2010年2月22日(月)「しんぶん赤旗」

今をたたかう私たちへのはげましの書

不破 哲三 著 『マルクス、エンゲルス 革命論研究』

志位 和夫


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(写真)『マルクス、エンゲルス革命論研究』(新日本出版社・上下各2000円)

 不破哲三さんの『マルクス、エンゲルス 革命論研究』が刊行されました。不破さんが2007年におこなった講義、それを整理・補筆した2008年〜09年の『前衛』誌での連載に、全体にわたって加筆・整理・補正の手をくわえ、さらにいくつかの補章、補論、注を書き足し、上下2巻にまとめあげたものとなっています。

 私は、学生時代から、不破さんの古典研究の成果が発表されるたびごとに、胸を熱くして読み続けてきた一人ですが、今回の著作には独特の意義があるように思われます。それは本書が、『革命論研究』という表題からも予想されるように、現代の日本において社会進歩の道を格闘しながら探求している私たちの活動への無数の「導きの糸」を解き明かし、“今をたたかう私たちへのはげまし”の書となっているということです。

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 著者は、まず冒頭に、科学的社会主義の理論とは、「なによりもまず、変革の立場で世界を認識し、考察する理論」であって、その理論では、哲学、経済学、社会主義論などとならんで、革命論(階級闘争の戦略、戦術)が、「全体の一つの柱をなす重要な構成部分」となっていると強調しています。

 これまでよく、科学的社会主義の「三つの構成部分」ということがいわれ、革命論は社会主義論に含まれる一部分という位置づけを与えられることもありましたが、著者は、マルクス、エンゲルスの革命論は、そうした位置づけだけではくみつくせない豊かな多面的な内容を含んでいる「一つの柱をなす重要な構成部分」として捉(とら)え、研究と探求の対象にすべきだという提起をしているのです。この提起は、もともと科学的社会主義が革命的実践活動をその生命(いのち)としていることから導き出された結論というだけにとどまらず、著者がとりくんできた社会主義論(未来社会論)研究、そして今回の革命論研究のそれぞれの新しい達成から開けてきた視界に立った提起として、たいへん深い意味あいを感じます。

 著者は、この分野の研究の独特の「困難な条件」として、(1)マルクス、エンゲルスの「教科書的な著作」がなく、それを研究するには「マルクス、エンゲルスの膨大な著作や書簡の全体にいわば横断的な形で接することが、どうしても必要にな」ること、(2)19世紀のヨーロッパ史の流れ、とくにドイツ、フランス、イギリスの歴史を学ぶ必要があること、(3)マルクス、エンゲルスの理論的な発展の激しい分野であり、「マルクス、エンゲルスを歴史のなかで読む覚悟が、とりわけ必要になってくる」ことをあげています。

 本書を読むならば、著者が、これらの「困難な条件」を見事に乗り越えて、新しい達成をなしたことを読み取れるでしょう。とくに、マルクス、エンゲルスの「膨大な著作や書簡の全体にいわば横断的な形で接する」という点では、下巻の「著作索引」を一読してもわかるように、著者の探索・探求範囲は、およそ手に入りうるマルクス、エンゲルスの全著作を網羅するにいたっています。

 本書によって私たちは、マルクス、エンゲルスの革命論の、おそらくははじめての包括的で本格的な全体像を、手にすることができたわけですが、それは半世紀以上の長期にわたって、現代的視点にたった古典研究に情熱を傾けてきた著者であってはじめてなしえた達成であると思います。

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(写真)「インタナショナル創立宣言」(1864年)のマルクスの草稿を長女のジェニーが清書したもの(新『マルクス・エンゲルス全集』(MEGA)第1部20巻)。写真左は、「創立宣言」の表紙

 『革命論研究』は、著者がつねに古典研究の方法論としている「マルクス、エンゲルスを自身の歴史のなかで読む」という立場をつらぬいて、若いマルクス、エンゲルスが革命家として活動を始めた1840年代から、1883年にマルクスが、1895年にエンゲルスが生涯を閉じるまでの2人の実践と理論の発展を、四つの時代――「第一講 『共産党宣言』と一八四八年の革命」、「第二講 四八年革命後のヨーロッパ」、「第三講 インタナショナル」、「第四講 多数者革命」におおまかに区分しながら、綿密に追跡します。最後の「第五講 過渡期論と革命の世界的展望」は、革命が勝利した後の革命論という特別の位置づけをあたえられた章として叙述されています。

 この著作からくみ出すことのできる内容は、あまりに多面的で豊かなもので、とうてい短い紙数で紹介しきれるものではありませんが、私自身が、“今をたたかう私たちへのはげまし”と受け止め、印象深く読んだいくつかの点をのべたいと思います。

 その一つは、史的唯物論と革命論との関係です。著者は、「史的唯物論を、歴史を裁断する『型紙』扱いしてはいけない――これは、科学的社会主義の理論にのぞむ基本姿勢を示したエンゲルスの言葉ですが、この言葉がもっとも切実なひびきを持つ分野こそ、革命論だといってもよいでしょう」とのべていますが、本書の全体をつらぬく特徴は、そのことがいかに重要かを、マルクス、エンゲルス自身の生きた足跡のなかから、鮮やかに浮き彫りにしているということです。

 著者は、マルクス、エンゲルスが、『ドイツ・イデオロギー』など1845年から46年の共同作業で史的唯物論という世界観を打ち立てたことが、その革命論をいかに充実させ、豊かにしたか、その威力がそれにつづく『共産党宣言』などでいかんなく発揮されたことを、太いタッチで描き出します。同時に、マルクス、エンゲルスは、自ら打ち立てたこの画期的な方法論を、できあいの「図式」として現実に押しつけることは決してしませんでした。著者は、つねにそこに光をあてて2人の活動を明らかにしてゆきます。

 その国の政治体制がどういうものか、民主的共和制(あるいはそれに近い体制)か、専制的君主制かでは、もとより革命の道筋は大きくことなってきます。しかし著者は、そこにとどまらず、マルクス、エンゲルスが、19世紀後半の時代に、それぞれの国ごとのブルジョアジーがどういう固有の性格をもっているかにまで踏み込んで分析していることに注目します。たとえば、エンゲルスが、イギリス・ブルジョアジーが指導階級としての弾力的な統治能力を持っていることについて、フランス・ブルジョアジーの「貪欲(どんよく)な愚か者」、ドイツ・ブルジョアジーの「いくじなしの愚か者」と対比して評価していることについて、著者が、「紋切り型におちこまない史的唯物論の階級分析を生きた形でしめした」とのべていることは、たいへん印象的です。

 ブルジョアジーといっても、決してどこでも同じ顔をしているわけではない、国ごとに異なった「顔つき」をもっている、これは、私たちが「二つの異常」と特徴づけている日本の支配勢力を分析するさいにも、大きな示唆をあたえてくれます。

 私たちが、新しい現象や事物にぶつかったときに、どういう姿勢でそれにのぞむか。著者は、ここでも古典家たちが、素晴らしい模範を示していることを、多くの生きた事例で目の前にしめしてくれます。たとえば、1848年のヨーロッパ革命の結果、フランスでは皇帝中心の専制政治(ボナパルト帝政)が生まれます。大革命によって封建主義が一掃され、ヨーロッパで最初に民主共和国をうちたてた国で、なぜ帝政の復活が起こったか。当時、誰も解けなかった「謎」を、マルクスは、革命後4年間のフランス政治史と、フランス社会の状態の全面的な研究にもとづいて、解き明かします。「ボナパルト帝政は、ブルジョアジーもプロレタリアートも独自の発言能力を失っているときに、巨大な執行権力に依拠し、社会的には分割地農民の支持を得て生まれた権力だ、この国家の官僚や軍隊の独自性の根拠もここにある」(著者による概括)。これがその結論でした。

 著者は、マルクスの態度から、つぎの教訓を引き出します。「私が非常に大事だと思うのは、新しい現象、新しい事物が社会に生まれたときに、それにどういう態度でのぞむかの一つの模範が、ここに示されていることです。……開拓者には既成のテーゼはないのです。新しい現象にぶつかったら、それを解明する道は、自分たちが鍛え上げてきた方法論をもって、その新しい現象を考察する以外にないのです」。

 新しい問題にぶつかったら、「既成のテーゼ」からでなく、科学的方法論を「導きの糸」として具体的事実の全面的な研究にとりくみ、そのなかから答えを見いだせ! 不破さんのこの言葉は、私たちが今遭遇している、また今後遭遇するであろう、さまざまな新しい局面、難しい問題にたちむかううえで、どういう覚悟が必要かを示す言葉として、しっかりと受け止めなければならないと痛感するものです。

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 いま一つ、私が印象深く読んだのは、共産主義者が、人民大衆の「自覚」の発展の諸契機、そのダイナミズムを、深くわきまえて行動することの重要性について、著者がさまざまな角度から光をあてていることです。

 マルクス、エンゲルスは、史的唯物論にもとづく社会分析から、社会主義・共産主義への変革が、ことの本質からいって社会の多数者による革命という性格を持っていることを、『共産党宣言』など早い段階から見定めていました。やがてそれは、社会革命の目標を自覚的につかんだ多数者による革命の理論として成熟をとげていきます。それでは、そうした「自覚」はどのようにして成長・発展をとげていくか。共産主義者は、どういう姿勢で人民大衆に働きかけていったらよいのか。著者は、科学的社会主義の立場にたつものが、深くわきまえなければならない姿勢とはどのようなものかを、マルクス、エンゲルスの活動からの教訓として鮮やかに提起していきます。

 本書で解明されている労働者階級の結集と団結の問題、農民とくに分割地農民の獲得の問題(これはとくに理論的発展の過程が徹底的に追究されます)、各国の独自の労働者運動の発展の問題など、どの問題をとっても、著者は、人民大衆の「自覚」と成長、階級闘争の発展の論理にたった活動の重要性につねに光をあてながら、論をすすめています。

 たとえば、著者は、その一つの生きた手本を、マルクスが執筆したインタナショナル(国際労働者協会、1864年〜1876年)の「創立宣言」のなかにも見出(みいだ)します。インタナショナルは、「労働者階級の解放」というごく一般的な目的を認めることを基本条件として、労働者運動、社会主義運動のさまざまな潮流に門戸を開いた国際組織であり、そうした多様な潮流に受け入れられるような「創立宣言」をどうつくりあげていくかは、一つの難問でした。著者は、この難問を解決するうえでマルクスがとった論理の運びを、「創立宣言」からつぎのように読み解きます。

 「『創立宣言』は、最初の半分を、現代社会をどう見るかにあてています。その大きな特徴は、理論的な規定づけからではなく、労働者階級が体験している目の前の事実、政府や支配層自身の言明によって、現代の社会の実際の姿を描きだしていることです」。(「創立宣言」はここから出発し)「きちんとした論理をたどって、労働者階級による政治権力の獲得と労働者党の政治的再組織が必要だという大胆な結論に読者をみちびきます」。

 著者は、マルクスのこの論立てについて、「感嘆に値します」とのべていますが、こうした角度から「創立宣言」の論理の運びのもつ意義がどこにあるかに鋭い注目を寄せ、それを読み解いた著者の眼力に、私は新鮮な感動を覚えました。

 著者が、「百二十数年後に日本で活動する私たちも、貴重な助言として読むことができる」として紹介している、エンゲルスのベーベルあてに送った手紙(1881年8月25日付)もきわめて印象的です。この手紙は、ドイツの労働者党が、社会主義者取締法(1878年)のもとでの弾圧にさらされたさいに、助言と励ましを書き記した手紙ですが、その内容はつぎのようなものでした。

 「焦る必要はない、とエンゲルスは語ります。『無関心で受動的』に見える人びとも含め、人民大衆は『出来事そのもの』の展開のなかで、『目覚め』をかちとってゆくものだ、そこに『歴史的出来事の現実の推進力』がある、そういう『目覚め』が起こったときには、われわれの訴えがはるかに大きな反応をよびおこすことができる――これが、エンゲルスの助言でした」(著者による要約)。

 政治の表面では、さまざまな逆行や困難があるようにみえても、人民大衆は「出来事そのもの」の展開――その政治的な体験をつうじて、必ず「目覚め」をかちとっていく、そこにこそ歴史の「現実の推進力」がある。この指摘もまた、今をたたかう私たちへの大きな激励ではないでしょうか。

 先の日本共産党第25回大会の決議では、新しい情勢のもとで、「国民が、自らの切実な要求を実現することを出発点にしながら、……政治的な体験を一つひとつ積み重ねるなかで、日本の政治をさらに前にすすめる自覚と力量を高めていく必然性」を深く理解して、国民に働きかけることの重要性を確認しましたが、この方針が、科学的社会主義の大道に立ったものであることを、本書は確信させてくれます。

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 『革命論研究』の最後の章「第五講 過渡期論と革命の世界的展望」は、特別の位置をしめる章です。すなわち革命論であっても、この章には、革命が成功した後のこと、資本主義社会から社会主義・共産主義社会に移行する過程――「過渡期」と呼ばれる時期の問題などについての革命論、階級闘争論の考察がのべられています。

 著者は、マルクスが、「過渡期」という用語を使って、過渡期論をまとまった形でのべたのは1875年に書いた「ゴータ綱領批判」の中であったこと、そこには1867年に出版された『資本論』第1部にのべられている社会の革命的転化の捉え方とは、明らかに異なる新たな発展があることを読み取ります。「マルクスは、いつ、どこで、過渡期論の新たな展開をおこなったのか」。著者は、こう問題をたて、この発展が、1871年のパリ・コミューンの活動を、マルクスが研究するなかで生まれたことを解き明かします。

 著者が、探求の結果たどりつくのは、マルクスが『フランスにおける内乱』第1草稿でおこなった過渡期研究でした。著者は、社会革命にとって、もっとも重要な意義をもち、より複雑で、より長期的に取り組まなければならないのは、資本主義の経済組織を、社会主義・共産主義の経済組織につくりかえる社会的転化をめざす階級闘争であることを、マルクスの草稿にそくして解明し、この研究をつぎの言葉で結んでいます。

 「(草稿をつうじて)過渡期に問題になる諸契機をあらためて研究してみると、人類史の新しい時代を開くにふさわしい、たいへん豊かな内容をもった諸過程であることが、明らかにされました」「そこには、新しい社会のしくみを生みだしてゆくための、探究と開拓の巨大な課題が横たわっています」「この過渡期が、未来社会をきずく、探究と開拓の無数の創造的努力に満ちた人類史上の一時代となることは、疑いをいれないところでしょう」。

 過渡期とはどのような時期であり、この時期にとりくむべき政治的・経済的改造の諸契機がどのようなものであるかは、21世紀の世界で、社会主義をめざす国々では、現実に直面している課題です。わが党にとっても、未来の課題ではありますが、探求と開拓のロマンあふれる課題です。本書は、不破さんが、マルクスの「草稿」を深く探求するなかで、過渡期論の問題についての包括的・本格的考察を初めて明らかにした著作としても、重要な意義をもつものとなったと思います。

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 私が紹介しえたのは、本書の魅力のほんの一端にすぎません。平和と社会進歩を求め、現代をよりよくたたかいたいと願う多くの方々が、ぜひともこの本を手にとって読んでいただき、そこからマルクス、エンゲルスの、そして不破さんの“今をたたかう私たちへのはげまし”のメッセージを読み取っていただきたい、さらにこの本を座右の書の一つとして、そこに込められた無数の宝ともいうべき教訓を繰り返しくみ取って、現実のたたかいに生かしていただきたい。そのことを強く願わずにはいられません。(しい・かずお 日本共産党委員長)