2011年7月21日(木)「しんぶん赤旗」

「綱領教室」 志位委員長の第6回講義

第3章 世界情勢―20世紀から21世紀へ(1)

世界情勢ぎゅっと凝縮


 志位和夫委員長の「綱領教室」は、19日の第6回から綱領の第3章「世界情勢――20世紀から21世紀へ」に入りました。

 最初に、綱領の新しい世界情勢論の特徴について話しました。

世界を発展と連関のなかでありのままにつかむ

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 1961年につくられた前の綱領の世界情勢論は、当初、世界を帝国主義陣営と反帝国主義陣営の対決としてとらえる「二つの陣営」論をベースにしていました。そこには、反帝国主義陣営に覇権主義のソ連も含まれるなどの問題点がありました。志位さんは、新しい綱領がこの「二分法」を全面的に清算するとともに、「全体を貫いているのは、20世紀に進展した人類史の巨大な変化を分析し、21世紀の世界の展望を発展的にとらえるという立場です。世界を発展と連関のなかでありのままにつかむ。ここに綱領の世界情勢論の生命力があります」と強調しました。

 この章の解説にあたって「綱領にそって逐条的にすすめたい」とのべた志位さん。「文章は短いけれども、大切な内容が凝縮されています」と、段落ごとに区切りながら、一文ずつ丁寧に読みすすめていきました。

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 第一の変化、植民地体制の崩壊についてのべた第2段落。「百を超える国ぐにが新たに政治的独立をかちとって主権国家となった」と読み上げたところで、「これが20世紀の最大の変化であり、世界の構造を変えた変化でした」と語りました。国際社会で「独立国」として構成員と認められた国が「26」(1899年)から「193」(2011年)へ増えたことをホワイトボードで紹介しながら、国連総会の宣言などを手がかりに、「民族自決権」が公認の大原則になっていった歴史的経過をたどりました。

 最初にあげた契機は、ロシア革命(1917年)時にソビエト政府が発表した「平和についての布告」です。無併合、無賠償の即時講和をかかげ、植民地を含めたすべての民族の自決権を宣言し、「世界各地で民族解放の運動が高まるなど、世界史に巨大な影響を与えました」。

 第2次世界大戦を経て、国際連合が創設(1945年)され、国連憲章に「人民の同権及び自決の原則の尊重」が書き込まれます。しかし、この時点では、国連創設国に植民地大国が含まれていたことから、「自決」に“植民地人民の分離の権利を含まない”という事実上の了解がありました。志位さんは「この制約をのりこえたのは、民族独立をめざすアジア・アフリカの人民のたたかいでした」と解説しました。

 45年にオランダの植民地だったインドネシアから始まった民族解放運動の波のなかで、「民族自決権」を国際政治の大原則として、「最も太い文字で書き込んだのが、55年の『アジア・アフリカ会議』(バンドン会議)でした」。同会議には29カ国の代表が集まり、植民地主義が「悪である」と断じ、すべての植民地の独立、自決の権利を高々と掲げ、世界に宣言しました。

 志位さんはさらに、独立の波の広がりをアフリカに追います。60年には1年間で17カ国が独立し「アフリカの年」と呼ばれました。その動きを受け、同年暮れに国連総会で採択された「植民地独立付与宣言」を紹介。「ここではじめて、植民地を許さない国際秩序が確立しました」と意義づけました。

 最後にあげたのは、ヨーロッパ諸国の奴隷制と奴隷貿易を「人道に対する罪」とし、「植民地責任」を提起した2001年の「ダーバン宣言」です。「植民地主義と植民地犯罪は、『どこであれ、いつであれ』非難され、謝罪と補償が求められる。イタリアやオランダは謝罪している。世界はついにここまで来ました」と感慨を込め語りました。それと対比して「韓国併合」を「不法」といまだに認めない日本政府の態度に言及すると、会場からため息がもれました。

 「21世紀は、国の大小で序列化されない世界になりました。すべての国が対等・平等の資格で、国際政治の主人公になる時代を開いた」と力説し、一例として、昨年のNPT(核不拡散条約)再検討会議で、途上国、新興国の代表が会議をリードした見事な働きぶりを紹介しました。

民族自決・国民主権・戦争の違法化は世界の主流

 つづいて第二の変化にすすみ、綱領の第7節の第3段落へ。「国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある」

 志位さんは、20世紀初頭には主権在君が主流だったが、現在は国連加盟193カ国中30程度にとどまること、女性参政権は1900年の1カ国(ニュージーランド)から、2010年の189カ国まで大きく広がったことを紹介しました。そのうえで、「20世紀を、人権の発展からも見てみたい」と、人権の内容が「自由権」「社会権」「自決権」「発展権」と豊かになってきた経過を追跡しました。

 1966年に採択された国際人権規約では、社会権規約・自由権規約の共通第1条に自決権が明記されていることを示し、「自決権が、あらゆる人権保障の前提と位置づけられ、人権概念が豊かに発展しました」と指摘しました。

 さらに、「人権としての発展の権利」を明確にした86年の国連総会での「発展の権利に関する宣言」とともに、93年の「ウィーン宣言」の重要な意味について解説。人権について、(1)国家的な独自性や歴史的な背景を「考慮にいれなければならない」が、(2)「すべての人権及び基本的自由を助長し保護することは、政治的、経済的及び文化的体制のいかんを問わず、国家の義務である」とした意義を明らかにしました。「わが党は、世界の人権問題に対して、この二つの原則でのぞみたい」と語りました。

 つづいて、中東の民主的変革のうねりをどう見るか、三つの角度からのべました。(詳報は2面)

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 綱領第7節の最後の段落、戦争の違法化が世界史の発展方向として明確になった第三の変化にすすめた志位さん。「平和の国際秩序」が、国連創設の初期の「五つの大国の協調による平和」から、米ソ対立で国連が機能不全になった時代を経て、国連総会が力を発揮して超大国が批判される時期にすすみ、さらにイラク戦争反対の世界的たたかいの歴史的意義を強調。「国連憲章のルールを守ることが世界の大問題となりました。国連を無視した単独行動は簡単にはできない。ここに国際政治の重要な到達点があります」と力説しました。

 植民地体制の崩壊、国民主権の民主主義、戦争の違法化という20世紀に人類が起こした三つの偉大な変化は、「そのどれもが抑圧とたたかう無数の人民のたたかいによってつくられた変化でした。21世紀の世界は、この巨大な変化のうえに存在していることをしっかりとかみしめたい」とのべました。

 そして、日本共産党の存在と活動は、この変化を促進するもので、1922年の創立当初から、植民地解放の旗、国民主権の旗、反戦平和の旗をかかげ、「わが党の存在と活動は、20世紀から21世紀にかけての人類社会の偉大な歴史的進歩における、不滅の一部となっています」と、講義をしめくくりました。

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 最後に、受講者全員に「ぜひ、綱領の文章を読み通してください。新しい発見が、綱領そのもののなかにあります」と語りかけました。第3回中央委員会総会が提起している、党の支部会議で綱領そのものをテキストとしてとりくむ「綱領講座」への挑戦をよびかけました。