2005年7月23日(土)「しんぶん赤旗」

戦後60年と日本共産党

志位和夫委員長の講演(大要)


 会場いっぱいに、参加されたみなさん、CS通信をご覧の全国のみなさん、こんばんは(「こんばんは」の声)。きょうは、ようこそおいでくださいました。日本共産党の志位和夫でございます。(拍手

■はじめに――都議選のたたかいと、日本共産党の存在意義

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記念講演する志位和夫委員長

 この間、首都・東京では都議会議員選挙がたたかわれました。私はまず、この選挙での東京のみなさん、全国のみなさんのご支援、ご奮闘に心からの感謝を申し上げたいと思います。ほんとうにありがとうございました。(拍手

 すでにお話があったように、今度の選挙は、どうやったら「二大政党づくり」の流れに立ちむかって、わが党を前進させることができるか――その展望を端緒ではありますがつかんだ、重要なたたかいとなりました。

 私が、この選挙をともにたたかって痛感したことがあります。それは、国政でも都政でも、庶民を痛めつける政治が強行されるもとで、都民の暮らしがこんなに破壊され、痛みと怒りが噴き出しているなかでの選挙はないということでした。そして私が、都内各地にうかがって感動したのは、この攻撃から都民の暮らしを守る草の根からの運動が、実に生きいきと多面的に広がり、そのなかでどこでも日本共産党がかけがえのない役割を果たしていることでありました。

 わが党がこの選挙で掲げた政策は、どれも机上のものではありません。削られた福祉の復活を、教育と子育ての応援を、中小企業への支援を、都立小児病院をつぶすな、そのすべてがやむにやまれぬ思いで立ちあがった都民のみなさんの運動が掲げた要求をまとめあげたものでした。

 日本共産党は、党をつくって八十三年になりますが、その時々の国民の苦難の軽減のために、国民とともに奮闘することを、立党の精神とし、また自らの存在意義としている政党であります。私は、この党の存在意義が、いまほど求められている時はないと痛感しております(拍手)。そのことを深く胸に刻んで、公約の実現に力をつくすとともに、このたたかいから教訓をひきだし、きたるべき国政選挙で必ず前進をかちとる決意を、まず申し上げたいと思います。(拍手

■侵略戦争から教訓と反省をひきだすか、正当化し美化するのか

 私たちは、今年の党創立記念のこの集いを、戦後六十年という記念すべき年にむかえました。そこで私は、戦後の日本政治における政治対決の焦点がどこにあるか、日本共産党はどういう役割を果たしてきたか、またどんな目標と展望をもって活動しているのかについて、三つの角度からお話ししたいと思います。

 第一は、過去の侵略戦争への態度の問題であります。

 あの戦争は、三百十万人以上の日本国民、二千万人以上のアジア諸国民の命を奪いました。その残した傷跡は、いまなお深いものがあります。日本の戦後は、この侵略戦争の事実とむきあい教訓と反省をひきだすのか、それとも、この戦争を正当化し美化するのか――この二つの流れのたたかいの歴史でありました。

■日本共産党の問題提起の意味はどこにあったか

 この問題は、戦後六十年の今年、国政の熱い大問題となり、日本がアジアと世界のなかで生きていけるかどうかにかかわる重大な国際問題となりました。

 「過去の日本の戦争は正しかった」と歴史を偽造する勢力が横行し、その動きのなかで、小泉首相の四年連続の靖国神社参拝、戦争礼賛を子どもたちに教え込もうという歴史教科書問題――この二つの逆流がつくりだされました。歴史問題にたいする日本政府の認識と姿勢が、国際社会からきびしく問われる事態がひきおこされました。

 このなかで日本共産党の不破議長は、五月十二日に開いた時局報告会で「日本外交のゆきづまりをどう打開するか」と題する講演をおこないました。わが党は、この講演を出発点に、一連の「しんぶん赤旗」の論文で、また国会での論戦で、問題の核心を明らかにするとりくみをすすめてきました。

 わが党がおこなった問題提起の意味はどこにあったのか。私は、つぎの点を強調したいと思います。

 一つは、今日の日本外交がおちいっているゆきづまりの根源には、過去の戦争や植民地支配に対する日本政府の態度があり、ここでの抜本的な再検討、抜本的な転換ぬきには、日本外交のゆきづまりを打開する道はないという点です。

 二つは、問われている問題の核心は、私たちが“靖国史観”と名づけた靖国神社の歴史観、戦争観――過去の日本の侵略戦争を「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」として正当化する議論を許していいのかにあるという点です。

 三つは、過去の戦争への反省は、国連憲章にも明記された戦後の国際秩序の原点であって、“靖国史観”は、アジア諸国のみならず、欧米諸国もふくめて国際社会全体から日本を孤立させるものとならざるをえないという点であります。

■2カ月間での内外情勢の変化は、真実と道理のもつ強さをしめした

 わが党がおこなったこれらの問題提起が、問題の核心をつくものであり、事態を前向きに打開するうえで大きな意義をもつものであったことは、この二カ月間の情勢の展開そのものによって裏付けられました。(拍手

■マスメディアの変化――靖国の戦争観が問題に

 国内のマスメディアの論調に変化がおこりました。この二カ月、全国紙各紙がつぎつぎと首相の靖国参拝の中止をもとめる社説を掲げました。「朝日」「毎日」「日経」「東京」などとともに、「読売」が社説で、「(首相が戦争)“犯罪人”として認識しているのであれば、『A級戦犯』が合祀(ごうし)されている靖国神社に、参拝すべきではない」と参拝中止をもとめたことは、衝撃をあたえました。

 靖国神社の戦争観という問題の核心にせまる論調が広がりました。最近、共同通信は全国に配信した「靖国問題を考える」という特集記事で、靖国神社とその境内にある戦争博物館「遊就館」を取材したルポを掲載しています。「遺書や兵器を展示」「使われる言葉、置かれている物、流れる空気…。周囲とは一線を画した『異空間』がそこにあった」「『日本は悪くなかった』。単に戦死者を祭るだけでなく、そんなメッセージを発する場所と感じた」「アジア諸国の犠牲者への言及や、日本を戦争に導いた責任についての説明は見受けられない」。ルポの結びは、「この神社の性格をひと言で表現するとしたら『戦前、戦中と地続きでつながっている場所』。そう思いながら境内を後にした」。批判の矛先は、ずばり靖国神社の戦争観にむけられています。

■政界の変化―保守の政治家からも正論が

 政界の空気にも変化がおこりました。保守の政治家のなかからも、首相の靖国参拝への「慎重な対処」をもとめる声が広がりました。かつて自らの参拝でアジア諸国から批判をあびた経験をもつ中曽根元首相が、「やめる勇気も必要だ」と説きました。自民党の有力な政治家のなかからも、「首相の参拝は、戦後日本の出発点を否定することになる」とする正論が広がりつつあることは、注目すべきことだと思います。

 私自身が肌身で痛感した政界の空気の変化という点では、六月二日、衆院予算委員会で小泉首相に靖国参拝についての姿勢をただしたときの議場の雰囲気が印象的でありました。首相の答弁は、「政府の立場は、靖国の立場と違う」、「参拝によって戦争を正当化するつもりはない。そこは誤解しないでください」と弁明しながら、参拝固執の態度をあらためようとしないものでした。ただ、いつもなら共産党が質問しますと、第一委員室というのは、やじと怒号が普通であります。ところがやじがない。それどころか私語もありません。国会で私語がないというのは、特別のことであります(笑い)。しーんと静まり返っていました。“この問題ばかりは、共産党の言い分にも耳を傾けなければ”という雰囲気を、私は強く感じたものでありました。

■アメリカ、フランス、イギリス―欧米でも批判広がる

 海外でも、靖国神社の戦争観を問題にする議論が広がりました。アメリカの新聞ニューヨーク・タイムズは特集をくみ、「靖国史観は、ほとんどのアジア人、米国人にとって受け入れることはできない」とのべました。USAトゥデーも特集で、靖国神社が一九四一年の真珠湾攻撃と中国・東南アジアへの侵略を、「民族の独立と平和のため、全アジアを繁栄させるため、日本は戦争を強いられた」と正当化していると批判しました。フランスの新聞ルモンドも特集をくみ、靖国神社の戦争観は、「アジアや西側の歴史家の誰も受け入れることはできない」とのべました。さらに昨日付のイギリスの新聞フィナンシャル・タイムズは、「靖国神社に隣接する靖国博物館は、日本の戦争記録を恥知らずにも美化し、南京大虐殺のような『事件』を言い逃れしている」と痛烈に批判しました。

 みなさん、わずか二カ月の間におこったこの内外情勢の変化は、真実と道理のもつ強さを、はっきりとしめすものではないでしょうか。(拍手

 そして日本共産党が、このたたかいで重要な役割を果たしている根本には、党創立いらい八十三年間、命がけで反戦・平和をつらぬいた歴史があることを、私は心から誇りに思うものであります。(大きな拍手

■靖国参拝への固執は、取り返しのつかない結果をもたらす

 小泉首相が靖国参拝という間違った道に固執していることは、日本外交をいよいよ抜き差しならないゆきづまりにおいやっています。

■「日本は周辺にごくわずかの友人しかいない」

 一つは、アジアでの孤立がいよいよ深まったことであります。その姿は、国連安保理常任理事国拡大をもとめる日本・ドイツ・ブラジル・インドの四カ国が七月六日に国連総会に提出した「枠組み決議案」への共同提案国の顔ぶれにも端的に示されました。共同提案国は二十五カ国。このうち、アジア・大洋州の国は、アフガニスタン、ブータン、フィジー、マーシャル諸島のわずか四カ国であります。日本政府の必死の多数派工作にもかかわらず、日本の周辺国はただの一カ国も加わっていません。ヨーロッパでは十三カ国が参加し、ベルギー、チェコ、デンマーク、フランス、ポーランドなど、ドイツと隣りあい、かつてナチス・ドイツの侵略の被害をうけた国々がずらりと参加しています。まったく対照的な姿がここにあります。

 ドイツの新聞フランクフルター・ルントゥシャウは、「日本は周辺国にごくわずかの友人しかいない」と指摘するとともに、「常任理事国入りを目指しているドイツにとって不快である」とする社説を書きました。外交的ゆきづまりはここまで深刻になっているのであります。

■米下院決議―日本の戦争犯罪を「再確認」

 いま一つ紹介したいのは、米国議会下院が、七月十四日、第二次世界大戦終結六十周年にあたって採択した決議であります。この決議は、この戦争の性格が「世界をファシズムと軍国主義という惨禍から救った」ものであったことを指摘し、広島、長崎、沖縄をふくめてすべての戦争犠牲者に言及するとともに、日本の戦争犯罪の問題について特別の一項をおこし、つぎのようにのべています。

 「一九四六年から四八年の東京での極東国際軍事裁判での判決を再確認し、また人道に反する罪を犯した戦争犯罪人としての特定の個人への有罪判決を再確認する」

 米国議会が、終戦を記念して決議を採択したことは初めてのことです。第二次世界大戦終結六十年にあたってこうした決議が採択され、日本の戦争犯罪を「再確認」したことの意義は重いものがあると思います。この決議がドイツのことは問題にせず、日本だけを取り上げていることに注目すべきであります。これは、「日本は正しい戦争をした」「戦争犯罪などなかった」とする“靖国史観”が、今日の日本に存在していることに注目し、特別の憂慮を表明したものであろうことは、容易に推測できることです。

 すでに事態はここまできています。これをこのまま放置することは許されません。私は、小泉首相が、靖国参拝に固執することは、アジアのみならず、欧米もふくめて全世界から日本を孤立させる、取り返しのつかない結果を招くことを、強く警告したいと思うのであります(拍手)。いまからでも靖国参拝中止の決断をすることを、強くもとめるものであります。(大きな拍手

■この仕事をやりぬけばどういう展望が開かれるか――ドイツの経験

 侵略戦争を正当化する逆流とのたたかいはつづきます。私は、日本がこの仕事をやりぬいてこそ、国の進路にも明るい展望が開けてくることを強調したいのであります。それはドイツの経験がしめしています。

 この四月、ベルリンを訪問した韓国のノムヒョン大統領との共同記者会見で、ドイツのシュレーダー首相がのべた言葉は、たいへん印象深いものでありました。アジアの記者から、「歴史の歪曲(わいきょく)をめぐって日本と韓国・中国との間に問題が起こっている。これをどう思うか」と問われて、シュレーダー首相はつぎのように答えています。

 「それぞれの国には、自国の歴史の明るい面や暗い面に向き合う独自のやり方があるはずです。とはいえ私はドイツの経験を伝えることはできます。それは、自国の歴史にたいして敏感にそして自己批判的に向き合うなら、友人を失うのではなく、むしろ友人を獲得する、ということです。これが、私たちが経験してきたことであり、その意思があれば、誰でもが分かち合うことができる経験です」

 私は、この仕事をやりきるなら、日本と国民の前には、アジアでほんとうに心がかよう友人を獲得する明るい道が開けてくると確信するものです(拍手)。そういう展望をもち、戦争礼賛の逆流の根を断つところまで、このとりくみを前進させようではありませんか。(大きな拍手

■アメリカいいなりの従属の道か、独立・平和の日本への道か

 さて、戦後の政治対決の第二の問題としてお話ししたいのは、アメリカいいなりの従属の道か、独立・平和の日本への道かという対決であります。

■かつては安保の仕組みが未来永劫つづくとは誰も考えていなかった

■アメリカ従属の骨組み――日米安保条約

 日本が、アメリカの事実上の従属国の地位に落ち込んだことは、戦後日本の政治の最大の問題でありました。だいたい戦後、世界でおこった最大の変革は何だったか。それは、植民地体制がこの地球上からほぼ完全になくなり、アジア・アフリカ・ラテンアメリカで民族独立の流れが大河のように広がったことでした。世界で空前の大変革がおこっているときに、日本でおこったのは従属国への転落。これは世界の流れにてらしても異常な逆行でした。

 その骨組みとなったのは日米安保条約であります。一九五一年の旧安保条約は、米軍の軍事占領下の基地体制を継続することを、条約の形でおしつけたものでした。この条約は一九六〇年に改定され、米軍と自衛隊との軍事的共同作戦――「日米共同作戦」を発動する仕組みなどが新しく盛り込まれました。

 ただみなさん、ここで重要なことは、当時の政界では、この仕組みが未来永劫(えいごう)つづくとは、誰も考えていなかったということであります。

 この条約を最初に国民におしつけたのは自民党の前身である自由党と民主党でしたが、一九五五年にこの二つの党が合同して結成した自由民主党の「政綱」には、「駐留軍の撤退に備える」と明記していました。米軍はいずれ撤退するということが、当然の展望、目標として語られていたのです。

 野党はどうか。すべての野党が六〇年の安保改定に反対しました。共産党、社会党が反対しただけではなく、反共の立場から社会党を離れて結成された民社党も、条約の批准には反対しました。一九六四年に生まれた公明党も、安保条約の「段階的解消論」をとなえました。この党は、七二年の総選挙で敗北したら、安保条約「即時廃棄」をうちだしたこともありました。

 これがかつての政界の状況でした。

■安保廃棄の旗を掲げる日本共産党のかけがえのない役割

 ところが今では、共産党以外のどの党も、安保と聞けば、条件反射のように思考停止で(笑い)、絶対賛成という。小泉首相は、就任早々の日米首脳会談で、「私は根っからの親米派」「日本はもっと自立すべきだという人もいるが、そういうことはありえない」と言い放ちました。民主党の岡田代表も、就任早々に訪米して、「日米同盟を維持し、さらに発展させていくことは日本にとって極めて重要」と誓いました。

 自民も、民主も、公明も、安保条約といえば、自然法則のように永久に変わらないものと信じて疑わない。みなさん、ここには、かつてはそれぞれなりにもっていた国の独立への思いを忘れた、情けない姿がしめされているではありませんか。(拍手

 いま日本の政党で、日米安保条約をなくして、独立・中立の日本をつくろう――この旗を高々と掲げているのは日本共産党だけになっています。私は、この党の役割は、まさに日本国民にとってかけがえないものであると訴えたいのであります。(拍手

■国連憲章を無視し、安保の枠組みさえこえた、無法な「日米同盟」への変質

 安保条約をめぐる政界地図の変化ということをお話ししましたが、それでは、この半世紀で、日米安保の現実はどうなったでしょうか。多少なりとも国民にとってましなものに変わったのか。とんでもありません。

■米軍基地の現実――独立国とよべないこの異常

 私は、先日、沖縄にうかがい、戦後苦しめられつづけた基地の重圧への県民の怒りの広がりを痛切に感じました。県民を震撼(しんかん)させた昨年八月のヘリ墜落事故以後も、米軍の横暴勝手がつづいています。

 米軍は都市型訓練施設で実弾演習を開始しました。住民の日常生活の場からわずか三百メートル先で、イラクでの人殺しの訓練のための銃撃戦をおこなう。この暴挙に県民の怒りが沸騰しています。

 米兵が小学生の女の子にたいして強制わいせつ事件をおこしました。「市民が行き交う日曜の朝、住宅や商店が混在する市街地で、女の子が性犯罪にあった」ことは、県民の怒りをとりわけ深いものとしています。

 沖縄をはじめ日本全土に米軍基地がおかれ、戦後六十年たったいま、そのいっそうの強化と苦痛がおしつけられています。この現実は、独立国とはよべない異常きわまるものではないでしょうか。(拍手

■三つの海外派兵法――安保の条文に根拠をもたない

 この問題にくわえて、二つの重大な事態がおこりました。

 第一は、日米安保条約の枠組みさえこえた、地球的規模の「日米同盟」への変質であります。

 安保条約の取り決めでは、「日米共同作戦」が問題になるケースとして二つが考えられていました。一つは「日本有事」――日本が攻撃された場合に日米が共同で戦う。もう一つは「極東有事」――「極東」で行動する米軍が戦争状態に入り、それが日本に波及してきた場合に、日米が共同で戦う。どちらも日米が共同で戦う場合は「日本の防衛のため」という建前がありました。ところがこの間つくられた自衛隊の海外派兵法をみてください。

 まず、私たちが「戦争法」とよんで反対した一九九九年の「周辺事態法」です。この法律では、「日本周辺地域」という概念を持ち込んで、日米の軍事協力の対象としました。これは得体の知れない概念で、「周辺地域」とはどこかと私たちが国会で追及しても、政府は「地理的概念ではない」というのです。だからどこまでもこれは広がっていく。政府が「絶対に入らない」と断言したのは「地球の裏側」だけでした。「極東」という地理的な制約をこえて、世界のどこでも日米の軍事協力を可能にする――ここに「戦争法」の狙いがありました。

 つぎに、二〇〇一年の「テロ対策特別措置法」です。米軍がアフガニスタンで報復戦争をはじめました。このさい、「周辺事態法」で対応しようという動きも防衛庁にあったといいます。しかし、いくら何でもアフガニスタンが「日本周辺地域」というのは体裁が悪い(笑い)。そこで、特別立法をつくり、インド洋にイージス艦が派遣されました。米軍の戦争の手助けに自衛隊の海外派兵をおこなったのはこれが初めてでありました。

 さらに、二〇〇三年の「イラク対策特別措置法」です。米軍がイラクで侵略戦争をはじめると、今度は、陸上部隊の派兵が問題になりました。政府は「非戦闘地域にかぎる」という、これも得体の知れない概念を持ち込んで、無理やり派兵しました。しかし、自衛隊の車列が攻撃され、宿営地が攻撃されるなど、この概念がいかに虚構だったかは、いまや明らかであります。

 「周辺事態法」「テロ特措法」「イラク特措法」――この三つの海外派兵法に共通するものは何でしょうか。それは、日米安保条約のどの条文にも、これらの法律をつくる根拠がないことであります。「日本の防衛のため」という建前は、片鱗(へんりん)すら残されていません。

■「日米同盟」という理由だけで、世界のどこでも参戦

 いったいどこに根拠があるのかと私たちが国会で聞けば、政府は「日米同盟」だからと答えるのです。しかし、どんな軍事同盟でも、条文上の権利と義務で組み立てられているものであります。それをこえて、「日米同盟」だからという理由だけで、アメリカの戦争には世界のどこであれ無条件に協力する。これは、アメリカいいなりの異常きわまれりというべきであります。(拍手)

 さらにいえば、アメリカの戦争とは、イラク侵略のように、国連憲章を無視した無法な先制攻撃の戦争です。ところが日本政府には、アメリカがどんな戦争をやろうが、それが国際社会のルールにかなった戦争であるかどうかを、自主的に吟味する能力もなければ、吟味する気もないのです。それは、あのイラク戦争支持の合理化のために「大量破壊兵器」ということを持ち出して、その後、見つからないと、「フセインだって見つかっていない」(笑い)と平気でいってのける。この姿勢にもあらわれました。ひたすらアメリカの言い分をうのみにし、おうむ返しにするだけであります。

 いま問われているのは、国連憲章の枠組みを無視し、日米安保条約の枠組みさえこえた、二重に無法な「日米同盟」なるものに、二十一世紀の日本の未来をあずけていいのかという問題であります。きっぱりとこの異常な関係を断ち切るべきときではないでしょうか。(拍手

■アメリカいいなりの道は、いよいよ憲法と両立できないところまできた

 第二は、「日米同盟」なるものにしがみつくことが、いよいよ日本国憲法と両立できなくなったということであります。

 さきほど私は、いくつかの海外派兵について話しました。しかし、どんな海外派兵法をつくろうと、現在の憲法のもとでは、どうしてもこえられない一線があります。それは「海外での武力の行使」であります。

■ごまかしの憲法解釈で自縄自縛に

 戦後、自民党政府は、憲法をふみにじって自衛隊をつくりました。自衛隊が、「戦力の保持を禁止」した憲法九条二項と相いれないことは明らかであります。そこで政府は、ごまかしの憲法解釈をはじめました。「自衛隊は憲法が禁止している戦力ではない」というんですね。「戦力」ではないのだったらいったい何なのか。「自衛のための必要最小限度の実力だ」という。わけがわかりませんね(笑い)。わけがわからないけれども、ともかくそういうへ理屈をたてた。

 ところがこのへ理屈をたてたおかげで、政府を自縄自縛にする理屈がでてきてしまいました。それは何かといえば、「自衛隊は戦力でない以上、海外に出て武力の行使をすることはできない」という理屈であります。この一線をのりこえるには、一つしか方法はない。憲法九条を書き換えて、自衛隊を堂々と「戦力」に格上げすることしか方法はありません。

■憲法改悪反対のたたかいの大きな前進を

 いま自民党、民主党、公明党が、改憲の競争をしています。どの党にも共通しているのは、九条二項を変えて、「自衛軍(隊)」を書き込めということです。それが意味するものは、「海外で戦争をする国」づくりであり、戦争放棄を放棄することにほかなりません。

 憲法改定をすすめる勢力は、こうささやきます。「憲法にちょっと一筆いれて『自衛軍』と書き込むだけだ。自衛隊はすでに存在しているのだから、その現実を書くだけだ。それ以上の意味はない」。しかし、彼らの頭のなかにあるのは、アメリカの先制攻撃戦略に全面協力する「戦争ができる自衛隊」を、どうしたらつくれるか。アメリカの目からしか憲法をみていない。憲法をアメリカに売り渡す――これがほんとうの姿なのであります。(拍手

 このごまかしを、国民的規模で見破ることが、このたたかいに勝利するカギであります。みなさん、全国津々浦々で大きく成長しつつある憲法改悪反対の一点での国民的運動を、さらに広げる決意を、この記念すべき集いにあたってかためあおうではありませんか。(大きな拍手

■独立・平和の日本への転換こそ、二十一世紀の世界史の本流

 世界に大きく目を転じてみてください。戦後の世界は、アメリカとソ連という二つの「超大国」が、対立しながら、世界を支配する時代が長くつづきました。そのテコとされたのが、世界にはりめぐらされた軍事同盟網でした。しかしソ連の崩壊とともに、ソ連中心の軍事同盟は解体しました。アメリカ中心の軍事同盟も、その多くが解体、機能不全に陥っています。軍事同盟は、前世紀の遺物となりつつあります。

 戦後独立をかちとったアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々を中心に、非同盟・中立の流れが、世界の圧倒的流れになっています。国連憲章にもとづく平和の国際秩序をめざす人類史上空前の波がおこっています。

 この世界の流れにてらせば、日本共産党がめざしている日米安保条約をなくし、独立・平和の日本への転換をはかることこそ、世界史の本流にたつものであることは、明らかであります(拍手)。ここに確信をもって未来にむかって前進しようではありませんか。(大きな拍手

■財界・大企業の横暴勝手を応援する政治か、国民生活最優先の政治か

 さて、戦後の政治対決の第三の焦点は、財界・大企業の横暴勝手を応援する政治か、それとも国民生活を最優先にする政治かの対決であります。

■「ルールなき資本主義」――財界の横暴と、それを応援する政治の二人三脚の産物

 日本は、「ルールなき資本主義」の国とよくいわれます。国民の生活と権利にかかわる多くの分野――雇用、中小企業、農業、環境、社会保障などで、ヨーロッパでは常識になっているルールが、日本ではいまだに確立していません。

 これは一方で、日本の財界・大企業の横暴勝手の体質があまりにひどいこと、他方で、政治がその横暴勝手をおさえるどころか野放しにし応援していること――この二人三脚でつくられている異常だと思います。

 私は、最近、「しんぶん赤旗」に連載された「見た感じたEU労働事情」というレポートを、興味深く読みました。最初はフランス編で、その第一回は「トヨタでも週35時間」、第二回は「過労死“輸出”に反撃」と題する記事です。フランスに進出したトヨタについてのレポートであります。

 第二回の方から紹介すると、フランス・トヨタ工場で、日本でやっているような寸秒の無駄も許さない超過密労働がおしつけられた。“トヨタは走って仕事する”とよくいわれますが、日本でやっているものすごい超過密労働と同じようなやり方をおしつけた。その結果、ついにフランスでも「過労死」がひきおこされました。それにたいして労働者たちが「膨大な利益を健康へ回せ」と反撃のたたかいを開始しているというレポートでした。トヨタは「過労死」まで“輸出”した。私は、世界で恥ずべき日本の財界の横暴勝手な体質に、あらためて怒りを感じました。

 同時に、第一回の記事「トヨタでも週35時間」は、そのトヨタでも、フランスにいけば週三十五時間労働というルールを守らなければならないというものでした。取材した記者が、「日本のトヨタで働く労働者の平均年間労働時間は千九百六十三時間、そのうえ一万人を超える労働者が年間三百六十時間以上も残業している」と話すと、フランス・トヨタの労働総同盟の代表は、びっくりした表情でこう聞いた。「いったい、日本の労働者はいつ眠っているんだ」(どよめき)。そしてこうつづけたというんですね。「われわれは週三十五時間労働で、年間千六百時間しか働かない。もちろん土曜、日曜は休み。この時間は私と私の家族の時間だ」。「私と私の家族の時間」。いい言葉ですね、これは。(笑い

 ヨーロッパでは、長年の労働者のたたかいで、さしものトヨタでさえ守らざるをえない働くルールがつくられています。

 日本のたたかいも、財界・大企業の横暴勝手そのものへのたたかいとともに、それを野放しにし応援する政治を変えるたたかい――この両方が大切だということを、私は強調したいと思うのであります。(拍手

■国民のたたかいで暮らしを守るルールをかちとった二つの歴史的経験

 そういう目で戦後をふりかえってみますと、「ルールなき資本主義」といわれる日本にも、暮らしを守るルールはあります。国民のたたかいによって、財界・大企業の横暴勝手をおさえるルールをつくった歴史的経験がある。そして、そこにはつねに国民とスクラムをくんでたたかった日本共産党の奮闘がありました。ここにぜひ目を向けていただきたいと思います。

■無法な解雇をおさえるルール――到達点はここまできた

 一つは、無法な解雇をおさえるルールであります。一九七〇年代の大不況のさいに、大企業による人員整理の嵐が吹き荒れました。それに反撃する労働者のたたかいが全国各地でおこりました。その結果、まず一連の地方裁判所で、のちに最高裁で、解雇は自由にはできないという判例がつくられていきました。「整理解雇の四要件」とよばれる判例であります。これは、解雇をおこなわなければ企業の存続が危機にひんするほど差し迫った必要性があることなど、四つの要件をさだめて、その一つでも欠けていたら解雇は無効というものです。これはリストラとたたかう労働者の大きなよりどころになっていきました。

 これにたいして政府と財界から大きなまきかえしがおこりました。二〇〇三年の国会に政府が提出した労働基準法改悪案には、非正規雇用の拡大をすすめる改悪とともに、「使用者は労働者を解雇できる」――“解雇自由条項”という大改悪が当初盛り込まれていました。労働者がきずいてきた成果を台無しにしようとする攻撃でした。

 しかしこれにたいして労働者は反撃の大闘争でこたえました。わが党も国会で論陣をはり、政府を逆においつめていきました。“解雇自由条項”は結局削除されました。そして反対に、労働基準法第一八条の二に「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と明記させました。これは「整理解雇の四要件」の精神を、労働基準法に書き込んだ、国民のたたかいの重要な勝利でありました(拍手)。こういうたたかい、せめぎあいのなかで、重要な到達点をきずいてきているのです。

■「サービス残業」―残業代とりあげの暴挙を許すな

 いま一つは、「サービス残業」根絶のたたかいです。職場の労働者のたたかいとむすびついて、日本共産党は、一九七六年いらい二十九年間、二百四十回をこえる質問で、「サービス残業」の根絶をもとめてきました。この長いたたかいが一つの大きな実をむすんだのが二〇〇一年でした。ついにこの年に、厚生労働省は根絶のための通達をだしました。それ以来きょう現在までの集計をしてみました。六百五億円をこえる不払い残業代を払わせています(拍手)。これは労働者のたたかいの大きな成果だと思います。(拍手

 ただみなさん、これにたいしてもまきかえしがおこっています。「サービス残業」を合法化せよという策動であります。今年六月二十一日に日本経団連は、「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」なるものを発表しました。「エグゼンプション」――聞きなれない言葉ですが、除外するという意味なんですね。「提言」では、年収四百万円以上のサラリーマンを例示して、労働時間規制の適用除外にするとしています。ひらたくいいますと、“年収が四百万円をこえたら、残業代は一円ももらえず、際限なくただ働きがさせられることになる”ということであります。上司から“君はきょうからエグゼンプションだ”(どよめき)といわれたが最後、深夜まで働いてもただ働き。こんなくわだてがすすめられているのです。こんな無法は、絶対に許すわけにはいきません。(拍手

 ここでもたたかい、せめぎあいです。「サービス残業」なくせのたたかいの到達点を、絶対に後退させることなく、この無法の根絶をはかるまで、さらにたたかいの前進をかちとろうではありませんか。(拍手

 雇用を守るルールは、もちろんまだまだ不十分であります。欧州ではあたりまえの「均等待遇のルール」も、残業の法的規制も、日本にはありません。しかし、戦後の歴史は、たたかってこそ活路が開ける、このことを教えているのではないでしょうか(拍手)。ここに確信をもち、国民生活のあらゆる分野で、暮らしを守るルールをたたかいとろうではありませんか。(拍手

■社会保障切り捨ても庶民大増税も、根底には財界の身勝手な野望がある

 さて、そのうえでお話ししたいのは、いま国民生活を根こそぎ破壊する二つの大波が襲いかかろうとしているという問題です。この大波から国民の暮らしを守るたたかいが、緊急焦眉(しょうび)の課題となっていることを訴えたい。

■社会保障―企業の負担をなくすというこの身勝手

 第一は、社会保障連続切り捨ての大波です。年金大改悪につづいて、この国会で介護保険法の大改悪が、自公民の賛成で強行されました。施設に入所のお年寄りに「ホテルコスト」と称して食費・居住費を全額負担させるなど、“施設から出て行け”といわんばかりの大改悪であります。さらに障害者「自立」支援法案が問題になっていますが、これは障害の重い方ほど重い負担を強いるという福祉破壊の大悪法であります。さらに来年度は医療大改悪の計画がたくらまれています。これらのすべてに共通しているものは何か。“負担する能力のない人は社会保障から排除する”――この冷酷非情な立場であります。憲法で保障された生存権を奪う攻撃に国民的大反撃をもってこたえることが、いま強くもとめられています。

 そのさい目を向けていただきたい問題があります。それは、この動きの根底には、大企業の負担をいかに減らすかという、財界の野望があるということです。一昨年の日本経団連の「奥田ビジョン」では、「就業形態が多様化」したもとでは、「企業の従業員についても、……保険料を全額本人が負担する方法に改めることが考えられる」とのべました。これからは企業は社会保険料負担をやめるという事実上の宣言をしたわけであります。

 さらに、日本経団連の奥田会長などは、今年二月、社会保障給付を「経済の伸び率以下に抑える」ことを提唱しました。この考えは政府の「骨太方針2005」にも取り入れられました。これは医療を標的にしたものです。実にひどいものです。経済が1%成長なら医療費も1%しか増やさない、経済がマイナス成長になれば、医療費もマイナスにするというのです。冗談ではありません。不景気になったら病気が減るとでもいうのでしょうか(どよめき)。自分たちの負担を減らそうと、こんな冷酷無情な政治の旗ふりをやっているのが財界だということを、私はきびしく告発したいと思うのであります。(拍手

■庶民大増税―「みんな」の中に財界はいない

 第二は、庶民大増税の大波であります。さきほど日本経団連が、六月二十一日に残業代とりあげの「提言」を出したというお話をしましたが、同じ日に政府税制調査会はサラリーマン大増税の計画をうちだしました。これはいま国政の大争点になっています。所得税の各種控除を廃止・縮小するこの計画が、消費税の増税とセットで実施されたらどうなるか。すでに明らかにしてきたように、年収五百万円の家庭で、年間五十五万円の大増税となり、手取り給与を二カ月分もっていかれることになります。

 ここでも目を向けていただきたいのは、その根底には、大企業の負担をいかに減らすかという財界の野望があるという問題です。「奥田ビジョン」がしめす税金の姿は、つぎの三つの特徴をもっています。

 第一。「消費税を段階的に引き上げて16%にする」

 第二。「所得税は、各種控除制度を縮小・廃止するとともに、累進税率構造を緩和する」

 第三。「法人税は実効税率を大幅に引き下げる」

 法人税はすでに減税につぐ減税などで、税収が二十兆円から十兆円に半減しています。これをさらに減らせというのです。その穴埋めに、消費税をあげろ、所得税の控除を廃止せよ。これが財界の要求です。政府税調の石会長は「みんなで負担しあう」といいました。よくいうなと思って(笑い)、私はこの発言を聞いたんですよ。だってこの「みんな」の中には財界は入っていないじゃありませんか。

■自民、民主は同じ流れの中で財界への忠誠を競い合う

 ここで指摘しておかなければならないのは、自民党と民主党が、社会保障の切り捨てでも、庶民大増税でも同じ立場にたっていることです。七月に入って、民主党がつぎの総選挙むけにまとめた「財政健全化プラン」というのがあります。これをみますと財界の要求がみんな入っています。「社会保障に係わる予算の伸び率は、GDP(国内総生産)の伸び率以下に抑制する」と明記されています。消費税増税も明記されています。扶養控除・配偶者控除・配偶者特別控除の廃止など所得税増税も明記しています。ここには財界への忠誠を競い合うこの党の姿勢が、はっきりとしめされているといわなければなりません。(拍手

■財界・大企業に相応の責任と負担を――この旗を堂々と掲げる党を前進させよう

 みなさん、財界は、「高齢化のため」だとか、「財政危機打開のため」だとか、いろいろなもっともらしいことをいって、「だから仕方ない」といいます。しかしそれが理由ではありません。財界・大企業の負担を減らす、そのつけを庶民にまわす。これがいまおこなわれていることの本質であります。

 いま大企業は、空前の大もうけをあげているじゃありませんか。手もとにある余剰資金は年間十六兆円もふえて八十二兆円にまで積み上がっているじゃありませんか。ならば財界・大企業こそ、もうけ相応の責任と負担を果たすべきではないでしょうか。(「そうだ」の声、大きな拍手

 みなさん、私は訴えたい。いま国民の暮らしを守ろうとすれば、雇用でも、社会保障でも、税金の問題でも、財界・大企業の横暴勝手に正面から立ちむかい、その社会的役割にふさわしい責任と負担をもとめる日本共産党をのばすことが、どうしても必要であります(拍手)。「二大政党」といいますが、日本経団連に「通信簿」をつけてもらって、献金をせびる自民党や民主党では、国民の暮らしは守れない。党をつくって八十三年、財界からの献金をびた一文受け取ってこなかった日本共産党をのばすことこそ、国民の暮らしを良くするもっともたしかな道ではないでしょうか。(歓声、大きな拍手

■むすび――緊迫の政局にのぞむ基本姿勢について

 きょうは、戦後日本の政治対決の焦点を、三つの角度からお話しいたしました。私は、どの問題でも、日本共産党の立場こそ、国民の利益にかない、歴史の本流にたつものだと確信しております。そして「二大政党」とよばれる勢力では、日本が直面するどんな問題にたいしても、前向きの答えは出せないことは、明らかであります。

 政局は、衆院解散の可能性をはらむ緊迫した事態となりました。郵政民営化法案が、なぜ衆院で「五票差可決」という事態となったか。私は、そこには国民の批判と怒りの反映があると思います。それは郵政民営化法案が、国民サービスを切り捨て、郵貯・簡保の三百四十兆円を大銀行に明け渡すという反国民的法案であることへの批判と怒りだけではありません。いま、外交も内政もゆきづまり、国民の生活苦はいよいよ深刻になっています。その時に、私利私略にとらわれ、郵政民営化に熱中し、他をかえりみない。小泉政治のありかたそのものにも、国民の批判と怒りはむけられていることを、首相は知るべきであります。(拍手

 「参院で否決されれば解散」などという脅しに道理はありません。しかし解散・総選挙となれば、私たちは堂々と受けてたち、小泉政治への全面的審判を訴え、自民党政治の根本的転換をもとめて意気高くたたかいます(拍手)。自民、民主のどちらが政権についても日本の政治は変わらない。日本共産党をのばしてこそ日本の政治を変えるもっともたしかな力となる。このことをおおいに訴え、必ず前進をかちとる決意であります。(「よーし」の声、大きな拍手

 そのために私たちは、候補者を先頭に選挙に向けた独自の活動を急速につよめるとともに、「党勢拡大の大運動」を前進・飛躍させ、党と国民とのたしかな絆(きずな)を強める活動の大きな上げ潮をつくりだすことに力をそそぎたいと決意しています。

 きたるべき国政選挙での前進のために、また強く大きな党づくりのために、みなさんのわが党への大きなご支持、ご支援、ご協力を心からお願いしまして、私の話を終わりにいたします。

 ご清聴ありがとうございました。(歓声、長く続く大きな拍手