2006年10月8日(日)「しんぶん赤旗」
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日本共産党の志位和夫委員長が六日の衆院予算委員会でおこなった総括質問(大要)を紹介します。
志位和夫委員長 私は、日本共産党を代表して、安倍首相に質問いたします。
過去の日本がおこなった侵略戦争と植民地支配にどういう態度をとるかは、二十一世紀に日本がアジアと本当の友好を築くうえで、避けて通れない重大問題であります。また、戦後世界の国際秩序は、日独伊がおこなった戦争を誤った侵略戦争として認定し、こうした戦争を二度と繰り返してはならないという土台のうえに成り立っており、この土台を否定することは、日本が二十一世紀に世界とアジアの一員として生きていく資格にかかわる問題でもあります。
私は、本会議の代表質問で、首相の歴史認識の問題をこういう角度から重視し、いくつかの問題をただしましたが、首相は、どの問題にたいしても、自らの言葉で語ろうとはしませんでした。そこで本会議に引き続き、この問題をただしたいと思います。
志位 私は、本会議質問で、靖国神社がたっている歴史観――日清・日露戦争から、中国侵略戦争、太平洋戦争まで、日本が過去におこなった戦争をすべて、「アジアの解放、自存自衛の正しい戦争」だったとする、いわゆる「靖国史観」について、首相がこれを是とするのか非とするのかについてただしました。しかし首相からは、その是非についてのご答弁がありませんでした。この場ではっきりとお答えください。
安倍晋三首相 そもそも私も従来から申し上げておりますように、歴史認識については、政治家が語るということは、ある意味、政治的、外交的な意味を生じるということになるわけでありまして、そういうことを語ることについては、そもそも謙虚でなければならないと思っています。
「靖国史観」がどういうものであるかということについては承知しておりませんが、それは宗教法人である靖国神社の考え方を披歴したものであるかもしれない。私が政府としてそれをコメントするのは、適当ではない。このように思います。
志位 私は、安倍さんは国政の責任者になられたわけですから、歴史観を語らないのは、「謙虚」ではなくて「無責任」だ。このように思います。同時に、そういう答弁を繰り返すのならば、聞かなければならないことがあります。それは、首相自身が、過去に政治家として、それこそ「特定の歴史観、戦争観」について、大いに語り、その立場で行動してきたということを、今日どう考えているのかという問題です。
志位 ここに、一九九四年十二月一日付の「終戦五十周年国会議員連盟」の「結成趣意書」(関連文書右下)があります。さらにこれは、この「国会議員連盟」の名簿でありますが、その中には安倍晋三さんの名前も記載され、事務局長代理をつとめられていると述べられておりますが、まず事実関係について確認したいと思います。間違いありませんね。
首相 ずいぶん昔のことでありますし、事務局長代理というのは、それほど偉いポストでもないわけでありますが(笑い)、もしそこにそういう書類があるのならば、それは事実なんだろうと思います。
志位 事務局長代理というのは四役のうちの一人ですから、重要な役職ですよ。(笑い)
そして、この「結成趣意書」を読みますと、「公正な歴史への認識」を明らかにすることは、「国政に与(あず)かるものの責務」だというふうに述べている。さらに、過去の日本の戦争について、「日本の自存自衛とアジアの平和」のための戦争だという歴史観、戦争観を、はっきりとこの「結成趣意書」では述べています。
首相は、先ほどの答弁で、「歴史観を政治家が語ることは謙虚であるべき」だと、つまり、“語らないことが謙虚なんだ”ということをおっしゃられたけれども、あなたも賛同したはずの、この「結成趣意書」には、まったく違うことが述べられているではありませんか。これをどう説明するのですか。
首相 いわば語る語らないというよりも、これはこういう歴史観でなければならないとか、あるいは、これはこうなんだということを特定することはできないということではないか。このように思うわけでありまして、いずれにしましても、いま私は政府の立場にある者として、こうした歴史についての認識を語ること、考えを語ることについては謙虚でなければならないと、というのが現在の私の考え方であります。
志位 謙虚だといわれることと、まったく違うことをされていた。あなたの言葉でいえば、謙虚だということとまったく正反対の行動をされていたということについての説明はありませんでした。
特定の歴史観を語ったものではないとおっしゃいますけれども、「日本の自存自衛とアジアの平和」、これは当時の、あの侵略戦争を進めた戦争指導者が使った言葉です。特定の歴史観そのものです。
それでは、この「議員連盟」が何をやってきたのか。「終戦五十周年議員連盟」は、終戦五十周年にあたっての国会決議にたいして、まさに「日本の戦争は正しかった」とする立場から、さまざまな行動をしております。
これは一九九五年四月十三日付の「議員連盟」の「運動方針」ですが、ここにはこう述べられています。
「本連盟の結成の趣旨から謝罪、不戦の決議は容認できない。また反省の名において、一方的にわが国の責任を断定することは認められない」
「終戦五十年に当り戦後、占領政策ならびに左翼勢力によって歪(ゆが)められた自虐的な歴史認識を見直し、公正な史実に立って、自らの歴史を取り戻し、日本人の名誉と誇りを回復する契機とすることが切望される」
それから「議員連盟」の「声明」があります。(同年)六月八日付です。与党三党、当時の自民党、社会党、さきがけがまとめた国会決議案について、次のように「声明」では述べています。
「与党三党の幹事長、書記長会談において合意に達した決議案は、わが国の『侵略的行為』『植民地支配』を認め、わが国の歴史観を歪めており、われわれは決して賛成できない」
この国会決議というのは、米英も日本も両方に問題があったと、いわば「どっちもどっち論」の立場のもので、そういう弱点を持っていましたから、私たちは反対をいたしました。
しかし、そういう弱点を持つ決議案でも、「終戦五十周年議員連盟」の立場からは、すなわち安倍さんの立場からは、認められないというものでした。この「運動方針」を見ましても、「声明」を見ましても、戦争への「謝罪」や「反省」をすること、そして「侵略的行為」「植民地支配」を認めることは「歴史観を歪め」るものだと、断固として拒否するとはっきり書いてあります。
こういう立場から「議員連盟」の多くの議員が本会議を欠席しました。安倍さんも本会議には欠席されています。
首相がこの当時、こういう考え方を持ち、それにもとづいて行動してきた。これはお認めになりますね。事実の問題です。
首相 おそらく、その議員連盟は、その決議の時に発足して、また、決議が終わったあとは活動していない。私もよく覚えていないわけでございますが、あの時の議論において、おそらく、こうしたことを国会で決議をするのは、おかしいのではないかというのが、だいたい議論の中心ではなかったかと、このように思います。いま私の内閣総理大臣としての考え方は、随時この委員会でも、また本会議でも述べてきている通りでございます。
志位 私の質問に答えておりません。この「国会議員連盟」の「運動方針」や「声明」では、「侵略的行為」や「植民地支配」を認めることは、「歴史観を歪める」と、「自虐史観」だと述べているわけです。当時、あなたはこういう認識だったかどうかを聞いているのです。お答えください。
首相 当時も私は、先の大戦において、多くのつめ跡をアジアの地域に残したと、このように考えてまいったわけでございます。そして、日本人を塗炭の苦しみの中に、落としたと。こういう認識を持ってまいったわけでございます。しかし、その中で、いわゆる侵略戦争ということについては、これは国際的な定義として確立をされていないという疑問を持っていたような気がするわけでございます。
志位 侵略戦争の定義をあなたがたは問題にしていたのではないのです。「侵略的行為」「植民地支配」自体の事実を書き込むことをやめろといって行動されてきたのです。
首相になってからの答弁では、“歴史観を語らない方が謙虚なんだ”と、“政治家は歴史観をあまり語るべきじゃないんだ”とおっしゃるけれど、首相になるまでは、さんざん、それこそ「植民地支配」「侵略的行為」を言うこと自体が「自虐史観」であり、「歴史観を歪める」と、そういう立場で行動してきたではないかと。これは説明がつかない矛盾ではありませんか。どう説明するのですか。
首相 いま、急に、随分昔の議員連盟で出した文書を出されても、私も何とも答えようがないわけでありますが、現在の私の総理大臣としての考え方、立場についてはもうすでに累次申し上げてきている通りでございます。それをそのまま受けとっていただきたいと思います。
志位 随分昔に、とおっしゃいますけど十年前のことですよ。そして、そのときの国会決議にたいして欠席したという事実も残っております。
私は、この問題で、首相がお答えができないのは、あなたがそもそも立ち、ずっと主張してきた歴史観、戦争観というのは、首相になったらもう口にすることができないような性格のものだということを、物語っていると思います。
志位 そこでつぎに、一九九五年の「村山談話」についての首相の立場をただしたいと思います。
「村山談話」は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」として、「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)び」を述べています。
私は、本会議でも、「首相は『村山談話』を継承し、首相自身の歴史認識にすえるのかどうか。とくに、『村山談話』で明記されている、『国策を誤り、戦争への道を歩んだ』という認識を共有するのかどうか」とただしました。しかし、首相は「政府の認識は、村山談話などにおいて示されている通り」というだけで、「国策の誤り」については答弁されませんでした。
私は、「村山談話」の重要な点は、「植民地支配と侵略」が「国策の誤り」としておこなわれたことを公式に認定したところにあると思います。
首相にもう一度この問題を問いたい。首相自身が「国策の誤り」という認識を持っているかどうかについて、ご自身の言葉ではっきりとお答えください。
首相 これは私が今まで、累次、申し上げておりますように、先の大戦をめぐる政府としての認識は、ご指摘の記述を含めまして、平成七年八月十五日、及び平成十七年八月十五日の内閣総理大臣談話において示されてきている通りであります。
ご指摘の談話については戦後五十年という節目に閣議決定されたものでありまして、内閣総理大臣として、また私の政府として引き継がれているということでございます。
志位 政府の認識だけではなくて、安倍さん個人の認識をうかがったわけです。“政府の認識は二つの談話に示された通りだと、ご指摘の記述も含めて”といわれました。そういう、もってまわった言い方ではなく、あなた自身の言葉で、“自分は国策を誤ったと認識している”と、もし認識しているのだったらはっきりおっしゃっていただきたい。いかがでしょうか。
首相 私は総理として今この場に立っているわけでございますので、総理として答えるわけでありますが、いま委員がおっしゃった「国策を誤り」「戦争への道を歩んだ」と、このように指摘をされたわけでありますが、いま指摘をされた記述を含めて、この平成七年八月十五日及び平成十七年八月十五日の内閣総理大臣談話において示された考え方、これを政府としては引き継いでいるということでございます。
志位 あなた自身の認識も「国策を誤った」ということですね。
首相 何回も申し上げておりますように、内閣総理大臣として申し上げておるわけであります。
志位 それでは、「国策の誤り」の具体的中身について、過去の戦争に際して、日本がどのような国策を持って臨んだのかについて、具体的にただしていきたいと思います。
歴史の事実に照らしてみますと、日清・日露の戦争、中国侵略戦争、太平洋戦争のすべてが、自国の領土の拡張と他国の支配を目指すことを国策とした戦争だったことは否定しようのない事実だと思います。
ここに、日本の外務省が一九五五年に編纂(へんさん)した外交文書集『日本外交年表竝(ならびに)主要文書』という文献があります。これを私はずっと読みましたが、これを見ましても、このことを裏付ける日本政府自身の無数の決定があります。
私は、そこにおさめられているものの中から、中国侵略戦争から太平洋戦争に至る時期の三つの重要な決定について、首相に具体的にただしたいと思います。
首相も、委員の皆さんも、配布資料をご覧ください。昨日、通告した質問資料です。
一つ目の資料は、日本が中国への全面的な侵略戦争を開始した翌年の一九三八年一月十一日に決定された、「『支那事変』処理根本方針」なる文書(別項(1))であります。これは、御前会議、すなわち天皇の出席のもとに政府と軍の首脳部が集まる、日本国家の最高の戦争指導機関の、最初の決定です。まさしく戦争遂行にあたっての国策を述べたものであります。
この決定をご覧いただきたいのですが、これを見ますと、「日支講和交渉条件」として、中国政府への要求がずらりと並んでいます。
その要求の中核にすえられているのが、「北支及内蒙ニ非武装地帯ヲ設定スルコト」、「中支占拠地域ニ非武装地帯ヲ設定シ」、「北支内蒙及中支ノ一定地域」に「日本軍ノ駐屯ヲナスコト」。これが要求の中核なのです。
すなわち、「北支」=北京を中心とする華北地方ですね。それから「内蒙」=内モンゴル地方。「中支占拠地帯」=上海を中心とする揚子江下流三角地帯などに「非武装地帯」を設ける。
「非武装地帯」というのは中国軍は立ち入ることができない。そしてここで明記されているように、日本軍が駐屯できるという地域をつくるという要求がはっきり書かれております。
そしてこの要求を中国政府が受け入れない場合には、「帝国ハ之カ潰滅ヲ図」ると書いてあります。すなわち中国政府を軍事力で潰滅させると述べております。これが最初の御前会議の決定なのです。
この決定は日中全面戦争が、中国領土への日本軍の駐兵権を認めさせ、中国を支配下に置くことを目的とした戦争だったことをはっきり示していると思います。首相は、日本が、日中全面戦争に際して、こうした国策を決定したことを、まず事実としてお認めになりますか。
首相 事実として認めるかどうかということですが、その文書が存在するということについては、その文書が存在するという事実があるということではないかと思います。
志位 文書の存在は当然なのです。つまり日中戦争が、日本軍の駐兵権と中国にたいする支配権を目的にした、それを獲得することを目的にした戦争だったと、最初の御前会議で決定している。そういう戦争目的を持っていたという事実を認めるかと聞いてるんです。
首相 そうした歴史の出来事ひとつひとつの分析については、それを分析することは政府の役割ではないと考えています。まさにそれこそ、歴史家が資料を集め、証言を集めながら分析をしていくことではないか。このように考えています。
志位 また歴史家に逃げ込むわけですが、この文書はどこかの歴史家がつくった文書ではないのです。日本政府が御前会議という最高の戦争指導機関でつくった文書なのです。ですから、それにたいして日本の最高責任者である総理がきちんとした見解を持つことは、当然のことだといわなければなりません。
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志位 二つ目の文書を見ていただきたい。(配布資料の)三ページです。これは太平洋戦争に乗り出す一年前の一九四〇年九月十六日、大本営政府連絡会議――すなわち軍と政府の共同の戦争指導機関が決めた「日独伊枢軸強化に関する件」と題する文書(別項(2))です。
これは同じ年の九月二十七日の日独伊三国軍事同盟締結を前にして、「皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏」の定義について決めております。この決定では、日本の「生存圏」――領土拡張と支配権の範囲として次のように述べています。
配布資料の五ページの下の段をご覧ください。それをパネルにするとこういうことになります。(パネル(1)を掲げる)
「独伊トノ交渉ニ於テ皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏トシテ考慮スヘキ範囲ハ日満支ヲ根幹トシ旧独領委任統治諸島、仏領印度(インド)及同太平洋島嶼、泰(タイ)国、英領馬来(マレー)、英領ボルネオ、蘭領東印度、ビルマ、豪州(オーストラリア)、新西蘭(ニュージーランド)竝ニ印度等トス」
日本の「生存圏」は、この広大な範囲ですよ。これを大本営政府連絡会議で決めているわけです。太平洋戦争の始まる前の年です。
こうなりますと、この太平洋戦争の性格は、領土の拡大と他国の支配を目的とした戦争であったということはまぎれもない事実だということを、この資料は示していると思いますが、総理の基本的見解をうかがいたい。太平洋戦争の基本的な目的です。
首相 当時のいろいろな決定、出来事については、たとえば当時の日本をめぐる状況や国際社会の状況もあるでしょうし、どういう時代だったかという分析も必要でしょうし、歴史は連続性の中で見ていくことも大切ではないか。ですからそういう事象について、いまここで政府としてどうだったかということを判断する立場にはないということでございます。
つまり、一定の政府として、こういう考え方に立って歴史を判断するということは、私はしないということでございます。共産党としては、たとえば「マルクス史観」に立ってすべてを決めていることかもしれませんが、こういう事柄については、先ほど来、申し上げていますように、適切な分析を歴史家がするべきではないかと思います。
志位 太平洋戦争の目的について、これも歴史家の分析に任せるべきだと(答弁した)。「マルクス史観ではそうだ」とおっしゃいましたが、これは私どもの特別な立場ではありません。日本の戦争が侵略戦争だったということは、戦後の国際秩序――国連憲章でも、あるいはポツダム宣言でも、すべての世界の秩序の土台になっている問題であります。
そして私が、先ほど示したパネルは、まさに「生存圏」をとるために起こした戦争が太平洋戦争だったということは、実際の戦争の経過が、そういうふうに進んだことが証明していると、私は思います。
志位 三つ目の文献を見ていただきたい。これは、いちばん決定的な日本政府のまさに本音がむきだしになった文献です。
配布資料の八ページをご覧ください。一九四三年の五月三十一日の御前会議の「大東亜政略指導大綱」(別項(3))と題する決定です。これは、太平洋戦争に乗り出した日本が、東南アジアの地域ごとに、どういう政治体制にするかを決めたものです。
資料の九ページの上の段をご覧ください。そこにはこのように明記しています。
「『マライ』『スマトラ』『ジャワ』『ボルネオ』『セレベス』ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給地トシテ極力コレカ開発並ヒニ民心把握ニ努ム」
これは御前会議の決定です。
重要資源の供給地とありますが、これらの地域というのは、石油、ゴム、スズなどの重要資源の産地として、もともと日本が狙っていたところでしたが、資源をわがものにするために帝国領土と決定しているのです。御前会議で。これは動かせない事実です。
私はこの決定というのは、太平洋戦争というのが、日本の領土の拡大を目的にした戦争だったということを、疑問の余地なく示していると思います。首相はこれをお認めになりますね。
首相 先の大戦の結果を踏まえまして、わが国はこうした結果にたいして、全国民で責任をとるという立場に立って、その後、まだまだ貧しい中にあったわけでありますが、各国と賠償を払いながら、講和条約を結んでいった。この中においてですね、われわれは国際社会に復帰したわけでございます。そしていま委員が言われた、こうしたことのいちいちについて政府としてはコメントをする立場にないということは、申し上げてきた通りでございます。
志位 私は、あなたが「国策の誤り」ということを含めて、「村山談話」をお認めになるとおっしゃったので、その「国策の誤り」の具体的な中身を三点示しました。すべて政府の正式な決定で、国策として決められたことです。
これは日本の過去の戦争が、領土の拡大と他国の支配を目的にしたことを疑問の余地なく明らかにしています。私は、この戦争の誤りの核心部分はここにあると思います。こういう戦争のことを侵略戦争というんですよ。そしてそこに「国策の誤り」の核心があるんです。
ところが、どの問題についても、具体論になれば、総理は、“歴史家に任せる”といって、領土拡大と他国支配を目的にしたという事実すら、お認めにならない。これでは、本当に日本の過去の戦争を反省したということにならないということを、私は指摘しなければなりません。
志位 いま一つ私が聞きたいのは、「従軍慰安婦」問題です。
一九九三年に、日本政府は、「河野官房長官談話」で、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」こと、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」ことなどを公式に認め、「心からのお詫びと反省」を述べるとともに、歴史教育などを通じて同じ過ちを決して繰り返さない決意を表明しています。
私が、本会議質問で、この問題をただしたのにたいして、首相は、「いわゆる『従軍慰安婦』問題についての政府の基本的立場は、河野官房長官談話を受け継いでいる」と答弁されました。
しかし、「河野談話」を受け継ぐというのなら、首相の過去の行動について、どうしても私はただしておきたい問題があります。
志位 ここに一九九七年五月二十七日の本院決算委員会第二分科会での議事録があります。安倍議員の発言が載っております。
「ことし、中学の教科書、七社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載る」、「この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいる」、「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」。こう述べられています。結局、これは教科書から「従軍慰安婦」の記述を削除せよという要求です。
さらに教科書に「こうした記述が載るという根拠になったのは…河野官房長官の談話」だとして、「談話の根拠は崩れている」「談話の前提は崩れている」と、「河野談話」を攻撃しています。
「河野談話を受け継ぐ」というのだったら、首相がかつて自らこうやって「河野談話」を攻撃してきた、この言動の誤りは、はっきりお認めになったほうがいい。このように考えますが、いかがでしょうか。
首相 「河野談話」の骨子としては、慰安所の設置や慰安婦の募集に国の関与があったということと、慰安婦にたいし政府がおわびと反省の気持ちを表明、そして三番目に、どのようにおわびと反省の気持ちを表するか今後検討する、こういうことでございます。
当時、私が質問をいたしましたのは、それは中学生の教科書に、いわゆる従軍慰安婦という記述を載せるべきかどうか。たとえば子どもの発達状況をまず見なければならないのではないだろうか。そして、また事実について、いわゆる強制性、狭義の意味での強制性があったかなかったかということは重要ではないか、ということの事実の確認について、議論があるのであれば、それは教科書に載せるということについては、考えるべきではないか、ということを申し上げたわけであります。
これはいまにいたっても、狭義の強制性については事実を裏付けるものは、出てきていなかったのではないか。
また、私が議論したときには、「吉田清治」(田中といい間違え)という人だったでしょうか。いわゆる慰安婦狩りをしたという人物がいて、いろんな所に話を書いていたのでありますが、この人は実はまったく関係のない人物だったということが後日わかったということもあったわけでありまして、そういう点を私は指摘をしたのでございます。
志位 いま「狭義の強制性」についてはいまでも根拠がないということをおっしゃいましたね。あなたがいう「狭義の強制性」というのは、いわゆる連行における強制の問題を指していると思います。しかし、この「河野談話」では、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」とあるのですよ。政府が自分の調査によって、はっきり認めているんです。あなたのいう「狭義の強制性」も含めて。これを否定するのですか。
「本人たちの意思に反して集められた」というのは、強制そのものではありませんか。これを否定するのですか。「河野談話」のこの一節を。
首相 ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろうと。つまり、家に乗り込んでいって強引に連れて行ったのか、またそうではなくて、これは自分としては行きたくないけれども、そういう環境のなかにあったと。そういう結果として、そういうことになったことについての関連があった、ということが広義の強制性ではないかと考えております。
志位 いまになって狭義、広義と、いわれておりますけれども、議事録には狭義も広義も一切区別なく、あなたは強制性一般を否定しているのですよ。そして「『河野談話』の根拠は崩れている」と、「前提は崩れている」と、だからあらためろと、こういってるわけですよ。
「河野談話」を認めるというのだったら、あなたのこの行いについて反省が必要だといっているのです。いかがですか。広義も狭義も(議事録には)書いていないですよ、そんなことは。あなたがいまになって言い出したことなのです。
首相 当時私が申し上げましたのは、教科書に載せることが、中学生の教科書に載せることが適切かどうかということを申し上げたわけであります。そして私が累次申し上げておりますように、私はいま内閣総理大臣の立場としてこの「河野談話」を継承していると。このように思います。
志位 いまの総理の答弁はまったく不誠実です。(安倍氏は)中学生の教科書に載せることだけを問題にしたのではない。強制性がないといったんですよ。これだけ反省すべきだといったのにあなたは答えない。
強制性の問題については、先ほどいったように、その核心は慰安所における生活にあります。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と「河野談話」で認定しています。これを裏付ける材料は、旧日本軍の文献のなかにたくさんあります。
志位 以前、橋本(龍太郎)元首相あてにある韓国人の被害者のハルモニ(おばあさん)から次のような手紙が送られたことがあります。読み上げたい。
「私は金学順(キム・ハクスン)と申します。一九九一年八月十四日に初めて証言し、日本政府が隠しとおしてきた『慰安婦』問題の歴史的な扉を開けてからもう五年も経ちました。誇らしいことなどひとつもない私自身の過去を明らかにし名のりましたのは、いくらかのお金をもらうためではありません。…私が望むのは、日本政府の謝罪と国家的な賠償です。…三十六年間の間植民地とされた苦痛に加えて、『慰安婦』生活の苦悩をいったいどのようにはらしたらいいとおっしゃるのでしょう。胸が痛くてたまりません。韓国人を無視しないでください。韓国のハルモニ、ハラボジ(おじいさん)に当時の行いの許しを乞うべきではないでしょうか」
首相にうかがいたい。あなたは、「政府の基本的立場は河野官房長官談話は受け継ぐ」とはっきりおっしゃったのですよ。ならば、あなたはこれまで「河野談話」を「根拠は崩れている」と攻撃して、歴史教科書から「従軍慰安婦」の記述を削除するように要求してきた、この自らの行動を反省すべきではないか。
そしてこの非人間的な犯罪行為によって犠牲となったアジアの方々に、とりわけ直接被害にあわれた方々にたいして謝罪をされるべきではないかと私は思います。もう一度、答弁をお願いします。
首相 ですから私が先ほど来、申し上げておりますように、河野官房長官談話の骨子としては、いろいろな苦しみの中にあった慰安婦の方々にたいしておわびと反省の気持ちを表明しているわけでありまして、私の内閣でもそれは継承をしているということでございます。
志位 「河野談話」を継承するといいながら、自らの誤りについての反省をいわない。これでは心では継承しないということになります。
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志位 私は先月、韓国を初めて訪問する機会を得ました。国会議長や与野党リーダーとの会談で、党派を超えて共通して感じたのは、日本帝国主義による三十六年間におよぶ植民地支配への痛みの深さでした。
私は、ソウル市内の西大門(ソデムン)と呼ばれる刑務所の跡の歴史館を訪問しました。この刑務所は日本によって一九〇八年につくられ、植民地支配に反対して立ち上がった朝鮮の愛国者を、残虐極まりない弾圧、拷問、処刑によって迫害した場所であって、館長さんの説明によりますと、一九四五年までの間に約四万人が投獄され、四百人から四千人が亡くなったということでした。そのおびただしい犠牲に慄然(りつぜん)とする思いでした。
日本共産党は、戦前の時代から、日本帝国主義による朝鮮への植民地支配に反対し、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった政党であります。私は、そういう党を代表して、この刑務所で犠牲となった朝鮮の愛国者のみなさんに、敬意を込めて追悼の献花をおこないました。
同時に、私が、韓国のみなさんと交流して共通して感じたのは、二十一世紀の未来に向けて、日本との本当の友好を願っているということなのです。そのためにも日本政府が歴史を歪曲(わいきょく)するような行動をやめてほしいという強い思いです。たとえそれが目をそむけたくなるようなものであったとしても、過去に誠実に向き合い、過去の誤りを真摯(しんし)に認めてこそ、日本は本当にアジアの友人を得ることができるというのが実感であります。
安倍首相も、中国、韓国を歴訪されるとうかがいました。ぜひいいたいことがあります。政治家としての謙虚さというのは、日本が国家として犯した誤りに口をぬぐうことではありません。アジアと日本国民に甚大な犠牲を与えた侵略戦争と植民地支配という歴史の真実に向き合うことです。とくに相手の国に与えた痛みの深さを理解をすることが大切です。ぜひあなたにそういう立場に立ってほしい、ということを強く述べておきたいと思います。
志位 最後に私は、国民の暮らしの問題で、緊急にただしたい、どうしてもこれだけは聞いておきたい重大問題があります。高齢者への急激な負担増の問題です。
今年六月に入って、各市町村から住民税の納税通知書が送付されますと、「税額が昨年に比べると十倍になった。間違いではないのか」「これでは暮らしが成り立たない」など、全国で役所への問い合わせと抗議が殺到いたしました。
これは、小泉前内閣のもとで、所得税・住民税の老年者控除が廃止され、公的年金など控除が縮小され、非課税限度額が廃止されたうえに、定率減税の半減などによって、重なりあってつくられたものです。
住民税が増えますと、それと連動して国民健康保険料や介護保険料も負担増になります。介護保険料は、三年に一度の見直しでほとんどの市町村で大幅引き上げとなっており、二重の負担増となります。
(パネル(2)を掲げる)このグラフをご覧になっていただきたいのですが、これは東京・足立区在住のケースです。年金月額二十万円の一人暮らしのお年寄りの(年間の)税・保険料負担の推移のグラフです。
二〇〇四年度には、合計六万四千円だったものが、二〇〇六年度には、十八万九千円まで急激にふくれあがっています。そして、その増加は今年にとどまるものではない。来年度も再来年度も続き、二〇〇八年度には二十六万八千円までふくれあがります。だいたい(年間)二十万円増えるわけです。月額二十万円の年金暮らしのお年寄りの負担増が。まるまる一カ月分の年金がもっていかれるという、これだけの負担増です。
私たち日本共産党は、ホームページで、「あなたの増税がわかる負担増シミュレーション」という情報提供の活動をやっております。そこにびっしり書きこみが寄せられています。
たとえば、「負担増が年金の一カ月以上になるとは驚きです。これでは一カ月は飲まず食わずで生活しろということでしょうか」。
あるいは、「私は現在七十六歳ですが、二〇〇四年の所得税はゼロ円でした。二〇〇五年は一万五千九百円。今年はなんと七万六千七百十三円です。驚くべき高負担です。その他、住民税、介護保険、国民健康保険などすべて負担増です。もし病をえて入院するようになるとどうなるのか。先行きの不安でいっぱいです」。
総理にうかがいたい。いま高齢者を襲っている負担増というのは、尋常なものではありません。負担が数倍から十数倍にもなる。しかも今年で終わりではありません。来年、再来年と続く。これはあまりに異常で、急激な負担増ではないでしょうか。あまりに耐えがたい負担増ではないでしょうか。そうお思いになりませんか。
尾身幸次財務相 高齢化社会のなかで、現役世代、また高齢化世代が、ともに健康や老後に心配のないような暮らしをしていくためには、負担の公平というものが非常に大事であると考えているところでございます。
そういう観点から、現役世代と高齢者世代の税負担の公平をはかる観点から、平成十六年度の税制改正におきまして、年金課税の見直しをしたところでございます。この際、年金だけで暮らしている高齢者所帯に十分に配慮する措置を講じているわけでございまして、年金を受給する高齢者所帯と、現役の給与所得者の税とを比較いたしますと、同じ収入でございましても、税負担は、現役世代の方が高くなっているという実情にございます。
ちなみに、いまの志位委員の表の、〇六年度の数字で申し上げますと、年金生活者の所得税は六万四千円となっておりますが、同じ収入を得ている現役世代は七万七千円の税を払っております。住民税に関しましては、一万三千円ということになっておりますが、同じ収入を得ている現役世代は四万七千円払っておりまして、税合計で申しますと、同じ収入を得ている高齢者と、同じ収入を得ている給与所得者、現役世代が七万七千円の税と十二万六千円の税というふうに違っておりまして、同じ収入であっても高齢者に配慮して、現役世代の方がはるかに高い税負担ということになっております。
志位 結局、「世代間の公平」ということを長々とおっしゃられたと思うんですけども、私は、お年寄りにたいして税についてもっときちんとした配慮がされるというのがあたりまえの姿で、たとえば介護の問題、そして医療の問題、健康の問題、どれひとつとっても大変な不安を抱えながらの生活です。
私が聞いたのは、これはあまりに異常で急激ではないかと。どんな理由をつけようと。ということを聞いたわけですけれども、答えはありませんでした。
総理にうかがいたい。こういうことをやる一方で、「公平」、「公平」といいますけども、大企業の方の税金はどうなんでしょうか。大企業の方の減税はつづけてこられました。二〇〇五年度の大企業の経常利益は、バブル期のピークの一・五七倍と空前のもうけですよ。ところが税金は、バブルの時のピークの十九兆円から、いまは十三兆円に、法人税収は減っています。
私が本会議で、首相にたいして「空前のもうけをあげている大企業に、もうけ相応の負担を求めるべきではないか」とただしたのにたいして、(首相は)「税制の検討にあたっては、財政の健全化と同時に経済活力の活性化を図り、成長を促進させていくことも重要だと考えており、今後とも企業にたいする課税についてもそうした考え方をふまえて対応していく」と答弁されました。
これは、よりいっそうの大企業への減税を検討するということでしょうか。大企業へのさらなる減税を検討するということでしょうか。経済の活性化のために企業への課税を見直す。こうおっしゃったんです。もっとやるということですか、大企業への減税を。(「財務大臣」の声)。いや、総理の答弁ですから、総理です。
首相 本会議で申し上げましたように、税の中身については、税制改正、また税の抜本的な改革を議論するなかで、よく議論をつめていかなければいかないわけであります。税においては、所得の再配分という機能もございます。同時に、国際競争力ということも考えなければいけませんし、そのなかで企業活動、経済活動を活性化させていくなかにおいて、総体として税収をあげていくということも考えなければいけない。そういうことを総合的に勘案しながら、税制の改正を議論してまいります。
志位 大企業へのさらなる減税について、私はうかがったのですが、否定されませんでした。
自民党は、「長寿世代への税負担増への御不満を聞いて」という文書を配って、こういうふうに言っているんですよ。「いずれにせよ、打出の小槌(こづち)はないのだから、…だれかの負担で賄われている」
しかし、高齢者にはこれだけ急激で耐えがたい負担増をかぶせ、さらに消費税の増税も検討しながら、大企業にたいする大減税は手をつけようとしない。大企業には「打出の小槌」どころか、「打出の大槌」で、大減税の大盤ぶるまいをするというやり方、“大企業に減税、庶民に増税”というやり方をあらためるべきです。とりわけ高齢者への急激な負担増は中止すべきだということを述べて、私の質問といたします。
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結成趣意書(1994年12月1日)
(今日の平和と繁栄は)ひとえに、昭和の国難に直面し、日本の自存自衛とアジアの平和を願って尊い生命を捧(ささ)げられた200万余の戦歿者のいしずえのうえに築かれたことを忘れることは出来ません。(中略)
…我々は、先の大戦や戦後50年のわが国の歩みを振り返り、公正な歴史への認識と誇りに立って内外の転機に対処し、世界におけるわが国の使命に思いを致すことは、国政に与(あず)かるものの責務と痛感します。
運動方針(95年4月13日)
本連盟の結成の趣旨から謝罪、不戦の決議は容認できない。また反省の名において、一方的にわが国の責任を断定することは認められない。(中略)
終戦50年に当り戦後、占領政策ならびに左翼勢力によって歪(ゆが)められた自虐的な歴史認識を見直し、公正な史実に立って、自らの歴史を取り戻し、日本人の名誉と誇りを回復する契機とすることが切望される。
声明(95年6月8日)
与党3党の幹事長、書記長会談において合意に達した決議案は、わが国の「侵略的行為」「植民地支配」を認め、わが国の歴史観を歪めており、われわれは決して賛成できない。
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(抜粋)(1938年1月11日 御前会議決定)日支〔日中〕講和交渉条件細目
一、支那ハ満州国ヲ正式承認スルコト
三、北支〔華北〕及内蒙〔内モンゴル〕ニ非武装地帯ヲ設定スルコト
七、中支〔華中〕占拠地域ニ非武装地帯ヲ設定シ、又大上海市区域ニ就テハ日支協力シテ之カ治安ノ維持及経済発展ニ当ルコト
付記 (一)北支内蒙及中支ノ一定地域ニ保障ノ目的ヲ以テ必要ナル期間日本軍ノ駐屯ヲナスコト
支那現中央政府カ和ヲ求メ来ラサル場合ニ於テハ…帝国ハ之カ潰滅ヲ図リ…
(1940年9月16日 大本営政府連絡会議決定)別紙第三 一、皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏ニ就テ
(イ)独伊トノ交渉ニ於テ皇国ノ大東亜新秩序建設ノ為ノ生存圏トシテ考慮スヘキ範囲ハ日満支ヲ根幹トシ旧独領委任統治諸島、仏領印度及同太平洋島嶼、泰国、英領馬来、英領ボルネオ、蘭領東印度、ビルマ、豪州、新西蘭竝ニ印度等トス
(1943年5月31日 御前会議決定)
「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給地トシテ極力コレカ開発並ヒニ民心把握ニ努ム