2011年11月12日(土)

橋下・独裁政治「ノー」の審判を

府民の共同で民主主義を守ろう

大阪知事選 志位委員長の訴え


 大阪市長選(13日告示)と同日投票(27日)となる大阪府知事選の告示日の10日、日本共産党の志位和夫委員長が、大阪市のなんば・高島屋前でおこなった訴え(要旨)を次に紹介します。


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(写真)街頭演説する志位和夫委員長=10日、大阪・難波

独裁政治を許すのか、大阪の民主主義を守り抜くのか

 大阪のみなさん、こんばんは(「こんばんは」の声)。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫でございます。(拍手)

府知事選――「独裁ノー」の審判、「府民が主人公」の府政を

 大阪と日本の命運にかかわる大阪ダブル選挙が始まりました。今回の選挙は、これまでとはまったく様相が違うたたかいとなっています。その最大の争点は、橋下・「維新の会」による独裁政治を許すのか、それとも府民の共同の力で大阪の民主主義を守り抜くのか、ここにあるということをお訴えしたいと思います。(拍手)

 大阪府知事選は、有力3人のたたかいとなっていますが、1人は、橋下・「維新の会」、もう1人は、出馬会見で「橋下改革の継承」を公言した人です。橋下・「維新の会」の独裁政治ストップ、この旗印を堂々と掲げているのは「明るい民主府政をつくる会」だけであります。(拍手)

 みなさん。「独裁ノー」の審判を下し、「府民が主人公」の府政をみんなの力でつくろうではありませんか。(拍手)

大阪市長選――「独裁政治を許さない」という一点で平松現市長を自主的に支援

 大阪市長選挙は、橋下氏自身が、知事を辞職し、市長選挙に打って出るという異常な展開になりました。平松現市長は、橋下・「維新の会」の独裁的なやり方には反対を貫くという態度を明らかにしています。そのもとで立候補を予定していた渡司考一さんは、「独裁政治を許さない」立場から立候補を辞退された。私は、渡司さんと「大阪市をよくする会」の英断に、心からの敬意を申しあげたいと思います。(拍手)

 日本共産党は、平松現市長とは、もとより政策的立場を異にいたします。これまでも野党として対決してきましたし、それは今後も変わりありません。

 しかしみなさん。独裁政治を許すかどうかは、政策的立場の違いという次元を超えた問題であります。なぜなら、「独裁」を許せば、政策を議論する土台そのものが壊されてしまうからであります。

 私たち日本共産党は、「独裁政治を許さない」という一点で、平松現市長を自主的に支援し、党派の垣根をこえた共同の力で、橋下氏の野望を打ち砕くために全力をあげる決意を表明するものであります。(大きな拍手)

なぜ橋下・「維新の会」を独裁政治と呼ぶのか

「独裁をやる」と公言――民主政治に参加する資格なし

 なぜ私たちが橋下・「維新の会」を独裁政治と呼ぶのか。

 第一に、橋下氏自身が「独裁をやる」と公言してはばからないからです。6月29日の集会で、彼は、こう言いました。「日本の政治の中で一番重要なのは独裁ですよ。独裁と言われるぐらいの力が日本の政治に求められる。政治はやっぱり独裁をしなきゃいけない」。自分で言っているのですから間違いありません。

 しかし、みなさん。この日本という国は、憲法で民主主義をうたっている国なのです。この日本において、「独裁をやる」などと公言すること自体が許されないことであり、(橋下氏に)民主政治に参加する資格はないということをはっきりいわなければなりません。(拍手)

議会と民主政治を根底から否定するもの

 第二に、橋下・「維新の会」が、議会と民主政治を根底から否定しているということであります。

 橋下氏は、府議会でまともな議論もなく、「君が代」強制条例を強行採決したことについてこう言っています。「何を話し合う必要があるのか」、「そもそも議論がいらない」。こう言い放ったのです。

 橋下氏は、議会についてこうも言っています。「もともと選挙で相手憎しでたたかっているメンバーが議会に来て、話し合って物事が解決できるわけがない」。ここに述べられている考え方は、議会政治の否定そのものではありませんか。議会での議論など必要はない、知事が決めたことを数の力で押し通すのが議会の仕事だ、“選挙で勝ちさえすれば何をしても許される”――これが橋下氏の思想なのであります。

 しかし、みなさん。これは民主主義ではありません。たとえ選挙で多数を占めたとしても、少数の意見を尊重し、多様な意見に耳を傾け、議論を尽くして物事を決めていく――これが民主主義のイロハではないでしょうか。(「そうだ」の声、拍手)

「独裁」への具体的な企てを開始――「話し合うつもりはない」

 第三に、橋下・「維新の会」が、「独裁」のための具体的な企てを公然と開始したことです。これがいまおこっている大問題――「大阪都構想」「教育基本条例案」「職員基本条例案」の「3点セット」です。

 この問題についても、これをどうすすめていくかについて、橋下氏は、「話し合いでは解決しない」、こう断言しているのです。彼はこう言います。「いま大阪市役所が持っている力、権限、お金、これを一回むしりとるってんです。こんなこと話し合いで決まるわけがないじゃないですか」。話し合いをするつもりはないというのです。選挙で勝ちさえすれば、問答無用でことを進めるという宣言にほかなりません。

 三つの点をあげましたが、私たちが、橋下・「維新の会」を、「ファッショ的な独裁政治」と呼ぶことには十分すぎる根拠があるということを、言いたいと思います。(大きな拍手)

「大阪都構想」――「大阪まるごと乗っ取り宣言」がその正体

「システムを変える」というが、暮らしと経済をまじめに考えて出てきた話ではない

 「3点セット」の中身を一つひとつ見ていきましょう。

 まず、「大阪都構想」とはいったい何か。これがどうして必要なのか。橋下氏の発言をみてみますと、こういうことをくり返しています。「(いまの)システムの根幹は明治のまま(だから)機能しない」、「だから大阪都だ」。このくり返しです。しかし、いまの「システム」のどこがおかしいのか、どう「機能しない」というのか。そのことへのまともな説明は、いっさいないのです。

 「ここがおかしい」と言って彼が具体的にあげているのは、「知事と大阪市長が横並びになるのはおかしい」ということです。しかし、「横並び」だと、どうして「おかしい」ことになるのか。これもはっきりとした説明がありません。

 彼のこれまでの発言を読んで、見つかったのはこういう説明です。「僕はカジノに賛成、平松市長は反対。いったい、大阪の方針はどっちなのか、はっきりしない」、「大阪都制度になれば、ばちんと決まる」。こうなると、「システムを変える」と言いますが、「システム」を変えて動き出すのは、せいぜい「カジノ」構想だということになるではありませんか。(拍手)

 「システムを変える」と、あたかも「大改革」を成し遂げるかのように叫んでおりますが、この程度の説明しかできないのであります。このように、「大阪都構想」なるものは、およそ大阪の府民の暮らしをよくしよう、経済を立て直そうと、まじめに考えて出てきた話ではないのです。(拍手)

1人の「指揮官」に権力を集中――憲法の地方自治の原則にそむく暴挙

 結局、「大阪都構想」の狙いは、橋下氏自身がいっているように、「大阪市役所から権限と財源をむしり取り」、1人の「指揮官」に集中させること、この一点につきるといわなければなりません。(拍手)

 大阪府と大阪市の権力を一手に握る、「大阪まるごと乗っ取り宣言」が、「大阪都構想」の正体であります。

 みなさん。地方自治とは、一人ひとりの住民こそが主人公でなければなりません。1人の「指揮官」にすべての権力を集中させるなどという「独裁」の「構想」が、日本国憲法が定めた「住民が主人公」という地方自治の原則に真っ向からそむく暴挙であることは、誰が見ても明らかではありませんか。(拍手)

「職員基本条例案」――住民福祉のために働く公務員をクビに

最大の被害者は、府民のみなさんと子どもたち

 それでは「教育基本条例案」「職員基本条例案」というのはどういうものでしょうか。それは、知事が決める「教育目標」や「職務命令」で、教職員や府職員をがんじがらめに縛り上げようとするものです。

 二つの「条例案」の文章を読んで驚くのは、そこには「懲罰」と「処分」が満載されているということです。法律にせよ、条例にせよ、こんな恐ろしい文章を読んだのは、私は初めてです。たとえば、「職務命令違反」を3回やったらクビにできる。さらに、S、A、B、C、Dの「5段階相対評価」を持ち込み、「D評価」が2回続いたらクビにできる。「相対評価」ですから、全体のかならず一定割合(5%)は「D評価」とされる。こういう仕掛けなのです。

 これがいったい何をもたらすか。私が訴えたいのは、この仕掛けの最大の被害者は、府民のみなさんであり、子どもたちだということであります。(「そうだ」の声、拍手)

住民に顔を向けた公務員でなく、知事の顔色をうかがう公務員に

 まず一般の公務員はどうなるでしょう。

 「職務命令違反」といいますが、それがただちに「勤務成績不良」と同じでないことは明らかです。「職務命令」には、不当な命令や行き過ぎた命令も大いにありうるわけです。そのときには、公務員がそれに対して、府民の暮らしや福祉を守る立場から意見をいうのは当たり前ではないですか。(拍手)

 ところが、「職員基本条例案」が強行されたら、それができなくなります。たとえば、国保料の滞納者の方々への強権的な取り立てや差し押さえが、全国でも大阪でも問題になっています。この問題について「かまわず差し押さえろ」という「職務命令」が下ったとしましょう。それに対して職員が、「いやいや、このご家庭にはこういう事情があるんです」と言えば、1回「命令違反」。「でも、ちょっと待ってください」と言ったら、2回「命令違反」。「そうはいっても」と言ったら、3回「命令違反」。これでクビにできる。

 こうなりますと、住民に顔を向け、住民福祉のために働く公務員ではなく、知事の顔色をうかがい、何でもいいなりになる公務員がつくられてしまうではありませんか。

「公務員は全体の奉仕者」と明記した憲法に違反する暴挙

 日本国憲法第15条には何と書いてあるか。「公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」。はっきり明記されているではありませんか。(拍手)

 ところが、「職員基本条例案」というのは、公務員を、橋下・「維新の会」の「奉仕者」にしてしまう。まさに「一部の奉仕者」にしてしまう。これを憲法違反の暴挙といわずして何というのかと、私は訴えたいのであります。(大きな拍手)

「教育基本条例案」――徹底した「競争主義」「絶対服従」が何をもたらすか

子どもたちと学校を徹底した競争に追い立てることで本当の学力が育つか

 大阪の教育はどうなるでしょうか。

 「教育基本条例案」を読んでみました。これは実に恐るべき文書です。教育とはおよそ無縁のことがらが書き連ねられています。

 まず、「教育理念」として、「世界標準で競争力の高い人材を育てる」などの項目が並んでいます。これを読んだお母さんが、「私は、『人材』を産んだ覚えはない。『材料』を産んだ覚えはない。人間を産み、育ててきたのです」と怒りを語ったと聞きました。「人材」という言葉自体が、教育の基本を語る文章には、まったくふさわしくない言葉ですが、それが平然と使われ、徹底した競争主義と、財界のための「人材」づくりが、公然とうたわれています。

 さらに、「教育基本条例案」には、府が「学力テスト」の学校別結果を公表する、「3年連続定員割れ」の高校は機械的に「統廃合」とするなどのことも書かれています。学校も弱肉強食の競争に追い立てられます。

 みなさん。子どもたちと学校を、徹底した競争に追い立て、ふるいわけ、序列化することによって、本当の学力が育つでしょうか。私は、そういうやり方からは、本当の学力は決して育ってこないと考えます。(拍手)

 そういうやり方は反対に、子どもたちの心に深い傷をつくり、発達を損なってしまいます。そのことは、国連・子どもの権利委員会から3度にわたって、日本の競争教育はあまりに過度で異常だ、いじめや不登校などさまざまな発達障害を子どもたちにもたらしていると批判され、是正を求められていることからも明らかです。

 本当の学力というのは、子どもたちを競争に追い立てることからは生まれません。子どもたちの知的探究心に働きかける、「わかる喜び」を伝えていく、そういう人間と人間の営みのなかからこそ、本当の学力は育っていくのではないでしょうか。(拍手)

「絶対服従」を強いられる教師――子どもたちはどうなるか

 「教育基本条例案」にはもう一つ、さらに重大な大問題があります。それは、「絶対服従」という問題です。

 知事が決める「教育目標」にそくして、校長が「公募」で選ばれ、教職員は校長の命令への「絶対服従」を迫られます。なぜならば、「D評価」とされればクビにされるからです。学校から自由な教育の営みがなくなり、恐怖支配がとってかわることになります。教師たちは、一人ひとりの子どもたちに向かいあい、その悩みに心を寄せ、成長を喜ぶのではなく、知事の顔色をうかがい、なんでも言いなりになるロボットとされてしまう。

 子どもたちはいったいどうなるでしょう。評価する人の顔色ばかりうかがい、子どもを見なくなる教師に、子どもたちが心からの信頼を寄せることができるでしょうか。こういうやり方でもたらされるのは、恐るべき学校の荒廃であり、その最大の被害者は子どもたちだということを私は訴えたいのであります。(拍手)

 学校は、自由の殿堂でなくてはいけない。自由な空間の中でこそ、教育は輝きを持つというのが、私たちの信念であります。そういう学校をこそ、ご一緒につくっていこうではありませんか。(拍手)

政治が教育を独裁下に――憲法が定めた教育の自由に真っ向から背くもの

 教育は、誰のためにあるのかが問われています。それは、知事のためにあるのではありません。子どもたちのためにこそあるのです。

 教育というのは、あれこれの「国策」に役立つ「人材」をつくることを目的にしてはなりません。教育はただひたすらに、一人ひとりの子どもたちの主権者としての「人格の完成」をめざしておこなわれるべきであって、未来の社会のあり方は、そのような教育によって立派に成長した未来の世代にゆだねようではないか。それが日本国憲法で定められた国民主権の原理にのっとった教育ではないでしょうか。(「そうだ」の声、拍手)

 みなさん。私は心から訴えたい。政治が教育に全面的に介入し、教育を知事と議会多数派の独裁下におくことは、教育への国家的介入、行政権力による介入をしりぞけ、教育の自由を保障した日本国憲法に真っ向から反する憲法違反の暴挙であり、私たちおとなの責任において断じて許すわけにいきません。(大きな拍手)

「庶民の大阪」を独裁政治の全国的拠点にするわけにはいかない

 みなさん。これが「大阪都構想」「教育基本条例案」「職員基本条例案」の「独裁3点セット」の正体です。三つとも、私たちの日本国憲法に反する「憲法違反の3点セット」ではありませんか。(拍手)

 そして、橋下氏は、大阪府と大阪市を丸ごと乗っ取ったら、それを足場に国政に進出することを公言しています。

 みなさん。府民のみなさんが誇る「庶民の大阪」を、ファッショ的な独裁政治の全国的拠点にするわけには断じていきません。(「そうだ」の声、大きな拍手)

 橋下・「維新の会」の独裁政治ストップ、民主主義を守ろうという一点で、党派の垣根をこえて、大阪府民の広大な団結をつくりあげようではありませんか。(拍手)

 そして、大阪市長選では、橋下氏の独裁政治の野望に対して、きびしい「ノー」の審判を、どうか下していただきたい。(拍手)

 大阪に独裁者はいりません。(大きな拍手)

 府民の共同で民主主義を守り抜こうではありませんか。(大きな拍手)

 最後の最後まで頑張り抜いて、二つの勝利を勝ちとろうではありませんか。(歓声、大きく長く続く拍手)