志位和夫 日本共産党

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演説・あいさつ

2023年8月20日(日)

全日本民医連創立70周年記念式典

志位委員長のあいさつ


 日本共産党の志位和夫委員長が19日、全日本民医連創立70周年記念式典で行ったあいさつは次の通りです。


写真

(写真)あいさつする志位和夫委員長=19日、東京都文京区

 みなさんこんにちは(「こんにちは」の声)。ご紹介いただきました、日本共産党の志位和夫です。

 民医連創立70周年、おめでとうございます。

 民医連のみなさんが「無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす組織」として、国民のいのちと健康を守るためにかけがえのない役割を果たしておられることに対して、また私自身と家族もいつも健康面でお世話になっていることに対して、心からの敬意と感謝を込めて、お祝いのあいさつをのべさせていただきます。

 私は70周年にあたって、2011年に編纂(へんさん)された民医連の通史『無差別・平等の医療をめざして』を拝読させていただきました。

前史としての無産者医療運動――日本国民のたたかいの誇るべき一ページ

 まず強い感動をもって読んだのは、今日の民医連の前史にあたる戦前の無産者医療運動の歴史です。

 民医連の通史を読みますと、無産者診療所は、治安維持法改悪に当時の国会でただ一人反対した山本宣治代議士が暗殺されたことを直接的な契機として、1930年、東京・大崎に設立され、太平洋戦争が開始された1941年までの何と11年間にわたって、全国各地に診療所を広げたことが克明に描かれています。

 今日、ここに持ってまいりましたのは、1929年4月に発行された雑誌『戦旗』です。山本宣治の追悼特集が掲載されていますが、その中に、「労働者・農民の病院を作れ!」というアピール文があります。解放運動犠牲者救援会、病院設立基金募集委員会の連名のものですが、こうあります。

 「我々の健康は誰からも保証されていない。我々の病気を治すためには我々自身の病院を持たねばならぬ。労働者農民の健康は労働者農民自身の組織が保護せねばならない。……すべての工場から農村から職場から学校から、一銭二銭の零細な基金を集めて送れ、大衆的支持によって我らの病院を建設しよう」

 こういう呼びかけです。私は、この訴えには、今日、民医連綱領に明記されている「無差別・平等の医療」「いのちの平等」「患者の立場に立った医療」の源流とも呼ぶべき精神が脈打っていると感じました。

 あの暗い時代に、弾圧に抗して、働くものが等しく医療を受けられる医療活動に取り組み、三陸大地震と津波被害など災害救援に取り組み、一貫して戦争に反対した無産者医療運動は、日本国民のたたかいの誇るべき一ページとして、今日に生きていることを、私は、先人たちの奮闘への敬意をこめてのべたいと思います。

結成の原点――病める患部を、生活全体とのかかわりでとらえ、共同の力で健康を守る

 戦後、1953年に、全日本民医連が創立されたさい、須田朱八郎初代会長が『全国民医連』誌第1号で行った訴えも、私の心を強く打つものでありました。

 須田先生はこうおっしゃっておられます。

 「私達は、新しい医療活動の型を創造しているのだと私は確信しております。病める肺、病める腎臓だけを診るのではなくて病める患部を、その患者、患者の生活全体として診ること、医師、看護婦、事務、診療所全体の力が患者とその家族、否、もっと多くの同じように生活とたたかっている人達と合わせその合作した力で一人の患者を治療し、健康と、健康が支えられる生活を守ろうとしているのです。大衆のなかから生まれ出て、大衆の中で育ち、発展してきた私達、全国の民主的病院、診療所のあり方は、こういうものだと思います」

 病める患部を、生活全体とのかかわりでとらえ、多くの人々との共同の力によって健康を守っていく――この民医連結成の原点は、その後の70年の実践をへて、豊かな発展をつくってきていると思います。心からの敬意を重ねて申し上げたいと思います。

今日、民医連が果たしているかけがえない役割――さらに大きな前進を

 戦前のたたかい、戦後の70年の歴史を引き継ぎ、今日、民医連のみなさんが果たしているかけがえない役割として、私が実感していることを3点ほどのべさせていただきます。

 一つは、「人々の苦難のあるところに民医連あり」ということです。東日本大震災、原発事故にさいして民医連のみなさんが行った救援活動、新型コロナパンデミックが起こるもと、医療・介護従事者としての誇りと使命感を発揮して献身的に奮闘している姿は、「日本に民医連があってよかった」と深く実感させるものであります。

 二つは、「たたかいと一体となった医療・介護の取り組み」です。民医連のみなさんは、自民党政治のもとでの社会保障・医療費削減政策によって、国民と患者がどういう実態に置かれているかをつねに現場から発信し、政治を変えるたたかいと一体に医療・介護の取り組みを前進させる努力を貫いてこられました。私たちが国会で、医療・介護・福祉の問題をとりあげるさいに、つねに頼りにしてきたのが民医連のみなさんの取り組みでした。

 三つは、「国民的課題のたたかいを支え発展させる力」を発揮してこられたことです。民医連のみなさんは、一貫して核兵器廃絶の運動に取り組んでこられましたが、私自身、原水爆禁止世界大会、国連本部で行われた国際会議などの場で、つねに民医連のみなさんと肩を並べてこの運動に取り組んできたことは、大きな喜びです。マイナ保険証問題で、民医連のみなさんが広範な諸団体に呼びかけ、「命の綱の保険証を取り上げるな」の列島騒然の声を起こすことを訴えておられることに、私は強く連帯し、この暴挙を止めるために力を合わせて頑張り抜く決意を申し上げたいと思います。

 民医連の運動と組織、医療・介護事業が、80年、90年、100年と、さらに大きく前進することを願ってお祝いのあいさつといたします。(拍手)