/245万円(92年9月8日)、「日比谷高校会費(泰平会)」/1万円(同6月19日)なども、私的費用への流用というほかないものである。
この資料の全体にわたって、「国家の機密」にあたると弁明できる支出は、一項目もなかった。歴代政府は、「報償費(機密費)」の目的について、「内政、外交を、円滑かつ効果的に遂行するため、その都度の判断で機動的に使用する経費であり、国政の遂行上不可欠のもの」としてきたが、この目的にてらしても、この資料にしめされた党略的・私的流用は、とうてい説明がつかないものである。国民の税金が、「国家の機密」という言葉のかげにかくれて、このような支出に使われるのは、絶対に許されない。
なお、この資料には、多くの人名が出てくるが、この文書の真実性の保障としてあえて全文を公表したのであって、名前が記載されているというだけで、私たちは、受け取った側の道義的・政治的責任を問題にするものではない。おそらくは、受取人として記録された人のうち、それが機密費と知って受け取ったというのは、政府・党の中枢にかかわるごく少数の人に限られるだろう。
この資料の公表にあたって私たちが最大の目的とするのは、「国家機密」の名のもとに、国民の税金を、勝手放題なやりかたで不当に流用してきた歴代政府の責任を追及し、政治腐敗の根源をなすこの腐ったシステムを根絶するところにある。
わが党は、昨年二月の衆院予算委員会で、「報償費について」と題する内閣官房作成の文書(一九八九年五月)を明らかにしたが、この文書には、(1)外務省から内閣官房にたいして機密費の「上納」がおこなわれていたこととともに、(2)「新税制の円滑実施」のため、すなわち当時国民の大きな反対をおしきって強行された消費税の導入のために、「国会対策」として年額五億円という巨額の機密費を使ったことが明記されていた。
さらにわが党は、昨年三月の参院予算委員会で、同文書が古川貞二郎内閣官房副長官(当時、内閣官房首席参事官)によって作成された文書であることを、筆跡鑑定書をつけて明らかにしている。
「報償費について」と題する文書に使われている内閣用箋と、今回明らかにした資料の集計表に使われている内閣用箋とは同じ形式のものである。また、「報償費について」で「国会対策」が機密費の項目の一つとなっていることが、問題になったが、今回の文書では、官邸の当事者自身が、機密費の支出先の最大の項目に「国会対策費」をあげている。これらは、昨年わが党が明らかにした「報償費について」と題する文書の真実性をいよいよ決定的に裏付けるものとなった。
文書「報償費について」の存在が裏付けられてきた以上、これまで政府がとってきた、問答無用でこの文書の存在を否定する態度は、もはや許されない。とりわけ、外務省から官邸への「上納」問題について、真実を明らかにすることは、避けることのできない問題となったことを、強く指摘するものである。
以上の事実にたって、わが党はつぎの問題を提起するものである。
小泉首相にたいして、つぎの三点を要求する。
(1)これまでの機密費の実態、とくに内閣官房機密費の使用の実態を、国会と国民に公開すること。
(2)この資料にしめされているような、機密費の党略的・私的な流用は、今後行わないことを、国会と国民の前に約束すること。
(3)外務省から官邸への「上納」問題について、国会と国民をあざむくごまかしをやめて、真相を調査し、公表すること。
国会にたいしては、機密費問題を集中的に解明する場を設けて、国民にたいする国会の責任を果たすことを提案したい。
わが党は、長年にわたって日本の政治の奥深い暗部に位置し、数々の腐敗の温床ともなってきた、機密費問題の解明のために、ひきつづき力をつくすものである。
日本共産党の志位和夫委員長が、十二日の記者会見で公表した内閣官房内部文書についての「(別紙)入手した資料の裏付け調査の内容と結果について」は次の通りです。
わが党は入手した資料の発表にあたり、その真実性について多角的な検証をおこない、これらの資料が、内閣官房機密費の会計記録の一部であることは、まちがいないと判断した。検証によってあきらかになった事実関係は以下のとおりである。
「金銭出納帳」に記載された総額一億四千三百八十四万円の収入のうち一億四千三百万円が「長官より」とされ、七十万円と三十万円に分割された一件の例外(九二年十月二十日、同十一月五日)を除いて、すべて百万円単位で入金されている。
これは、機密費の取扱責任者が内閣官房長官であり、佐藤内閣当時の官房長官であった竹下登氏が「報償費(機密費)というのは…やはり内閣官房長官の専権事項だね」(『政治とは何か――竹下登回顧録』)とのべていることとあわせて、以下の証言とも符合する。宇野内閣で官房長官をつとめた塩川正十郎氏の証言――「(機密費は官邸の金庫に)百万円単位で袋に入れてあります」(二〇〇一年一月二十八日、テレビ朝日系サンデー・プロジェクト)、元官房長官秘書官の証言――「官房長官の執務室には古い金庫があります。機密費はそこに入っています。封筒に百万円ずつ分けて入れてあり、帯封に銀行印などはありませんでした」(二〇〇一年二月十八日付「しんぶん赤旗」)。
この資料に記された支出の一つひとつについて調査した結果、その支出を裏付ける多くの事実が確認された。調査結果の詳細は、添付した一覧表のとおりである。
政治家の「パーティー」への支出については、政治資金規正法で報告が義務づけられていないという当時の制約のなかでも、新聞各紙の報道によって、七十七人中十三人の政治家のパーティーが支出日と符合して開かれていることが検証された。
「餞別」については、当時の官職を特定できた五人への「餞別」が、すべて異動日と符合している。また「餞別 綿貫100、小泉、熊谷50」として二百万円が支出された九二年四月二十八日の翌日には、綿貫民輔自民党幹事長(当時)が、小泉純一郎、熊谷弘両副幹事長(当時)とともに、自民党としての東欧諸国訪問に出発している。
「香典」については、新聞各紙に掲載された訃報によって特定できた九件の支出がすべて符合している。
その他にも、支出を裏付けるつぎのような事実が確認された。「長官地元入り経費」として二百四十五万円が支出された時期に、加藤紘一氏は「後援会会合のため」、官房長官になって初めて地元の山形県鶴岡市に帰っている(九二年八月二十九、三十日)。「スリーハンドレッド」として四十四万六千百五十七円が支出された日には、自民党執行部を招いた「接待ゴルフ」が茅ケ崎市のスリーハンドレッドクラブでおこなわれている。「(参)国対差し入れ」(九二年六月六日)、「国対差し入れ」(同六月十二日)の支出日には、それぞれ参議院、衆議院においてPKO法案の本会議強行採決をめぐる徹夜国会が開かれている。
当時の政治状況と照らし合わせて検証した結果、その支出意図を合理的に説明しうる政治的背景を確認することができた(日付順)。
「英国屋(権藤、二見、鶴岡)」と記載された百六十万五千円(九一年十一月十四日)と「英国屋(黒柳明)」と記載された百万円(同十一月二十六日)――当時国会ではPKO法案をめぐる与野党の激しい攻防がおこなわれていた。十一月二十七日には衆議院国際平和協力特別委員会で自民、公明両党がPKO法案を強行し、十二月三日には衆院本会議で、自公両党の賛成でPKO法案を可決した。同法案は、十二月二十日の参院本会議で、自公民、連合参議院の賛成で継続審議となり、廃案をまぬがれた。
当時、権藤恒夫氏は公明党副委員長、二見伸明氏は公明党政審会長で公明党のPKO特別委員長、鶴岡洋氏は公明党の選対副委員長、黒柳明氏は公明党参議院議員団長であった。英国屋は高級紳士服の専門店で、高級服を仕立てて送ることが、「国会対策」として、ひろくおこなわれていたことは、以前から指摘されている。
また、「国会対策費」としての機密費の使われ方については、衆議院の正副議長秘書の経歴をもつ平野貞夫参院議員のつぎのような証言もある。「共産党は受け取らなかった。公明党は最初は背広の生地ぐらいしか受け取らなかったが、昭和五十年代ごろからは受け取るようになった」(「朝日」二〇〇一年三月二十二日付)
「河本敏夫」と記載された三百万円(九一年十二月二十日)と「海部前総理」と記載された三百万円(同十二月二十六日)――八八年十二月にリクルート疑惑で、蔵相を辞任にまで追い込まれた宮沢氏が、わずか三年で首相の座につくことができた背景には、海部氏の続投断念と、自民党総裁選挙で河本派が竹下派とともに宮沢氏を支持したことがあった。
「総務会メンバー39人(背広)」と記載された千百七十万円〔集計表の「117」万円の記載は誤記〕(九一年十二月十七日)――当時、宮沢派の衛藤征士郎氏が、党大会につぐ自民党の最高意思決定機関である総務のポスト入りをめざしていたが、「当選六回(衆院)以上」という資格に欠けるため、総務会入りにストップがかかっていた。結局、「当選六回(衆院)」という原則が崩され、衛藤氏は十二月二十六日の総務会で正式に総務となっている。
「商品券」と記載された三百十二万二千五百七十五円(九二年二月二十七日)――当時、国会では、共和事件にかかわる阿部元長官や宮沢首相のリクルート疑惑にかかわる首相秘書らの証人喚問を自民党が拒否したため、二月五日から十九日まで国会審議がストップしていた。結局、塩崎元総務庁長官の証人喚問、鈴木元首相らの参考人招致で、自民、社会、公明、民社が合意し、首相秘書、元秘書、阿部元長官らの証人喚問は見送りとなった。
「粕谷茂(政治改革)」と記載された二百九十六万六千四百円(九二年三月五日)――粕谷氏は、当時、自民党の政治改革本部の本部長代理として、中選挙区制のもとでの「定数是正」の党内調整の取り仕切りをまかされていた。
検証の結果あきらかとなったこれらの事実は、この資料が、内閣官房機密費の会計記録の一部であることを裏付けるものである。
なお「金銭出納帳」の最後の二枚は、金銭出納帳を記帳していた人物が執行をゆだねられていた範囲の外の機密費の支出を、なんらかの事情で備忘録として記録にとどめたものと推察される。
記載年月目 | 記載支出項目 | 記載支出額 | 確認できる事実関係 |
1991.11.13 |
山本有二パーティー | 100,000 | 「(11月)13日夜、高知全県区選出のもう1人の自民党衆議院議員、山本有二氏(河本派)は、都内のホテルで、個人パーティーを開いた」(「朝日」91年11月14日付) |
1991.11.26 | 江田五月パーティー | 500,000 | 「往来 11月26日江田杜民連代表が千代田区で『全国江田五月会』設立総会」(「毎日」91年11月27日付) |
1991.12.9 | 井上普方 25周年 | 300,000 | 「社会党の井上晋方代議士会長の在職25周年祝賀パーテイーが9日夜、都内のホテルで開かれ(た)」(「毎日」92年2月10日付) |
1992.2.4 | 大木浩 | 200.000 | 「自民党竹下派の参院議員が2月に入り東京で相次いでパーティーを開いている。…4日の大木浩氏(愛知選挙区)の会合の場合は、『友人の会』を強調」(「毎日」92年2月17日付) |
1992.2.12 | 仲川幸男出版記念 | 200,000 | 「自民党竹下派の参院議員が2月に入り東京で相次いでパーティーを開いている。…仲川幸男氏(愛媛選挙区)は川柳本の出版記念祝賀会が名目」(「毎日」92年2月17日付) |
1992.3.4 |
後藤茂 | 300,000 | 「社会党の衆議院議員の後藤茂さんが…『わが心の有本芳水』を出版、出版記念パーティーが開かれた」(「東京」92年3月12日付) |
1992.3.30 | 中曽根康弘出版記念 | 300,000 | 「中曽根康弘元首相は30日、都内で開かれた著書(共同執筆)の出版記念会で講演」(「朝日」92年3月31日付) |
1992.4.14 | 安井吉典氏出版記念 | 100,000 | 「衆院副議長経験者で2年前に政界を引退した杜会党の安井吉典元衆院議員(本道2区〕の出版記念祝賀会が14日、東京都内で開かれた」(北海道新聞92年4月15日付) |
1992.5.20 | 川崎寛治パーティー | 300,000 | 「杜会党の『党理論センター』所長をつとめる川崎寛治代議士(鹿児島1区)が、…20日に千代田区で永年在職議員表彰と出版記念を兼ねた集会を催す」(「東京」92年5月19日付夕刊」) |
1992.5.22 | 山口敏夫パーティー | 300,000 | 「山口敏夫元労相の在職25年を祝う会が同日夕、都内のホテルで開かれた」(「共同」92年5月22日配信) |
1992.10.1 | 佐藤孝行君永年動続パーティー | 500.000 | 「自民党の佐藤孝行総務会長は1日夕、都内のホテルで『永年議員在職表彰を祝う会』を開いた」(「東京」92年10月2日付) |
1992.11.24 | 深谷隆司パーティー | 200,000 | 「元郵政省の深谷隆司代議士(8区選出、自民党渡辺派)が24日、都内のホテルで『講演と懇親のタベ』を開いた」(「朝日」92年11月25日付) |
1992.12.1 | 衛藤晟一パーティー | 200.000 | 「中村正三郎環境庁長官(自民党三塚派)。2日、国会近くのホテルで開かれた自派の衛藤晟一代議士の資金集めパーティーであいさっ」(「朝日」92年12月3日付) |
記載年月目 | 記載支出項目 | 記載支出額 | 確認できる事実関係 |
1991.12.20 | 塩口秘書官餞別 | 500,000 | 塩口哲朗・加藤紘一官房長官秘書官事務取扱、12月20日付で同職を離任。 |
1992.1.27 | 多田主席餞別(30万十背広) | 632,100 | 多田宏・内閣参事官室首席内閣参事宮、1月28日付で同職を離任。 |
1992.4.28 | 餞別 綿貫100、小泉、熊谷50 | 2,000,000 | 「綿貫幹事長は4月29目から5月5日まで東欧のポーランド、ブルガリアを訪間した。幹事長には小泉純一郎、熊谷弘両副幹事長が同行した」(「自由新報」92年5月19日付) |
1992.6.22 | 牧野事務次官餞別 | 500,000 | 牧野徹・建設事務次官、6月26日付で退任。 |
1992.6.26 | 新田会計課長餞別 | 300.000 | 荒田健・総理府大臣官房会計課長、6月26日付で同職を離任。(新田の記載はアラタの書き間違い?) |
1992.9.1 | 森田内調室長餞別 | 500,000 | 森田雄二・内閣情報調査室室長、9月1日付で同職を離任。 |
※官職の離任年月日は、内閣官房、内閣府で確認。
記載年月目 | 記載支出項目 | 記載支出額 | 確認できる事実関係、背景 |
1991.11.15 | 田辺誠祝い | 500,000 | 11月20日、社会党委員長選挙で、同氏以外の届け出なく無投票当選。 |
1992.5.24 | スリーハンドレッド | 446,157 | 「宮沢喜一首相は・24日・神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場に自民党の綿貫民輔幹事長ら執行部を招いて、『接待ゴルフ』をした」「首相動静 24日午前9時2分、神奈川県茅ケ崎市のスリーハンドレッドクラブ綿貫民輔幹事長ら自民党幹部とゴルフ」(「朝日」92年5月25日付) |
1992.9.8 | 長官 地元入り経費 | 2,450,000 | 「加藤官房長官は後援会会合のため29日、地元鶴岡市に帰り、同市産業会館で記者会見した。…30日、列車で上京する」(山形新聞92年8月30日付) |
1992.9.17 | 市川雄一 | 100,000 | 「平成4年度海外派遣議員団 政治経済事情調査8班 幹事長 市川雄一(公) 9月18日〜10月1日 フランス、ベルギー、イタリア」(衆議院調べ) |
記載年月目 | 記載支出項目 | 記載支出額 | 確認できる事実関係 |
1991.11.17 | 小此木彦三郎(番典) | 100,000 | 11月17日、故・小此木彦三郎氏の党葬。 |
1991.12.28 | 大坪健一郎香典 | 200,000 | 12月28日、故・大坪健一郎(前自民党衆議院議員)葬儀・告別式。 |
1991.12.30 | 新坂一雄香典 | 100,000 | 12月30日、故・新坂一雄(連合参議院議員)葬儀・告別式。 |
1992.4.2 | 奥田幹生御霊前 | 100,000 | 4月2日、故・奥田喜美枝(奥田幹生自民党衆議院議員の母)葬儀・告別式。 |
1992.6.24 | 伊藤五郎氏香典 | 200,000 | 6月4日、元自民党参議院議員・伊藤五郎氏死去。6日葬儀・告別式。 |
1992.7.3 | 提平五葬儀 | 100.000 | 7月3日、故・堤平五(宮沢喜一首相の叔父)葬儀・告別式。 |
1992.7.6 | 中西啓介氏香典 | 100,000 | 7月6日、中西佐代(中西啓介自民党衆議院議員の母)死去、同月9日、葬儀・告別式。 |
1992.8.7 | 岸田文武香典 | 100.000 | 8月4日、岸田文武自民党衆議院議員死去、同月21日、葬儀・告別式。 |
1992.11.17 | サンケイ阿部家香典 | 50,000 | 7月14日、阿部早苗氏(阿部稔・産経新聞取締役正論調査室長の父)死去、同月18日、葬儀・告別式。 |
こちらのページで公表した内部文書のコピー全文が、ご覧いただけます。