2006年5月26日(金)「しんぶん赤旗」

教育基本法改悪について

CS放送 志位委員長が語る


 日本共産党の志位和夫委員長は、二十四日放映のCS放送・朝日ニュースターの番組「各党はいま」で、教育基本法改悪法案について質問に答えました。その要旨を紹介します。聞き手は、朝日新聞紙面委員の佐藤和雄氏です。


政府案の2つの大問題

 佐藤紙面委員 共産党は、十五日に(教育基本法改悪に反対する)アピールも出しています。政府案で何が一番問題ですか。

 志位委員長 大きくいって二つあります。

 一つは、基本法に新たに第二条を設けて、約二十に及ぶ「徳目」を列挙し、そのなかに「国を愛する態度」が入っています。それを「教育の目標」として学校、子どもに義務づけるやり方が盛り込まれています。こうなると、ときの政府の意思によって、特定の内容の価値観が子どもたちに強制されることになる。憲法一九条で保障する思想・良心・内心の自由への侵害が生まれてきます。

 第二点は、国家と教育にかかわる問題です。現行基本法の第一〇条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とあります。ここでいう「不当な支配に服することなく」は、国家権力による介入を排するということです。「直接に責任」とは、子ども、父母、国民に直接責任を負って教育をやらなければならない(というものです)。これを改変して「直接に責任を負って」を削除し、法律さえつくればどんな教育内容への介入もできるようにしようとしている。

「愛国心」――国家の義務づけはなぜ間違いか

 佐藤 (二十四日の衆院教育基本法特別委員会での志位氏の)質問を聞いて一番印象深かったのは、福岡市でいったん採用された通知表をとりあげられたことです。

 志位 政府は「内心の自由に立ち入っての強制はしない」「『国を愛する態度』の強制はしない」といいますが、「評価」するというのは、「成績」という圧力で強制することになるじゃないかという問題を、具体的な形で投げかけてみました。総理からは「評価するのは難しい」という答弁が返ってきました。

 佐藤 (小泉首相は)「あえてこういう項目をもたなくてもいいのではないか」とまでいっていましたね。

 志位 「愛国心」の評価が難しい、やるべきではないということになったら、学習指導要領もやるべきじゃないとなるし、ましてやそれを法律に格上げすることもいかがなものか、やるべきじゃないとなるわけです。そういう点では法案の土台が破たんをはじめたと思います。

 佐藤 「国を愛する心」を育てるのは普通じゃないかと考える人も多いと思いますが。

 志位 私たちは早くから教育の場において、民主的な市民道徳をつちかうということは大切なことだといってきました。ただ、これはあくまで自由で自主的な教育の営みのなかで、教師や子どもの人間と人間のふれあいのなかで、身につけていくべきものであって、法律に規定して、義務づけて強制するのは間違っているという考え方です。

 とりわけ、何を愛するかというのは、人間の心情の中で、もっとも自由な心の領域に入るものです。これを法律によって規定し、国家が義務づけるというのは根底から間違っている。

 佐藤 「愛国心A」の児童、「愛国心B」の児童、「愛国心C」の児童という分け方をされると子どもたちも困っちゃいますね。

 志位 “あなたの「愛国心」はCです、努力を要する”といわれたらどんな努力をしたらいいんでしょうか。

教育内容への無制限な介入は憲法に背反  

 佐藤 政府案では「不当な支配に服することなく」という文言は残っていますが、後段のところが削られている問題点については。

 志位 文科相の答弁は「国が法律で決めた場合には、不当な支配には当たらない。一九七六年の(学力テストの)最高裁判決でも明らかだ」というものでした。しかし、その最高裁判決には「教育内容にたいする国家的介入についてはできるだけ抑制的でなければならない」という重要な一文があるのです。「抑制」を担保しているのが(教育基本法)一〇条だということが最高裁判例の基本です。そこをすべて読み飛ばして、国が一定の範囲で教育内容を決めることができるとのべた一部分をつまみ食いして、ああいう形でいうのは、最高裁の判例の曲解です。

 実は、どこまで国が教育の内容に立ち入れるのかは、教育基本法制定当初にも大議論になったことです。

 当時の文部大臣の田中耕太郎氏は、教育基本法第一条の「教育の目的」について、「平和的な国家及び社会の形成者」とか「真理と正義を愛し」とか一連の価値観が入っていますが、これは戦前の「教育勅語」にかわる民主的価値観を盛ることが必要だったからで、もともと国家というものは教育内容にたいしてその内容を指図したり介入したりすることは、自制、抑制しなければならないと言っています。

 ところが、国が法律をつくれば教育内容への介入は無制限に行えるように変えてしまうのが今度の法律の中心なんですね。これは、憲法に背反します。

 佐藤 教育振興基本計画の問題について。一斉学力テストを行うと学校に格差、階層をつくってしまう問題が起こりうるということですか。

 志位 これはかつて一九六一年から六四年にかけて全国いっせいにやられた経験があるんですね。その時にも「競争の激化」と「序列化」という問題が大問題になって中止になっているものを、四十年ぶりに復活させようというのが今度の振興計画にまず盛り込まれようとしているんですね。

 全国いっせいテストというやり方がそれこそ学校の子どもたちを競争に追いたてて、序列をつけてふるい分けすると。こういうやり方に対する小泉首相の今日の答弁は首相の教育観をはっきりいったと思いますよ。

基本法に即した教育改革こそ大事 

 佐藤 (志位氏の)質問で学力先進国とされるフィンランドの例をあげられましたね。教育基本法の問題をめぐる議論で興味深いのは、いまの日本の教育の問題について、総ざらいし考え直すことができると思うんですね。志位さん自身が考えられる処方せんはどういうふうにお考えですか。

 志位 私は、競争主義と管理主義の二つをただすことが、いまの教育改革で一番大事だと思っています。

 競争主義という点では、子どもをテストでふるい分けていくやり方が、教育の荒廃の最大の根源の一つになっています。これをただしていく。管理主義という点では、「日の丸・君が代」を押し付けて従わない先生を処分する、子どもが立たなかったらその先生も処分する、こういうやり方を改めるということが大事だと思いますね。

 そういう点ではフィンランドの実践には、たいへん注目をしています。三つの改革がやられたといわれます。

 一つは、競争主義を徹底的に排除し、どの子にもわかるまで教えるという教育に切りかえた。二つ目は、少人数学級です。三つ目が、学習指導要領を撤廃するなど、教師の自主性と自律性と自由を尊重し、教師と子どもたち、父母、地域社会が一体で教育をつくっていこうというところへ転換した。この三つの転換をやったことが学力の面でいわゆる世界一と注目されるようになった。

 その時に、手本にされたのが日本の教育基本法だったとよくいわれます。世界的にも価値が見直されているわけですから、その基本法に即した教育改革こそ大事だと思っています。

 佐藤 フィンランドとは人口も国情も違うんでしょうけど、そういう三つの改革というか取り組みが日本でも…。

 志位 大事だと思いますね。学習指導要領でも、国がごく大まかな大綱的な教育内容の基準を示すと、しかも助言的に示すということまで否定しているわけではありません。そういうことは必要だと思います。しかしいまやっているような、事細かに全部、現場を縛るというようなやり方はやめるべきです。学校と教師の自主性、自律性、自由、人間と人間の自由な営みの空間の中でこそ、教育の本当の輝きというのは生まれると思います。