2010年2月22日(月)「しんぶん赤旗」

東京選挙区 小池参院議員の事務所開き

国民の苦しみに寄り添い、現実政治を動かす

小池さんの議席は「宝の議席」――
首都・東京の代表として必ず国会へ

志位委員長のあいさつ


 「宝の議席」「絶対に勝たせよう」。19日に開かれた小池晃参院東京選挙区候補(党政策委員長)の事務所開きは、たぎるような熱い思いが次々と出席者から語られました。会場で大きな拍手をあびた志位和夫委員長のあいさつ、小池候補の決意を紹介します。


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(写真)あいさつする志位和夫委員長

 今日は、こんなにたくさんの方々が小池晃事務所開きにおこしいただきまして、ほんとうにありがとうございます。日本共産党の志位和夫でございます。

東京都民、日本国民にとってのかけがえのない「宝の議席」

 小池さんと私とは、小池さんが医学生のころからの、ずいぶん前からの付き合いですが、当時から仲間に慕われ、肝っ玉のすわった(笑い)、学生運動のリーダーとして活躍していました。卒業後、医師として経験をつみ、その後、2期12年にわたって参議院議員として、そしていまでは、わが日本共産党が誇る政策委員長として大活躍しております。

 その小池さんが、これまでの比例代表から、今度は東京選挙区という大激戦区で勝利を目指してがんばります。

 小池さんが東京選挙区でたたかうということになり、東京のあちこちから、「これ以上ない素晴らしい候補者を得た」という大きな歓迎の声がおこっております。東京だけではありません。私の地元は千葉県ですが、昨日、千葉県医師会のみなさんと懇談する機会がありまして、県と各市の医師会長さん、これまで自民党を支持してこられた方も含めて勢ぞろいされて、親しく話し合いました。

 「自民党政治の壁が崩れて見晴らしが良くなったら共産党が一番近い」という声がつぎつぎに出されました。この懇談の席で、私が、それぞれの都市の医師会長さんにごあいさつをして回りますと、次々と声がかかってきまして、「志位さん、小池さんを絶対に落としてもらっちゃ困りますよ。今度は、東京選挙区だそうじゃないですか」という声であります。そういう声が党派を超えて千葉県でも起こってきています。

 私は、それを聞いて、小池さんの議席というのは、本当にひとり日本共産党の議席じゃない、東京だけの議席でもないと痛感いたしました。これは東京都民全体の議席であり、日本国民にとっても絶対に落とすわけにはいかない「宝の議席」だと心得て、私たち日本共産党は勝利のためにありとあらゆる力をつくして頑張りぬきますので、どうか温かいお力添えをよろしくお願いいたします。(大きな拍手)

現実政治を動かす力をもった大きなスケールの政治家

 小池さんは、現実政治を動かす力をもった大きなスケールの政治家であります。その活躍の分野は、社会保障や雇用から平和と民主主義まで、あらゆる分野に及んでおりますけれども、そのなかで一つ、私がご紹介したいのは、後期高齢者医療制度に反対する論陣であります。

 小池さんは、この問題がもちあがった最初から、この非道な制度への徹底した「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵」といいますか、そういう立場でこの制度の追及をしてきました。思い起こしてみますと数々の名場面があります。

 2006年に法案が出たときの議事録を読んでみますと、「差別医療」「姥(うば)捨て山」という言葉で本質をずばり突く論戦が残されています。

 そして2008年の4月に制度が実施されましたが、直前の3月の論戦では、厚労省が出した文書に後期高齢者の特徴づけとして三つあげていた。「病気が長引く、認知症が多い、いずれ亡くなる」――こういう冷酷非情な特徴づけがあるかと、文書をかざしながら中止を求めました。

 導入が強行された直後の2008年秋の国会では、厚労省が図解入りの後期高齢者医療制度の説明の文書を出したのです。「姥捨て山行き」のバスの図なんです。これを小池さんがパネルにして、このバスはストップさせよと迫りました。こういう追及を積み重ねて、とうとう自公政権を退場に追い込んで、もうこれはなくそうじゃないかという審判が下ったじゃありませんか。

 ただそのあと、新政権になりましたら、なくすのを先に延ばすんだ、4年後なんだということになりまして、小池さんはさらに昨年の秋、新政権にたいして、「いっしょに撤廃の法案をだしたじゃないですか」と鳩山首相に詰め寄った。首相も「私も信じられない制度」だと。そうしたら小池さんが鮮やかに切り返して、「信じられない制度をつづけようというあなたが信じられない」(笑い)と、きびしくやりました。

 この制度を速やかに撤廃するたたかいは、これからが大切ですが、大きな流れとして制度を撤廃させるという流れをつくってきたことは動かせません。その先頭にたって、現実政治を動かしてきたのが小池さんです。どの分野でも、現実の熱い政治に切り結び、現実の政治を動かしてきた力ある政治家が小池さんです。この議席は、日本の政治を前に動かすうえで絶対に失うわけにはいかない。どうかよろしくお願いいたします。(拍手)

「人々の苦しみのあるところに小池あり」

 小池さんの論戦や演説はとっても切れ味鋭いんですけれども、なんともいえない温かい雰囲気があるんですね。テレビでも、小池さんの顔が画面に出てきますと、ユーモアの湯気がたっているような(笑い)、そんな感じになりますでしょう。

 この温かい雰囲気がどこから出てくるかと考えますと、「人々の苦しみのあるところに小池あり」、ここにあると思います。苦しんでいる人々のところに、小池さんはどこへでも出かけていきます。苦しみに耳を傾けます。それに心を寄せます。そして、その代弁者として頑張りぬく。

 これが小池さんの一貫した政治姿勢にあるところから、あの温かい雰囲気が生まれてくるのだと思います。そして、国民の苦難の軽減のためにたたかうという政治姿勢というのは、日本共産党の根本的な存在意義そのものなのです。それを政策委員長として体現して頑張っているのが小池さんです。

 小池さんは、アフガニスタン戦争が起こったときに隣の国のパキスタンに行きました。そこで、爆撃で大けがをした少年の写真を撮って、国会でこんなことが許されるのかと追及しました。小池さんの首には聴診器がぶら下がっていた。たいへん鮮烈に覚えています。

 「年越し派遣村」のさいにも、小池さんは現場に毎日のように通いました。私も現場にいきましたが、いつも小池さんが頑張っている。職を失い街に放り出された労働者の一人ひとりの声を聞き、相談にのり、聴診器をもって診察までやりました。

 本当に困っている方々の声を代弁する、そこからあの何とも言えない温かさとユーモアが出てくるのではないでしょうか。

政策委員長として――現場の声をすくい上げて政策をつくる

 党の政策委員長としての仕事も、そういう仕事の仕方をしています。たとえばわが党は「農業再生プラン」というのを出しまして、たいへん評判を呼びまして、いま全国の農協の方々とそれを持って懇談をしておりますけれども、それを中心になってとりまとめたのは小池政策委員長です。

 どうやってつくったかといいますと、全国の農村をずっと回り、農家を一軒一軒訪ね、どんな具合ですか、米価はどうなっていますか、などと実態をずうっと聞いて、政策をつくり上げました。日本共産党は、政策をつくるのに机上の仕事はしておりません。現場のみなさんの声に耳を傾け、それをすくい上げて政策をつくっております。小池晃さんは、そういう仕事をすすめる責任者としても大きな役割をはたしています。

比例代表でも、選挙区でも、勝利にむけた大波を

 みなさんに心からお願いいたします。小池晃さんの「宝の議席」をなんとしても首都・東京の議席として守り抜かせていただきたい。上田耕一郎さん、内藤功さん、緒方靖夫さん、井上美代さんなど、多くの方々がかちとってきた首都の議席を必ず小池さんで復活させていただきたい。

 このたたかいは激しいたたかいになるでしょう。勝利のために、比例代表で日本共産党支持の大波をつくりだし、田村智子さんをはじめ5名全員勝利の流れを東京からおこしながら、小池さんの魅力を全都民に広げに広げ、どんな組み合わせになっても、やるべきことをやりきって、必ず勝利をつかむために頑張りぬきますので、みなさんの絶大なご支援を、比例では日本共産党、東京選挙区では小池晃さんにたまわりますことを、重ねてお願いいたします。ありがとうございました。(大きな拍手)