2010年1月1日(金)「しんぶん赤旗」

新春連談

ピアニスト 小川典子さん
日本共産党委員長 志位和夫さん

お会いできて もうびっくり

CD頂いてすっかりファンに


 イギリスを拠点に世界をかけめぐる実力派ピアニストの小川典子さん。音楽愛好家でもある日本共産党の志位和夫委員長と、クラシック音楽のことから政治・社会のことまで縦横に語り合いました。


写真

ムソルグスキーの迫力

 志位 あけましておめでとうございます。

 小川 あけましておめでとうございます。政治家の方とはめったにお目にかかることはないんですけれど、以前、「赤旗」に登場させていただいたとき、党本部にうかがい、お会いできるとは思っていなかったのにお会いできた。いつも新聞とテレビで拝見する顔があったので、もうびっくりしてしまって。(笑い)

 志位 その節に、CDをいただきまして、聴かせていただきました。すっかりファンになりました。(笑い)

 小川 ありがとうございます。

 志位 CDは、どれもよかったんですけれど、とくにロシアの作曲家ムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」などのピアノ版、「展覧会の絵」に感銘を受けました。「展覧会の絵」も、ラヴェル編曲のオーケストラの曲のほうがよく演奏されますが、私は、ピアノの方がずっと好きです。

 小川 オーケストラの曲が有名になっていますが、原版はピアノなんですね。オーケストラだと豪華絢爛(ごうかけんらん)になりすぎちゃって…。

 志位 ピアノの方がよけいな装飾はないし、音がずっと重い。ロシアの大地という迫力がありますね。生の魂がむき出しになっているような。ナロード(人民)のにおいがする。すごくいい仕事をされているんだなと思って聴きました。

 小川 ありがとうございます。たしかに音の並べ方などは粗っぽいところがあると思うんですが、ああいう重さ、泥臭さを出した人はいなかったですね。

ピアノの練習は「急がば回れ」

 志位 小川さんの本(『夢はピアノとともに』)には、ピアノの練習の仕方が出てきますね。最初はゆっくり弾いてみると。

 小川 練習の仕方はほんとうに個人差があります。仲良くしている音楽家が、私の家に泊まったとき、「よくここまで辛抱強く練習するね」といわれたんです。私はテンポがゆっくりだし、楽譜を読むのが遅いので、最初に我慢しなければ先に進めないのです。

 志位 最初どんなにゆっくりでも、そこからはじめたら上達しますか。

 小川 しますね。絶対にします。急がば回れです。

 志位 はあー。ゆっくりの練習ね。試してみようかな。(笑い)

勤勉さ保ちながら…いい線いきますね 小川さん

労働時間減らし全面発達する社会に 志位さん

写真

(写真)日本共産党委員長 志位和夫さん

暗譜の重圧から解放されて

 志位 小川さんは、18歳のときに、ニューヨークのジュリアード音楽院に留学すると決心され、単身渡米されたんですね。たいへんな勇気が必要だったでしょう。

 小川 両親は反対しましたけれど。最初はそれほど不安はなかった。家族から離れた寂しさはありましたけれど、それよりなんとかしようという気持ちが強かった。でも、習おうと思った先生がすぐに病気になられて、このままでいいのかなという気持ちになりました。

 志位 そのあと、ロンドンでいい先生にめぐりあえてというお話でしたね。

 小川 小学校のときからピアノの先生が次々と病気になられたんです。だからなんとかして外に出て自分を試したいという気持ちがあったのに、ますますひどい環境になったのは皮肉でした。でも逆に自分はどういう先生を求めているのかということをすごく自覚できたというのはよかったかもしれません。今から思えば、イライラしながら成長しておとなになったのはよかったと思いますね。

 志位 私は高校生の一時期、少しだけピアノを習ったことがあるんですが、暗譜で弾くということを強調されました。ライマーとギーゼキングという巨匠による教則本もあって、譜面を写真で写すようにカシャッ、カシャッと覚えてから練習に入ると。でも、ショパンのころはコンサートでも暗譜ではなかったそうですね。

 小川 そうなんです。楽譜を見ないで弾くと、ショパンがとても怒ったらしいですね。

 志位 そんな弾き方はちゃらんぽらんだと。

 小川 そうそう。いまの時代のように、みんながCDを聴いてよく曲を知っていて、間違えるのがおかしいという状態があると、ピアニストがもつ重圧はものすごいんですよね。こちらも日替わりメニューみたいに、いろいろな曲を弾いているので、疲れているときに、ふっと忘れてしまう恐怖とともに生きるという感じがあって、それで、いまのピアニストたちはわざわざ楽譜を置いて弾きましょうというふうになってきているのです。

 志位 それはいい傾向ではないですか。私は、ピアニストのリヒテルの熱烈なファンだったんですが、リヒテルも途中から楽譜を置いて弾くようになった。リヒテルは「楽譜の全部の符号なんて覚えられるわけがない。安心だし、集中できるし、何よりも誠実です」といっています。楽譜を見ながら弾くのが当たり前の姿に戻れば、ピアニストは暗譜の重圧から解放されて、もっと音楽そのものに向かえるのではないでしょうか。

 小川 そうですね。何でもかんでもすべて覚えなければいけないっていうふうな強い観念からピアニストはもう解放されるべきかなとは思いますね。

 志位 ただ私の場合、ちょっとだけですが暗譜の練習をしたことが、役に立つこともあります。選挙で政見放送というのをやるでしょう。あれは撮り直しがきかないんですよ。

 小川 えっ、そうなんですか。

 志位 NHKのスタジオで収録する政見放送は、1回だけはやり直しが許されるんですが、その場合には、前に収録したものは全部消されてしまうんです。基本的に一発勝負なんです。

 小川 それは知らなかった。

 志位 だからシナリオを暗記しなければならない。そのときには暗譜の練習でやったように、原稿の字面を写真のように覚えてしゃべるんです。テレビでいろいろな数字を話すときも、グラフなど視覚的に覚えると忘れないんです。私の場合、暗譜は、あまりピアノには役立っていないのですけれど(笑い)、政見放送には役に立ちました。

 小川 私は友だちの電話番号も覚えられないくらい数字に弱い。今度、暗譜式でやってみよう。(笑い)

 志位 イギリスでは初見(初めて楽譜を見ること)で、サラサラと演奏ができる人が多いと聞きましたが。

 小川 音楽家の仕事の単価が安いんです。ですから数をこなさないと食べていけない。そういう伝統があるので、短い時間で仕事を仕上げるのが一番重要だとされているのです。初見が早い人がいわゆる「才能のある子ども」とみなされるんです。

 志位 でも、譜面から作曲家の魂みたいなところまで感じとろうと思ったら、よほど楽譜を読み込まないとできないと思いますけれど。小川さんは、そこを、こつこつやっていくことが大事だと書かれていますでしょう。とても共感がもてます。

 小川 イギリスでは、すごく複雑な楽譜を目の前にして、「遊んでいたから、2週間くらいピアノを弾いていないんだけれど、ちょっとやったら弾けたわ」というのが一番格好いいんです(笑い)。でも、「弾きこむ」という言葉がありますけれど、弾いて弾いて弾きこむことで、手も慣れてきて、音にも慣れてきて、「ああ、こうしよう」と到達する境地があると思うんです。日本は一生懸命に練習したことが美徳とされている国ですし、やはり、国民性として努力することがいいと思うんです。

 志位 そちらの方が共感できるし、安心もできます。(笑い)

「思いがけないものが感銘を生む」

 志位 小川さんも、子どものころ、リヒテルを聴いたと。

 小川 一番最初に聴いたのは、日比谷公会堂で、「展覧会の絵」でした。その時一番覚えているのは、舞台に出てきてお辞儀したかと思ったら、もう音が出ていたっていう。それが忘れられないですね。

 志位 私もリヒテルは随分聞きましたが、お辞儀して、いすに座ったと思ったら、もう始まっている。不意に始まるのですね。

 私が愛読している本で、リヒテルが最晩年におこなったロングインタビューなどが収められた本があります(ブリューノ・モンサンジョン著『リヒテル』)。そこでリヒテルは、彼の芸術の核心に迫る秘密を明かしています。リヒテルが、師匠のネイガウスにリストのソナタ・ロ短調を教えてもらったときに、この傑作のもっとも重要なものは、曲のなかに散在する「沈黙」だと。どうすれば沈黙が「響かせられる」か。リヒテルは考えて、一つの策略を編み出した。この曲の出だしです。そこには「ソ」の音しかないわけですが、それを何か非常に特別のものであるかのように響かせるにはどうしたらいいか。

 リヒテルはこういっています。

 「私は舞台に登場します。腰を下ろしたあと、身じろぎひとつしません。心のなかで一、二、三、……と、非常にゆっくり三十まで数えます。聴衆はパニックに陥ります――『いったいどうしたんだ。気分が悪いのか。』そのとき、そのときはじめて、ソを鳴らします。こうしてこの音は、望んだとおりに、まったく不意に鳴るのです。……不意打ちの感覚を誘発することが肝心なのです」「不意なもの、思いがけないもの、それこそが感銘を生みます」

 これはたいへんに印象的な言葉です。

 小川 そうだと思いますね。演奏でも新しい新鮮なアイデアをどう出して、どう入れるか。強弱なしでずっと同じトーンで弾いているのではなくて、音楽がもっている抑揚やリズムを使って表現する。日本語には「間」という言葉がありますけれど、現代音楽の作曲家である武満徹さんは音楽でも「間」ということをおっしゃっています。

 志位 そうですね。私の仕事は、話すことが多いわけですが、新しくまとまった話をする場合には、「不意なもの、思いがけないもの」――新鮮なものをどう語ることができるか。それが一番の苦労です。聞いてくれるみなさんが、「これは新鮮だな」と思って心に残るような話を、一つでも二つでも入れていきたい。聞く前から「話の筋がわかっている」ということではなくて。これは言うはやすし、行うは難しで、努力目標ですが。(笑い)

 小川 私もピアノを弾いているとき、そういうコミュニケーションを大切にしています。でも、私たちの演奏会はいやならもう二度ときていただかなくても結構、それで終わりますけれど(笑い)、政治家の方の場合は、そうはいかないわけですから。とくに、委員長の場合は背負っていらっしゃる責任の重さが、私などとは決定的に違いますよ。

こんな「働かせ過ぎ」はよくない

 志位 ところで、日本の政治は、昨年、長らく続いてきた自民党と公明党の政治にとうとう退場の審判が下りました。これは歴史的なことだと思います。国民は自分たちの一票で政治を動かしたという、たいへんな政治的体験をしたわけですよね。

 小川 そうそう。

 志位 私たちは、これまでの自民党政治は、外交面ではあまりにひどい対米従属をやってきた、内政面では大企業・財界の横暴がひどすぎる。この「二つの異常」を特徴とする政治が文字通り行き詰まっているとみています。そして、この異常をただして、ほんとうに「国民が主人公」といえる新しい政治に進むのが必要だと訴えています。

 いまの状況は、国民は自公政権を退場させたが、それではそれに代わるどういう新しい政治が必要なのかについては、“探求の旅”が始まったところだと思います。日本国民自身が主権者として新しい日本をつくる力をつけるのを、後押しし、促進するのが、日本共産党の仕事になる。1月13日から始まる第25回党大会では、そういう立場から、日本の進路と私たちの仕事について明らかにしたいと思っています。

 小川 私は職業柄、いろいろな国に行くし、外国に住んだ経験も長いわけですけれど、一番感じるのは日本人ほど一生懸命働く、働こうという気持ちのある人たちは、ほんとうにみたことがないんです。この哲学はまれにみるというか、ほかに例がないといってもいいと思うんです。国民一人ひとりが、机に向かって、あるいは道路や鉄道の整備で働いてこれだけのことをやったということで、この国を動かしているということをもっと自覚した方がいいと思います。外国の人々は日本人ほど勤勉ではないし、不便も多いんです。日本では、すごく欧米志向が強いけれど、いろいろな人が夜遅くまで働いて、日本はここまで立派になったということをいってほしいと思います。

 志位 なるほど。たしかに、私も、勤勉さはいいことだと思います。けれども、労働者の勤勉さをいいことに、働かせすぎていることはよくない。

 小川 あっ、働きすぎなんですか。

 志位 たとえば労働時間は、日本はだいたい年間1800時間から2000時間くらいでしょう。そのうえ、「サービス残業」というただ働きがあります。厚生労働省が決めている「過労死水準」というのがあるのですが、「過労死水準」をはるかに超えて働かされている労働者が多数で、実際、痛ましい「過労死」が後を絶ちません。「過労自殺」もある。メンタルヘルスの問題で悩んでいる方もたくさんいる。たしかに日本人が勤勉で努力し頑張っていることは、すばらしい美徳だと思うけれども、大企業が働かせすぎていることは大問題だと思うのです。ヨーロッパは、年間1500時間から1600時間くらいでしょう。

 小川 ええ。イギリスはヨーロッパ内ではちょっと多いといっていますね。

 志位 日本は、ヨーロッパに比べて年間400時間は長く働いている。一生で40年間働くとすると、1万6000時間も長い。1日24時間で割って、666日分です。ヨーロッパよりまるまる2年も余計に働いている計算です。

 小川 睡眠時間を入れたら4年近くになりますね。

 志位 そうですね。24時間まるまる働いたとしても2年以上余計に働いている。どちらがハッピーな社会でしょうか。この原因は、日本に残業時間の法的規制がないところにあるんです。

 小川 ないんですか。

 志位 ええ。ヨーロッパだったら、どの国でも所定内労働時間だけでなく、残業時間も何時間というふうに法律で決まっているわけです。ところが、日本の場合は、労働時間が8時間と決まっていても、残業は、労使間の協定(36協定)で決めたら、いくらでも青天井にできるとなっているのです。法律で残業の規制がないのです。

 小川 それでこんなに働かされて。

 志位 これは決して正常な状態じゃないと思います。家族だんらんで食事をすることもできない、自分の趣味を楽しむこともできない。それはやはり人間の豊かな発達の可能性を奪っていると思います。

 小川 そうですよね。

たたかいでルールをつくった歴史

 志位 労働時間規制を最初に実現した国はイギリスですよね。19世紀中ごろに10時間労働制ができた。マルクスは「労働者の半世紀にわたる内乱をへてつくった」と有名な言葉を残していますけれど、それまで無制限だった労働時間が、労働者の大闘争をへて10時間労働制になった。資本家は会社が儲(もう)からなくなると抵抗したけれど、実際には労働者の健康がよくなり、経済も活発になって、イギリス資本主義は空前の発展をするわけです。

 フランスでも1930年代に人民戦線政府というのがつくられて、バカンスの制度を勝ち取りました。そういうふうに自分たちでたたかい取った権利だから、やすやすと手放さないし、断固として有給休暇はとるし、残業なんかはそう簡単には受け付けない。労働者の権利をみんながたたかいとってきたという伝統があるのではないですかね。

 小川 私は個人事業主なので、いただいた仕事をなんでもかんでも引き受けても、私一人の決心ですけれど、体がだめになるまで働かされる方は、実際本当におられますからね。

 志位 私たちは、社会主義・共産主義の社会をめざしていますが、私たちのめざす未来社会の一番大事な点は、労働時間を短くして、すべての人間が全面的に発達することができる自由な時間を豊かにすることだと考えているんです。自由な時間で、すべての人が音楽や美術や文学や科学やスポーツや、それぞれの潜在的能力を全面的に発展できるような社会が理想なんです。

 人間はいろいろな才能をもっています。小川さんは特別に音楽の才能をもっていらっしゃるけれど、そういう人は実はもっとたくさんいるはずでしょう。

 いまとりくんでいる労働時間短縮の運動は、その第一歩としてとても大切です。夕食は家族だんらんでゆっくり食べる。バカンスを何週間という単位でゆっくりとる。そういうなかで、人々がもっている力を、いろいろな形で発揮できるような社会をめざしていきたい。

 いまの日本では、音楽一つとっても、忙しくてコンサートにもいけない。チケットも高いですしね(笑い)。これだけすばらしい芸術があっても、それが庶民のものになるかというと、まだごく一部です。これだけすばらしい人類の財産を、全国民が楽しめる社会にしていく必要があると思います。

写真

(写真)ピアニスト 小川典子さん

 小川 ところが働いている人たちは寝る暇もないほど働いて、でも一方で働けない人もすごくたくさんいる。皮肉ですね。

 志位 本当にそうです。働く人は働きすぎで、「過労死」寸前になっているか、派遣労働のような「使い捨て労働」です。そうでなければ失業です。失業率は5・2%で最悪水準です。私たちは、労働時間を短くして雇用を増やそうと主張しています。非正規雇用の人は正規雇用にしよう。そうすれば失業問題も解決する。それから最低賃金もうんとあげる。そういうことを社会全体でやっていくことが必要ですね。

 小川 そうなってもらうといいですね。私の知り合いには、失業中の人もいるし、過労で亡くなった人もいる。心を病んでいる人もいる。実際、日本社会の縮図が身近にもあります。

 志位 イギリスでは「過労死」って聞かないでしょう。

 小川 「過労死」はないと思いますね。「過労死」は「カロウシ」(英語の発音で話す)って英語になってます。「ヒキコモリ」、「カラオケ」もそうです。

 志位 もう一つ、働かせ方の問題として、日本では、派遣労働のような短期契約の非正規雇用が一大社会問題になっています。今年も、昨年の「年越し派遣村」以上に深刻な状態になっています。昨年末の「公設派遣村」の状況を聞くと、証券会社の契約社員をやっていた方が、「昨年はテレビで『年越し派遣村』をみていた。『気の毒な人たちがいるものだ』と思っていたら、今度は自分がそうなった」との話です。

 いまの日本は、正社員で働いている人を含めて「板子一枚下は地獄」みたいな社会になっている。これはなんとしても変えないといけない。正社員が当たり前の社会にする。雇用保険を充実して、かりに失業しても次の職が得られるまでは十分な期間、失業給付が出るようにする必要があります。

 小川 ほんとうにそうだと思いますね。

 志位 ヨーロッパでは、失業給付の期間は2年から3、4年はあるでしょう。

「あなたのせいじゃない」という英国社会

 小川 たしかに長いと思いますよ。イギリスは本当に住みやすい国とはいえない場合も多いのですが、私が一番感心するのは、恵まれない人たちとか何かきつい場面にぶつかっている人に対しての慈しみの気持ちが本当に強い国だと思うんです。仕事を失ったのも、「あなただけのせいじゃない」んだという言葉で、みんなが接します。日本ではどうしても「自己責任」という言葉が強い。派遣労働だといっても、あなたのせいだろうとか、体の不自由な点があっても何かがあったからではないかとか、そういう妙な点があります。イギリスではその点は意識的に変えていったみたいですね。

 志位 そうですね。日本の場合、「自己責任」ということが前からいわれていましたが、「小泉・竹中改革」のときにそれがひどく横行して、正社員になれないのも「自己責任」、貧しい家に生まれたのも「自己責任」だとやられた。これでは、つらいことがあっても声を出せなくなりますよね。そうではないんだといえる社会、社会的連帯が強い社会は、これは一歩すすんだ社会だといえると思います。そしてそれは、人民のたたかいがつくってきた結果だと思うのです。

 小川 それはたしかにあると思いますね。西洋人は一人ひとりが口うるさいですからね。(笑い)

 志位 一人ひとりが口うるさい社会が、私はまともな社会だと思いますよ。(笑い)

 小川 いまもそういう運動はやっていますね。たとえばアフガニスタン戦争で息子さんをなくされた一組の夫婦が起こした運動が広がったとか、子どもに障害があるお母さんたちが集まって、大きな団体になるとか。本当に最初は小さいですけれど、一人ひとりが声を出して大きな運動になっています。

 志位 ヨーロッパでは、学費が高すぎるといえば、高校生や大学生が何万人というデモが起こるでしょう。ひどいことがあったら、社会の側から反撃が起こります。日本の場合、ようやく最近、そういうたたかいが起こってきました。

 小川 今回の選挙で一票を入れたら、動きがあった。これをとっかかりに、やっぱり声を出していってほしいと思いますね。

別人のように目が輝く

 志位 日本でも「自己責任」論の呪縛(じゅばく)から解放されて、たたかいに立ち上がった労働者がたくさん生まれたというのはすごく大きな成果だと思っているんです。昨年1年間をみても、不当な「派遣切り」にあった人たちが許せないと声をあげ、労働組合をつくったり、裁判をやったりとたたかっている。これはすごく大きな一歩だと思うのです。それから、やはり人間というのは変わるなーと思うんです。

 小川 どういうことですか。

 志位 私は、国会で派遣問題をとりあげたとき、各地の派遣労働者の方に話をうかがうんですが、最初は疲れ切っていて、どうやって声をかけていいかわからないくらいの場合も多い。ある派遣労働者に「あなたの希望を聞かせてください」といいましたら、その人は「希望がないんです」というのです。ところが半年たってどうなったか聞いてみたら、その人が労働組合のリーダーになって元気いっぱい頑張っているんです。

 マルクスは『資本論』のなかで、10時間労働制をかちとったことについて、労働者が自分の命や生活守る「社会的なバリケード」をかちとったと書いています。そして、このたたかいをつうじて、労働者自身の姿が変わるという言い方をしています。「自己責任」論のなかでもがいて、つらい状況だった人も、たたかいに足を踏み出すことで、人間らしさ、労働者としての誇りを取り戻していく。別人のように目が輝いてくる。

 小川 ほーっ。

 志位 不当なことに負けないたたかいが日本でも始まっていることが大事です。ヨーロッパは、国によって違いもあるし、規制緩和という逆流もありますが、自分たちがたたかってルールをつくってきたという自信を、国民全体がもっているんだと思うんですね。私たちは、日本でその仕事をやらなくてはいけないと考えています。

 小川 私たちがもっている勤勉さを保ちながら、それをやったらかなりいい線いくと思いますよ。(笑い)

 志位 いい線いきますよ(笑い)。勤勉さはいいことですから。日本人は勤勉なわけですから、もっと短い労働時間でも、社会の仕組みをかえたら、ずっと豊かな社会になるはずなんですよ。

 小川 そうですよね。

最大の「埋蔵金」はどこにある?

 志位 これだけひどい条件で働かせて、お金はどうなっちゃったのか調べてみたら、いま日本の企業は、内部留保といって、ため込み金が400兆円あるんです。そのうち半分は大企業がため込んでいるお金です。しかも、この内部留保、この10年間でとくに急増して200兆円から400兆円に膨らました。同じ10年間に勤労者の所得(雇用者報酬)は、280兆円から253兆円に27兆円も減らした。所得が10年間で1割も減った国というのは「先進国」のなかで日本しかないんです。

 小川 すごい。

 志位 働かせすぎて吸い上げたお金を、社会を豊かにするために使わないで、ため込み金、はやりの言葉でいえば「埋蔵金」になっている状況なんです。いま日本は需要と供給のギャップが40兆円あるといわれています。40兆円も需要不足なんです。需要が足りないから、物価もさがり、持続的に物価が下がる「デフレ」になっている。需要の中心は家計です。家計をどうやって支えるかといったら、大企業がため込んだ200兆円のお金を社会に還元するルールをつくっていくことが大切です。それをやらないと、国が財政出動するだけでは、どうにもなりません。そういう大きな政策転換が必要なんです。ちょっとややこしくなりましたけれど。(笑い)

 小川 いえいえ、とてもよく分かりました(笑い)。大企業のように、たくさんのお金をもっていると、もっとほしくなっちゃうんですね。(笑い)

 志位 そうですね(笑い)。それが資本主義というものでして、マルクスは、資本主義の最大の矛盾は、「利潤第一主義」だといっています。要するに儲けのためだったら、「後は野となれ山となれ」ということが資本の本性だといったことがあるんだけれど、そこに資本主義の大きな限界があります。それをまずは資本主義の枠内でも、ルールをつくることによって、コントロールしていく。


今年の抱負

心穏やかに希望をもてる社会に (小川さん)

参院選で必ず勝利したい (志位さん)

 志位 小川さん、今年の抱負はいかがですか。

 小川 私は外国に出ていますけれど、本当にしょっちゅう日本に帰っているので、本当に一人ひとりが、心穏やかになれる1年にと思います。どんな家も心配事はあるんだから、せめて何か希望をもっていけるような1年になるといいなと。いろいろと問題はあるけれど、日本という国はイギリスで本当に尊敬されているんです。それなのに母国ががたがたしているのはちょっと。もう少し真に成熟した社会になるといいですね。

 志位 音楽の方はいかがですか。

 小川 音楽の方は、やはり健康で弾いていくということですね。それから今年の抱負というより、もう少し長期的な目標ですけれど、最近、声楽家の鮫島有美子さんとご一緒させていただく機会が増えて、歌の呼吸、言葉のもつ力、言葉と音楽が一緒になったときの魔力というのにびっくりしました。武満徹さんの「ソング」という曲集があるんですけれど、鮫島さんの日本語力がすばらしいので、伴奏していて泣きそうになるんです。そういう歌と一緒に弾くという新しい境地をやってみたいなと思います。志位さんの抱負はやっぱり――。

 志位 やっぱり選挙に勝つことです。なんとしても今度の参院選は勝とうと決意しています。昨年の総選挙で、民主党は、政治の中身抜きでも「政権交代」といいさえすれば、選挙に勝てるという状況もあった。しかし、今年の参院選は、いよいよ政治の中身が問われることになると思います。中身を考えてみようとなると、アメリカいいなりという問題と、財界中心という問題が、国民の要求との関係でよくわかるようになりつつあるんですね。たとえば、沖縄の普天間基地の問題で、新政権がフラフラする根本には、アメリカの海兵隊が「抑止力」として必要だという議論と、「日米安保条約があるから」という議論がある。つまり、安保条約をこのまま続けていいのかという問題にすぐぶつかるんです。こういう関係が、昨年よりずっとはっきりみえる年になると思います。だから、私たちが頑張れば躍進できるし、躍進をかちとりたいと思います。

 小川 ほんとうに頑張ってください。いま新しい政権になったけれども、いままでの政権のちょっと親せきみたいな感じの政党なので。(笑い)

 志位 親せきですか(笑い)。ほんとうですね。

 小川 共産党のみなさんは、そういう意味では、一番冷静な目で私たちの行方をみてくださるんじゃないかなと私は思います。私の父は仕事の関係で共産党の政治家の誠実さにふれ、感動した経験をもっています。また、私の中学時代の恩師(国語)は、長年「赤旗」の読者で「エリザベス」連載(2009年5月14日付から6回)を喜んでくれました。

 志位 ありがとうございます。ピアノの練習の仕方も小川さんに教えていただいたので、少しはまじめに練習してみようかなと。(笑い)

 小川 今度、シューベルトの「幻想曲」を連弾しましょうか。

 志位 それは光栄です。連弾は、小川式練習法で、はじめはゆっくりから、よく練習してからにします。(笑い)


 おがわ・のりこ ピアニスト。1987年リーズ国際コンクール3位入賞。ロンドンと東京を拠点に活動し、国内外の主要オーケストラとも多数共演。1996年武満徹ピアノ作品集の録音以来、北欧最大のレーベルBISと専属契約を結び、22枚のCDをリリース。ノルウェー、シンガポール、ニュージーランド、香港への演奏旅行、CD録音など国際的な活動を展開。自閉症児・障がい児の家族のための「ジェイミーのコンサート」を主宰。エッセー集『夢はピアノとともに』。


 しい・かずお 1954年千葉県四街道市生まれ。現在、日本共産党幹部会委員長、衆院議員(6期目)。全国革新懇代表世話人。東大工学部物理工学科卒業。党東京都委員会、中央委員会勤務を経て、書記局長などに就任。2000年の第22回党大会で幹部会委員長。著書に『日本共産党とはどんな党か』『決定的場面と日本共産党』『人間らしい労働を―たたかいで道を開こう』など。