志位和夫 日本共産党

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TV発言

2023年9月14日(木)

内閣改造、汚染水海洋放出、「百年」党史について

ラジオ日本番組 志位委員長語る


 日本共産党の志位和夫委員長は、13日朝に放送されたラジオ日本「岩瀬恵子のスマートNEWS」に出演し、岸田政権が強行するマイナンバーカード一元化や福島第1原発の汚染水(アルプス処理水)海洋放出、日本共産党の「百年」史と党創立101周年記念講演会(15日)について語りました。内閣改造、汚染水放出、「百年」史のやりとりについて紹介します。


内閣改造どうみる?

「聞く耳もたず、説明せず」の強権政治問われている

写真

(写真)ラジオ日本「岩瀬恵子のスマートNEWS」の収録で岩瀬氏(右)からインタビューを受ける志位和夫委員長(左)

 岩瀬 内閣改造については?

 志位 岸田首相そのものを“改造”しないといけないわけですから、内閣の顔ぶれが変わっても問題の解決にはなりません。岸田首相の政治姿勢そのものが問われている。

 岩瀬 もともとは「国民の声」を聞くのが得意といっていましたが?

 志位 マイナカードでも、汚染水でも、43兆円の大軍拡でも、これだけたくさんの批判があるのに、「聞く耳もたず、説明せず」で強権政治をする。この姿勢そのものが問われています。

汚染水(アルプス処理水)放出のどこが問題か?

約束破り、代替案を検討していない

 岩瀬 福島第1原発処理水の問題ですが、いまの状態をどう思っていますか。

 志位 政府は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」と約束していました。これがほごにされているのが一番の問題です。全漁連のみなさんは反対と言っている。福島の漁業者のみなさんには事前に説明もしないままで放出をはじめた。この問題を決してあいまいにしてはなりません。

 岩瀬 現実的にどんどん水がたまりタンクを置く場所がなくなってきている。どうしたらいいのか?

 志位 専門家のみなさんから代替案が二つほど提案されています。一つは、モルタルに固めて封じ込め、保管する「モルタル固化案」で、アメリカではやっています。もう一つは、石油備蓄などで使われているような大容量タンクをつくって保管する案―「大型タンク貯蔵案」です。それではこれらの代替案の検討をしたのかというと、真剣な検討がされていないのです。

 もう一つの重要問題は汚染水が現在も増え続けていることです。凍土壁が十分効果を発揮していないからです。これ以上汚染水を増やさないために広域遮水壁を設置することが必要ですが、これについても真剣に検討されていない。

 二つの代替案の検討、汚染水を増やさない対策、両方ともやらないまま海に流すのをはじめてしまった。これが大きな問題です。

なぜ「汚染水(アルプス処理水)」と呼んでいるのか

 岩瀬 政府の説明を聞いていると、ある程度の放出は仕方ないのかとも思うんですが。

 志位 この問題でどうしても話しておきたいのは、私たちが「汚染水(アルプス処理水)」と呼んでいる意味についてです。

 「アルプス処理水」のなかには、放射能をもったトリチウムが含まれているだけでなく、トリチウム以外の放射性物質―ヨウ素、ストロンチウム、セシウムなどの放射性物質も「基準値以下」とはいえ含まれています。核燃料が溶け落ちたデブリに接触した水を処理したものですから、どうしてもそうなってくる。そして、いまタンクのなかに現にある「アルプス処理水」についていうと、全体の7割でトリチウム以外の放射性物質も「基準」を超えて残留しているんです。これをさらに「二次処理」して「基準」以下にするというのが政府の説明です。ここで重大な問題は、政府が放出される放射性物質の総量を明らかにしていないことなんです。

 岩瀬 そうなんですか。

 志位 いちばん肝心な問題は総量なのに明らかにしていない。これが大きな問題です。

 もう一つ言いたいのは、政府はトリチウム水というのは原発ならどこでも出しているといいますよね。

 岩瀬 そう信じています。私たち。

 志位 それは事実です。でも、核燃料が溶け落ちたデブリに接触して、トリチウム以外のいろいろな放射性物質が含まれている水を、処理したとはいえ、海に流すというのは、これまでどこでもやったことのない、世界で初めてのことなんです。これでは理解を得られないのは当然だと思います。

 岩瀬 でもIAEAが大丈夫といっていますが?

 志位 IAEAは代替案はまったく検討していません。海洋放出に賛成といったわけでもありません。

 岩瀬 中国の今の対応については?

 志位 十分な外交的説明なしに放出を開始した日本政府の責任は重い。同時に、両国政府に対して、いたずらに対立を激化させずに、冷静な対話で問題を解決するよう求めたいと思います。

党創立101周年

攻撃に正面から立ち向かい、自らの成長をかちとる

 岩瀬 7月15日(創立記念日)付の「しんぶん赤旗」で、志位さんは、「開拓と奮闘の101年」だったとおっしゃいましたが?

 志位 日本共産党の101年を振り返ってみて、躍進した時期も、困難な時期もあるのですが、ひと時として順風満帆な時期はないのです。

 岩瀬 そうなんですか。

 志位 古い政治にしがみつく勢力からの非難、攻撃に常にさらされながら、それに正面から立ち向かいながら新しい道を開拓する、自分たちの成長をかちとる努力をしてきました。そういう100年だったと思うのです。

戦前の党の影響力のピークは2度の大弾圧をへた30年代初頭だった

 志位 たとえば、100年のうち23年間は戦前のたたかいです。日本共産党は最初から非合法だったんです。これは何か悪いことをやったからじゃない。天皇絶対の専制政治で国民の権利も自由もない時代に、そういう政治は変えよう、国民主権の国にしようと勇気をもって言ったのは共産党だけでした。侵略戦争に命がけで反対を貫いた党も共産党だけでした。そのために大弾圧を何度も受けたんです。

 驚くのは、主要な党員や幹部が監獄に入れられるなかで、新しい党の指導部をつくって頑張り、1930年代初頭に党の影響が戦前では最大になったということです。この時期に「赤旗」(せっき)の発行部数は7千部になり、多くの人々に回し読みされた。

 岩瀬 「せっき」と呼んだんですね。

 志位 はい。いまの「しんぶん赤旗」の前身です。若い党員の経済学者・野呂栄太郎を中心として岩波書店から「日本資本主義発達史講座」を発刊する。小林多喜二や宮本百合子の作品が当時の一流の雑誌に掲載される。そういう影響力を持っていたんです。

 その後、弾圧がさらに強まり、小林多喜二や野呂栄太郎など多くの先輩が命を落としますが、戦前に党が掲げた「国民主権」と「侵略戦争反対」の旗は戦後、日本国憲法に実りました。

 共産党が前進すると相手はつぶしにかかってくる。それを乗り越えてさらに前進をかちとる。大局的に見ると歴史を動かす仕事をやってきました。

日本共産党の前進を恐れた勢力は、国内だけでなく、外国にもあった

 志位 戦後もいろいろなことがありましたが、日本共産党の前進を恐れた勢力というのは、日本国内だけでなくて、外国にもあったんですよ。

 とくに、1960年代に、ソ連、中国の毛沢東派から、「言いなりの党になれ」と、本当に激しい干渉の攻撃を受けるんです。それを全部はね返して、両方の党に最後は間違いを認めさせた。

 こういうことをやった党というのは、世界には他にありません。91年のソ連共産党の解散のさいに、「もろ手をあげて歓迎」という声明を出しましたが、そういうことが言えたのは、干渉を許さない自主独立のたたかいの歴史があったからなんです。

 戦前は、天皇制権力、戦後は、マッカーサーの弾圧、ソ連や中国からの干渉、そして、日本の支配勢力のいろいろな攻撃にたくさん遭遇してきましたが、それに正面から立ち向かって、社会進歩のために頑張り、成長のための努力を続けてきた歴史なんです。