志位和夫 日本共産党

力をあわせて一緒に政治を変えましょう

演説・あいさつ

2023年11月28日(火)

日本民主青年同盟 第47回全国大会

“三つの魅力”を輝かせ、さらに大きな前進を

志位委員長のあいさつ


 日本共産党の志位和夫委員長が24日に日本民主青年同盟の第47回全国大会で行った連帯あいさつの全文は次のとおりです。


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(写真)あいさつする志位和夫委員長=24日、東京都内

 みなさん、こんばんは。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫です。私は、日本共産党を代表して、民青同盟第47回全国大会に参加された全国の若い仲間のみなさんに心からの連帯のあいさつを送ります。(拍手)

 この大会は沸きに沸いていると聞きました。まず民青同盟のみなさんが、今年、年間拡大2000人の目標を突破して、2725人の新しい仲間を迎えて大会を迎えたことを、みなさんとともに心から喜びたいと思います。(拍手)

 どうして民青同盟が新しい前進を開始したのか。私たちもみなさんの活動からしっかり学んでいきたいと思います。

 民青のみなさんとの懇談でもその経験を聞かせていただきましたが、結びつきを生かしての拡大とともに、街頭や大学の門前で多数の青年に働きかけるといった開拓者的な拡大に果敢にとりくんだ民青のみなさんの大奮闘が、この前進を築いたと思います。

 同時に私は、民青同盟という組織そのものが、青年・学生にとって大きな魅力をもっており、その魅力を伝えるならば、民青同盟がいま大きな組織へと飛躍しうる条件が広がっているということを示しているものだと思います。今日は、私なりにそれを“三つの魅力”という形で整理をしてお話しさせていただきたいと思います。

青年の切実な願いにこたえ、その実現のために青年とともにたたかう組織

 第一の魅力は、民青同盟が、青年の切実な願いにこたえ、その実現のために青年とともにたたかう組織だということです。

 2020年5月から民青同盟のみなさんが始めた学生向けの食料支援は、47都道府県で、3000回以上開催され、のべ15万人以上が利用するものになっていると聞きました。このとりくみを通じて、若いみなさんが、連帯することの大切さ、楽しさを実感し、支援されていた学生が、ボランティアとして支援する側に回るという経験が全国各地で広がったとも聞きました。こういうとりくみを通じて、学生の困難に心を寄せ、切実な願いの実現のためにがんばる民青の魅力が伝わり、多くの仲間を迎え入れる流れが起こっていることは、素晴らしいことだと思います。

 私が、もう一つ、うれしい思いで聞いたのが、民青同盟のみなさんが、暮らしの切実な願いとともに、平和の願いにこたえる活動へと、とりくみの幅を大きく広げているということです。今年、4年ぶりに開かれた若者憲法集会&デモは、1500人が参加し、「憲法を守れ、憲法を生かした政治を」の若い声が街にこだましました。

 このとりくみのなかで民青同盟のみなさんが、パンフレット『この国を「戦争国家」にしていいのか!?』を学び、青年のたたかいをリードする知的先進性を発揮している。自覚的団体と協力して、それぞれの地域、職場、学園で、敵基地攻撃能力保有と大軍拡に反対する青年のネットワークを草の根で広げようと努力し、街頭などでシールアンケートや対話にとりくみ、ネットワークに参加する青年を増やしていることは大切なとりくみだと思います。平和のとりくみがきっかけになって新しい仲間が増えていることも、素晴らしいことだと私は思います。

 青年の切実な願いにこたえて、実現のために青年とともにたたかう――これは民青同盟の「一丁目一番地」ともいうべき大事な活動です。みなさんが、暮らしでも、平和でも、民主主義でも、この魅力をさらに輝かせ、さらに前進することを願ってやみません。

日本の政治の「二つのゆがみ」をただし、青年に希望を届けることができる組織

 第二の魅力は、民青同盟が、青年の切実な願いの実現を阻んでいる日本の政治の「二つのゆがみ」――「アメリカ言いなり」「大企業優先」の政治のゆがみをただし、独立・平和・民主主義の日本の実現をめざす組織だということです。私は、ここに民青同盟という組織のもつ先進的魅力の一つがあると思います。

 みなさんが青年と「加盟呼びかけ文」の読み合わせをすると、「アメリカ言いなり」「大企業優遇」という日本の政治の「二つのゆがみ」にアンダーラインが引かれると聞きました。「どういうことか」「もっと知りたい」となり、「二つのゆがみ」を変えれば日本は良くなるという展望を訴えると、希望として受け止められるとのことです。私は、多くの青年に「こうすれば政治は変わる」という希望を語ることのできる青年組織は、民青同盟をおいてほかにないということを言いたいと思います。

 このことを今日はいくつかの熱い問題で考えてみたいと思います。

なぜ日本政府はイスラエルの無法を批判できないのか――「アメリカ言いなり」が根本に

 いま起こっているパレスチナ・ガザ地区での深刻な人道的危機に多くの青年が心を痛めています。私たちは、ハマスが行った無差別攻撃を強く非難し、人質の解放を求めてきました。同時に、どんな理由をもってしても、イスラエルがやっている病院、難民キャンプ、学校、モスクなどへの多数の民間人を犠牲にしての大規模攻撃は許すわけにはいきません。これは多くの青年のみなさんの気持ちだと思います。イスラエルの行っている多くの子どもたちを犠牲にした大規模攻撃が、国際人道法に違反し、ジェノサイド(集団殺害)の重大な危険をはらむものであることは明瞭であります。

 ところが日本政府は、イスラエルの大規模攻撃を国際法違反と批判しようとしません。ハマスの非難をしても、イスラエルの非難をしようとしない。即時停戦を求めようともしません。これはいったいどうしたことか。イスラエルへの軍事支援を行っているアメリカの顔色をうかがってモノが言えないのであります。「アメリカ言いなり」という情けない姿が、ここでもはっきりあらわれているではありませんか。

 先日、党本部で、駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム大使と会談したさいに、大使は私に次のようなことを言われました。

 「中東の人々は、これまで日本に信頼をもっていた。この地域を植民地にしたこともないし、軍隊を出して悪いことをしたこともないからだ。ところがハマスの非難をしても、イスラエルの非難をしないといういまの日本政府の姿は、この信頼を大きく傷つけ、損なっている」

 日本政府は、憲法9条を持つ国の政府として、アメリカの顔色をうかがうのはやめて、イスラエルに対してガザへの攻撃をやめよとはっきり求め、双方に対して即時停戦を求めるべきではないでしょうか(拍手)。私は、そのことを、みなさんとともにこの場でも声を大にして訴えたいと思います。

なぜ学費が高くなってしまったか――「受益者負担主義」という財界が持ち込んだゆがみが

 それでは暮らしの問題はどうでしょうか。

 高すぎる学費が、青年を苦しめています。私自身、東北で学生のみなさんの集いに参加したさい、「高い学費を払うため、深夜バイト、徹夜バイト、早朝バイトに追われ、授業が眠くてなりたたない」という痛切な訴えを聞きました。

 それではどうして日本の学費はこんなに高くなってしまったのか。これは自然現象ではありません。1971年、今から半世紀前に行われた「中央教育審議会」の答申で、「受益者負担主義」という考え方が持ち込まれたことが大きなきっかけとなって、当時、国立大学で年1万2000円だった学費はどんどん上がり始めました。

 これは財界の旗振りに従った動きでした。1960年代に財界は「教育は投資である」という主張を行います。つまり、高等教育は全ての人にとって必要なものではなく、裕福な人々が行う「投資」のようなものだ、だからそれによって「益」=利益を得る学生が学費を払うのは当たり前だ。こうした財界の旗振りに従ったのが、1971年の「受益者負担主義」を打ち出した答申だったのです。いまの高すぎる学費をつくりだした根っこには、「財界中心」の政治のゆがみがあることを強調したいと思います。

 しかしみなさん、この議論に道理があるでしょうか。学生が大学で学ぶことで利益を得るのは、その学生個人だけではありません。学生が、大学で豊かな知識や技術を身につけて、社会に出て活躍する。このことによって広い意味での利益を得るのは社会全体ではありませんか。だから学費は社会全体で負担するのが当たり前で、学生の負担は本来ゼロにするべきなんです。そもそも憲法には、国民は等しく教育を受ける権利をもっており、それを保障するのが国の責任だと書いてある。ヨーロッパの多くの国々では、こういう考え方で学費を無償にしているわけです。

 ですから、私は訴えたい。学費を無償にしていくうえでも、財界が持ち込んだ「受益者負担主義」という間違った議論を打ち破っていくことが、どうしても必要です。「財界中心」の政治のゆがみにメスを入れ、すべての若者が安心して学べる日本をつくるために力を合わせようではありませんか。(拍手)

どうして多くの青年が非正規で働かされているのか――震源地はここでも財界

 もう一つ、暮らしの問題で考えてみましょう。

 どうして給料がこんなに少なく、多くの若者が非正規で働かされているのか。これも自然現象ではありません。震源地はここでも財界なんです。1995年、日経連が「新時代の『日本的経営』」というリポートを発表します。労働者の圧倒的部分を非正規に置き換えていくという号令をかけました。この号令を受けて、1999年、労働者派遣法が大改悪されて、それまで限られた職種にしか認められてこなかった派遣労働が、原則自由化され、非正規ワーカーは増加の一途をたどりました。

 いまでは、労働者の4割、若者の5割以上が非正規ワーカーです。賃金は正社員の67%、それに加えてボーナスが出ない、手当も出ない。これを考えればもっと格差がある。そして非正規ワーカーの7割は女性です。非正規ワーカーの増大は、働く人の賃金全体を押し下げ、男女の賃金格差を広げる最大の要因となっています。

 いま、日本共産党は、「非正規ワーカー待遇改善法」を提案しています。細切れ・使い捨ての労働をなくし雇用の安定をはかる、正規と非正規の格差をなくすために企業に格差の公開を義務付けて政府が監督して是正する仕組みをつくる、ギグワーカーやフリーランスなど実態は労働者なのに個人事業主として扱われ権利が保障されていない人々に、労働者としての権利をしっかり保障する。こういう提案ですが、いかがでしょうか(拍手)。力をあわせて人間らしい雇用が保障される日本にしていこうではありませんか。

青年が「なぜ」と問い、学びを通じて答えを見つけることのできる素晴らしい組織

 いくつかの熱い問題についてお話ししましたが、私は、世の中で理不尽なことが行われているときに、「おかしい」と声をあげ、「なぜ」と問うことがとても大事だと思います。「なぜ日本政府はイスラエルの無法を批判できないのか」、「なぜ日本の学費はこんなに高いのか」、「なぜ給料がこんなに少ないのか」、「なぜ非正規で働かされている青年が多いのか」、そういう「なぜ」と問うこと自体が、実は答えの半分を見つけることになります。「なぜ」と問わなければ答えは永久に見つかりません。そして、「なぜ」と考えてみますと、その根本には、いまお話ししたように、「アメリカ言いなり」「財界中心」という二つの日本の政治のゆがみがあります。

 私が、民青同盟という組織がすてきだと思うのは、青年が「おかしい」と声をあげ、「なぜ」と問うことが、率直に言い合える組織であり、みんなで語り合い、答えを見つけることができる組織だということです。多くの青年にとって、「おかしい」と声をあげ、「なぜ」という疑問を口に出すのは勇気がいることではないでしょうか。“なかなか口に出して言えない”という悩みを、私も聞きます。民青はそうした声を自由に出し合い、学びを通じて答えを見つけることができる本当にすてきな組織だと思います。

 私は、多くの青年が、世の中の理不尽なことに対して、見過ごさず、諦めず、「おかしい」と声をあげ、「なぜ」と問えば、社会は変わると思います。そういう青年の成長のかけがえのないよりどころとなっているのが民青同盟だと思います。ここに民青の素晴らしい魅力があると思いますがどうでしょうか。(拍手)

日本共産党綱領と科学的社会主義を学ぶ――民青同盟の最大の先進的魅力はここに

 第三の魅力は、民青同盟が、日本共産党綱領と科学的社会主義を学ぶことを目的に掲げている組織だということです。このような青年組織は民青同盟だけですが、私は、ここにこそ、民青同盟の最大の先進的魅力があることを言いたいと思います。

 「加盟呼びかけ文」を使った対話のなかで、「科学的社会主義」にアンダーラインを引く青年・学生が少なくないと聞きました。いま、格差と貧困が地球的規模で拡大し、気候危機がいよいよ深刻になるなかで、「資本主義というシステムをこのまま続けておいていいのか」ということが、大きな関心の的になっています。日本共産党綱領と科学的社会主義は、これらの関心にこたえる深い内容をもっています。

党大会決議案――“21世紀の日本共産党の「自由宣言」”とも呼ぶべき文書

 今日、みなさんに紹介したいのは、来年1月に開催予定の日本共産党第29回大会にむけて私たちが発表した大会決議案のなかで打ち出されている未来社会論――社会主義・共産主義社会論です。

 社会主義・共産主義というと「自由がない」というイメージを持つ人が多い。しかし、マルクス・エンゲルスが明らかにし、私たちの綱領に明記している未来社会の特徴は、それとは正反対のものなんです。私たちの大会決議案ではつぎのように書きました。

 「わが党綱領が明らかにしている社会主義・共産主義の社会は、資本主義がかかえる諸矛盾を乗り越え、『人間の自由』があらゆる意味で豊かに保障され開花する社会である。『人間の自由』こそ社会主義・共産主義の目的であり、最大の特質である」

 そして、大会決議案は三つの角度から「人間の自由」の内容を明らかにしています。大会決議案は、“21世紀の日本共産党の「自由宣言」”とも呼ぶべき文書となっています。今日は、その中心点をお話ししたいと思います。

「利潤第一主義」からの自由――資本主義がもたらすあらゆる害悪から自由になる

 第一の角度は、「利潤第一主義」からの自由です。

 パンデミックのもとで、貧富の格差は世界的規模で空前のものへと拡大しました。国連のグテレス事務総長は、気候危機について「地球沸騰化の時代が始まった」と警告しました。なぜこんなことが起こっているのか。

 それは資本主義の本性から起こっています。資本主義のもとでは、生産の目的・動機は、個々の資本のもうけ――利潤をひたすら増やすことにおかれます。このことを私たちは「利潤第一主義」と呼んでいます。

 「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は、人間の労働から最大のもうけを絞り出します。その結果が、貧困と格差の拡大、「使い捨て」の不安定雇用の増大、過労死を生むような長時間過密労働です。「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は、もうけのためなら自然環境はおかまいなし、「後は野となれ山となれ」の行動をとってきました。その結果が、深刻な気候危機にほかなりません。資本主義が生み出すあらゆる害悪の根源に「利潤第一主義」があるのです。

 それではどうしたら「利潤第一主義」をなくせるか。生産手段――工場や機械や土地など生産のために必要なものを、個々の資本家の手から社会全体の手に移せばよい。私たちはこれを「生産手段の社会化」と呼んでいますが、そのことによって、生産の目的・動機が、資本のもうけ――利潤の最大化から、社会と人間の発展に変わります。

 「利潤第一主義」から自由になることによって、「人間の自由」は飛躍的に豊かなものになります。人間は、搾取や抑圧から自由になり、貧困と格差から自由になり、「使い捨て」労働や長時間労働から自由になり、繰り返される恐慌や不況から自由になり、環境破壊から自由になります。

「人間の自由で全面的な発展」――ここにこそ未来社会における真の自由の輝きが

 第二の角度は、「人間の自由で全面的な発展」ということです。

 未来社会における「自由」は、「利潤第一主義」からの自由にとどまるものではありません。未来社会における真の自由の輝きは、実はその先にあるんです。それが「人間の自由で全面的な発展」ということです。

 ここで注意していただきたいのは、「『利潤第一主義』からの自由」で使われる「自由」と、「人間の自由で全面的な発展」で使われる「自由」とは、言葉の意味が異なっているということです。前者の「自由」は、他者からの害悪を受けない「自由」ということです。そういう意味では消極的な自由であるとも言えましょう。それに対して、後者の「自由」は、自分の意思を自由に実現することができるという意味での「自由」です。その意味では積極的自由ということができると思います。私が強調したいのは、後者の自由――「人間の自由で全面的な発展」にこそ未来社会における真の自由の輝きがあるということです。

 それでは「人間の自由で全面的な発展」とはどういうことでしょうか。マルクスの盟友だったエンゲルスは、最晩年(1894年)に、イタリアの社会主義者のジュゼッペ・カネパという人からの手紙で、来たるべき社会主義社会の基本理念を簡潔に表現する標語(スローガン)を示してほしいという質問を受けるんです。エンゲルスがカネパへの返事で、一言でのスローガンは大変に難しいと言いながら紹介したのは、マルクスとエンゲルスが若い時期に書いた有名な著作『共産党宣言』(1848年)のなかの次の一節でした。

 「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」

 これが社会主義・共産主義社会だと。

 それでは「各人の自由な発展」とはどういうことでしょうか。人間というのは誰でも素晴らしい可能性をもっています。ある人は科学者になる可能性をもっているかもしれない。ある人は芸術家になる可能性をもっているかもしれない。ある人はケアの仕事で素晴らしい可能性をもっているかもしれない。ある人はモノづくりの才能をもっているかもしれない。ある人はアスリートの素質をもっているかもしれない。人間はみんな誰でも自分のなかにたくさんの素晴らしい可能性をもっている。これが科学的社会主義の人間観なのです。

 ところが資本主義のもとでは、多くの人が、そうした可能性を発揮できないままで埋もれてしまうことが少なくありません。もちろん、資本主義のもとでも自分の可能性を存分に発揮できる人もいます。たとえば大谷翔平さん、藤井聡太さんは、才能を存分に発揮して大活躍をしています。しかしそれは一部であって、多くの人は、素晴らしい可能性をもっているのに実現できないままにされてしまっている。これを変えたい。すべての人間に「自由な発展」を保障するような社会をつくりたい。これがマルクス・エンゲルスが最初の時期から共産主義に求め続けた理想だったのです。

 どうすればそういう社会がつくれるか。その保障はどこにあるのか。マルクス・エンゲルスは探究をしていくのですが、彼らが最初に出した答えは、「分業のない社会をつくればいい」というものでした。彼らの初期の著作『ドイツ・イデオロギー』(1845~46年)にはそういう考え方が書かれています。しかし、分業というのはどんな社会になっても必要なものです。およそ分業をなくしてしまったら人間社会は成り立ちません。マルクス・エンゲルスはこの考えは間違いだと気づいて、乗り越えていきます。2人が出した結論は、「労働時間を抜本的に短くすること」、ここにこそ保障があるということでした。その言葉は、『資本論』(第三部・第四八章)のなかにはっきりと書き込まれました。

 たとえば、1日3~4時間、週2~3日の労働となったらどうなるでしょうか。すべての人に十分な自由時間が保障されることになります。十分な自由時間が保障されたら、人間はどうするでしょうか。自由時間だから「遊び」に使ってもよい。「遊び」の中からも価値あるものが生まれると私は思います。ただずっと「遊び」続けていては飽きてしまうでしょう。そうなると、人間は十分な自由時間を、自分のなかに眠っている可能性をのばし、実現するために使うようになるのではないでしょうか。そうしますと、「各人の自由な発展」が全社会的規模でおこってくる。そうなればそれが社会に素晴らしい力をあたえて、「万人の自由な発展」――社会全体の素晴らしい発展につながっていく。人間の発展と社会の発展の好循環が生まれ、労働時間はさらに短くなっていく。こういう展望をもつことができます。

 ここにこそ私たちのめざす未来社会――社会主義・共産主義社会の最大の輝きがあります。「社会主義・共産主義とは一言で言えば何か」と問われたら、どうか、すべての人間が「自由に全面的に発展」できる社会、その条件は「労働時間の抜本的短縮」、このように広げていただきたいと思うんです。

 第一の角度の自由――「利潤第一主義」からの自由は、第二の角度の自由――「人間の自由で全面的な発展」を保障する社会をつくる条件になります。生産手段の社会化によって、人間による人間の搾取がなくなり、誰もが労働に携わるようになれば、一人ひとりの労働時間は大幅に短くなります。また、それは、繰り返しの恐慌や不況、「大量生産・大量消費・大量廃棄」、環境破壊など、資本主義に固有の浪費をなくすことになり、そのことによって労働時間は大幅に短くなります。第一の角度の自由――「利潤第一主義」からの自由は、第二の角度の自由――「人間の自由で全面的な発展」の条件になるという関係をつかんでいただければと思います。

発達した資本主義国での社会変革――「人間の自由」でもはかりしれない豊かな可能性

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(写真)志位和夫委員長のあいさつを聞く大会代議員・評議員=24日、東京都内

 第三の角度は、私たちが日本でめざしているのは、発達した資本主義国で、民主主義日本を経て、社会主義・共産主義をめざそうという事業です。この道は、人類がまだ、誰も歩みだしたことすらない、未踏の道なのですが、「人間の自由」という点でも、はかりしれない豊かな可能性をもっています。

 日本共産党は、4年前の党大会で綱領を一部改定して、「発達した資本主義国での社会変革は、社会主義・共産主義への大道」という命題を書き込みました。なぜ「大道」か。私たちは、綱領一部改定で、発達した資本主義のもとで、未来社会に引き継がれる五つの要素が豊かに発展してくることを示しました。「高度な生産力」、「経済を社会的に規制・管理するしくみ」、「国民の生活と権利を守るルール」、「自由と民主主義の諸制度と国民のたたかいの歴史的経験」、「人間の豊かな個性」です。これらのすべてが社会主義・共産主義社会に引き継がれ、花開くことになります。ですからそれは、「人間の自由」という点でも、「利潤第一主義」からの自由という角度でも、「人間の自由で全面的な発展」という角度でも、はかりしれない豊かな可能性をもつ社会になってくるでしょう。

 それでも旧ソ連や中国のような自由のない社会にならないかという心配があるかもしれません。決してそうはなりません。そうはならない二つの保障があるということを、私は今日、はっきりと言いたいと思います。

 第一の保障は、日本共産党の綱領での公約です。私たちの綱領は、「社会主義・共産主義の日本では、民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」と約束しています。私たちは、この綱領での公約を将来にわたってしっかりと守りぬきます。

 それでも心配だという方にもう一つの保障をお話ししたい。第二の保障は、日本での社会主義・共産主義をめざす事業が、発達した資本主義国を土台にとりくまれるという事実のなかにあります。

 旧ソ連や中国がなぜ自由のない社会になったか。遅れた状態から革命が出発したこと、それにくわえて指導者が誤りをおかしたこと、こういう問題があります。

 1917年のロシア革命の場合、革命前のロシアはツァーリと呼ばれた絶対君主が全権を握り、人民には何の権利も保障されていませんでした。形だけの議会はありましたが全く無力でした。1949年の中国革命はどうか。中国では、1911~12年の辛亥革命で中華民国が誕生し、共和制となりました。しかし、軍閥が割拠し、日本による侵略もあり、議会は存在しませんでした。人民が議会制民主主義というものを体験しないで革命になったのです。ロシア革命も、中国革命も、人民が、自由、民主主義、人権、議会を経験しないもとで起こった革命でした。

 それにくわえて、根本的問題がありました。人民の文化的水準の立ち遅れという問題です。人民の識字率――文字が読める率はどうだったか。ロシア革命の場合、革命の直後の識字率はわずか32%、7割が字が読めない。中国革命の場合は革命直前の識字率は17%、8割以上が字が読めない。こういう数字が記録されています。人民の多くが字が読めない。これは民主主義をつくっていくうえでも大きな制約となったことでしょう。

 こういう遅れた状態から出発した革命だっただけに、指導者には自由と民主主義、人権を発展させるための独自の努力が求められました。ところがそれが十分にはされず、逆行がおこりました。旧ソ連ではスターリンによる大量弾圧が行われ、「一党制」が固定化されてそれが中国にも輸出されました。旧ソ連や中国が自由という点で大きな問題を抱える社会となったのは、こういう歴史的背景があったのでした。

 では日本はどうかと考えましたら、まったく条件が違うではありませんか。まがりなりにも戦後七十数年間、日本国憲法のもとで、自由、民主主義、人権の制度が、曲折を経ながらも、国民のたたかいで発展させられてきました。そういう社会を土台に先に進むわけです。ですから、自由のない社会には決してならないという最大の保障は、発達した資本主義国を土台にして革命を進めるという事実そのもののなかにあるということを、私は強調したいと思います。

「学び成長する」ことこそ、民青同盟の最大の魅力

 こうした三つの角度から「人間の自由」が豊かに花開く社会、これが私たちのめざす未来社会――社会主義・共産主義社会だということを大会決議案では明らかにしました。みなさん、これはワクワクする内容ではないでしょうか。(拍手)

 私たちがめざす未来社会については、『綱領セミナー』や『科学的社会主義Q&A』などでもお話ししてきましたが、今回の大会決議案のなかで、三つの角度から発展させてまとめた内容を、どうか学習していただいて、生かしていただければと思います。

 民青同盟からお聞きした経験で、こういうものがありました。新潟県である青年が共産党の事務所を訪ねてきてくれて民青同盟に加盟しました。その青年は次のように語っていたといいます。

 「高校のときは、いい大学に入って、いい会社に入って、そうすれば明るい幸せな未来が待っていると思ったんだけれど、いま26歳で働いていて、30代、40代、50代、このままの日本でいいのだろうかと思い始めました。そのときにユーチューブで共産党が、社会主義は労働時間の短縮がカギだというふうに言っていて共感しました。そういう時間が増えるっていうのは魅力的です」

 社会主義・共産主義社会というのは、一言で言えば労働時間の抜本的短縮です。それが、とっても魅力的だと青年の心に響いている。多くの青年にとって魅力的な展望、希望ある未来を学ぶことができる組織――それが民青同盟だと思います。

 私は、「学び成長する」ことこそ民青同盟の最大の特徴であり、最大の魅力はここにあると思います。私も、民青同盟の中で学ぶ楽しみを見つけました。みなさんがこの素晴らしさを大いに広げながら、民青同盟のさらなる発展を勝ち取ることを強く願いたいと思います。(拍手)

戦前の共青の活動から現代に何を引き継ぐか――共青創立100年にあたって

 さて、今年2023年は、民青同盟の前身――日本共産青年同盟が、1923年4月5日に結成されて、100周年の記念すべき年です。100年前に先輩たちが掲げた松明(たいまつ)を、いまみなさんが引き継ぎ、立派に発展させていることに対して、私は、心からのお祝いを申し上げたいと思います。(拍手)

 今日お話ししたいのは、民青の前身の共青が、どういう活動をしてきたのかということについてです。このテーマについては10年前の共青創立90周年のさいにまとまって話す機会がありましたが、それを踏まえつつ、若干の話をさせていただいてあいさつを締めくくりたいと思います。

 戦前の社会は天皇絶対の専制政治のもとにありました。困難な状況のもとで、弾圧と迫害に抗し、共青は、日本共産党とともに、二つの旗を勇気をもってかかげました。一つは、天皇絶対の専制政治をやめさせて、国民主権の世の中をつくることです。もう一つは、天皇制が引き起こした侵略戦争に反対を貫くことです。これは、戦前では命がけの勇気を必要とするものであり、多くの先輩たちが弾圧で命を落としました。

 しかし私は、共青こそ、戦前の日本の若者の良心と知性のもっともすぐれた結集体だったと思います。そのたたかいの正しさは、戦後の日本国憲法に国民主権と恒久平和主義が書き込まれたことで歴史が証明しました。

世の中の不正に対して頭を下げない不屈さ――高島満兎の闘いにふれて

 戦前の共青の活動から現代に何を引き継ぐか。二つほど言いたいと思います。

 私はまず、世の中の不正・不合理に対して、頭を下げない、屈しない、不屈さということを学びたいと思います。

 共青の初代委員長は川合義虎という人でした。彼は、共青創立の半年後の1923年9月に起こった関東大震災のさいに、懸命の救援活動を行います。3人の幼児を救い出し、ミルクやビスケットをあたえ、上着をかぶせて一晩中抱いて、安全なところに避難させたという記録が残っています。その直後に、暗黒勢力によって、多くの朝鮮人・中国人の虐殺が行われるもとで、川合義虎も、逮捕され、虐殺されました。21歳の若さでした。

 女性の先輩たちの活動もたくさん記録されています。日本共産党は、先日発表した党史『日本共産党の百年』のなかで、24歳の若さで迫害によって命を落とした4人の女性革命家の闘(たたか)いについて詳しく書きました。私は、9月の党創立101周年記念講演で、そのうちの一人飯島喜美さんの闘いについてお話ししました。今日は、高島満兎(まと)さん――主に共産青年同盟で活動した、みなさんの直接の先輩だった革命家について話したいと思います。

 高島さんは福岡県の生まれで、日本女子大学に入学し、大学で社会科学研究会に参加し、そこで科学的社会主義に出会い、学ぶなかで、共青に加盟します。共青の中央機関紙「無産青年」の編集局の組織部の仕事につき、弾圧をかいくぐって配布網を広げていきます。東京、千葉、神奈川、群馬、山梨、奈良へと配布網を広げていきます。

 やがて彼女は、共青の千葉県の事実上の責任者として大奮闘します。千葉医大班、京成班、国鉄班、農村班、街頭班など次々に班をつくっていきます。街頭班もつくったといいます。いまみなさんは、街頭でシールアンケートなどをやって仲間を増やしていますが、街頭班を戦前の困難な時期につくっていたことも驚きです。千葉医大では、彼女が組織した読書会に75人もの学生が組織されて、高島さんは「ローザ」という愛称で呼ばれていたそうです。ローザ・ルクセンブルクという当時有名な女性革命家に憧れていた学生から、憧れをもって「ローザ」と呼ばれていたのだと思います。

 彼女は、特高警察によって寝込みを襲われ、2階の窓から飛び降り、脊椎を複雑骨折する重傷を負い、寝たきりの生活を1年にわたって余儀なくされ、亡くなりました。高島さんは、においの高い山百合の花が好きで、お母さんが病床から見える庭に植えてくれた。やがて蕾(つぼみ)がふくらんで、咲くのを楽しみにしていた。ある朝、ついに花が咲いて、お母さんが「まと子、山百合が咲いたわよ」と声をかけたのですが、衰弱していた高島さんは「お母さん。私目が見えないわ」と答えて、それから間もなくして息をひきとったという記録が残されています。亡くなったのは24歳です。「私たちは一刻一刻を完全に生きるのよ」ということを語っていたということが伝えられています。

 若くして命を落とした先輩たちは、もっと生きたかったと思います。しかし、本当に人間らしく生きるためには、不当なものに屈するわけにはいかない。屈しないで闘うことこそ一番人間らしい生き方なんだという信念でがんばった。民青同盟のみなさんが、そういう素晴らしい先輩たちをもっていることを、どうか誇りにしていただきたいと、私は訴えたいと思います。(拍手)

 いまは戦前とは違って、民青の活動をやったからといって弾圧されたり、投獄されたりすることはありません。そこは心配しないでいただきたいと思います。そんな社会に後戻りさせることは絶対に許しません。

 しかし、現代には、違った困難もあると思います。巨大メディアの多くが真実を伝えないもとで、青年の自覚を妨げるいろいろな言説が社会にはびこっています。たとえば、財界などが流してくる「自己責任」論はその一つです。これに縛られて多くの青年たちが苦しんでいる。その時に、「悪いのはあなたじゃない。政治のゆがみにある。政治を変えよう」と対話を続け、一人一人を社会進歩の事業に結集していくことは、どんな困難があってもへこたれない不屈性が求められる活動だと思います。

 戦前の先輩たちががんばってきたこの不屈の闘い、これを現代に生かす必要があると思います。若いみなさんが、先輩たちが刻んだ不屈の青春を、現代にふさわしい形で引き継ぎ、元気いっぱい活動されることを願ってやまないものです。

青年と結びつき、要求実現のために、実に多彩で楽しい活動にとりくんだ

 戦前の共青の活動から現代に引き継ぐものとして、もう一つあげたいことがあります。それは、共青が、つらく厳しい活動だけをやっていたわけではないということです。たいへんに困難な情勢のもとでも、青年と深く結びつき、青年の切実な要求実現のために、実に多彩で楽しい活動にとりくんでいたということです。

 1929年に共青は、「日本共産青年同盟の任務に関するテーゼ」――「共青テーゼ」という方針を決めます。そのなかで、「青年運動は何よりも、青年らしいこと、青年の心に強く訴える、共鳴し易いもの」であることが必要だと強調しています。スポーツ、しろうと芝居、野外劇、ピクニック、雄弁会、漫画会、読書会など、青年の文化、スポーツ、学習のすべてに密着した活動を行おうと決めて、大胆な活動を始めるんです。なかでもスポーツとピクニックは、とくに人気が高かったといいます。

 ピクニックのとりくみも記録に残っています。共青の同盟員や「無産青年」の読者が中心になって計画をたてて、郊外に出かけていく。ふだん工場や街では歌えない労働歌や革命歌を思いきり歌う。討論をやったり、相撲をとったり、遊戯をやったり、水泳をしたり、一日を楽しく過ごしながら、英気をやしないました。

 ここに、1932年10月4日付の「無産青年」の写しを持ってきました。当時の「無産青年」は、活版刷りで6ページでしたが、最後のページを見ると、「秋のピクニツク」という大特集が出てきます。「繰り出せ!! 煤煙の街から秋晴れの郊外へ 楽しい一日が闘争を促進する」という見出しがたっています。こういうことが書かれています。

 「秋晴れの日に一つ皆でピクニツクに出掛けやう」「工場の仲間を、未組織の仲間を誘ひ合せて出かけやう」「青年労働者の文化的な要求は量り知れない深さを持つてゐる」「面白く遊ぶことを心掛けよ。遊びたいのに遊ばせないで、やにわに演説などぶつぱじめたりしたら、もうおしまひである」(笑い)

 次の見出しは、「お弁当は何にしよう にぎやかなお握りやら プロレタリアサンドウイツチ」です。「さあ、ピクニツクに行くと決まつたら、今度はお弁当が問題です」「次に発表するお弁当のつくり方は青バス某車掌君から教はつたので、値高からず、うまく、栄養に富み、手数は要らず、頗(すこぶ)るプロレタリア的のものと思ひます」

 続いて詳しいレシピが書かれています。「握りめしの小さいのを沢山つくつて、その中に沢庵、糠漬け、福神漬、紅生芽、シソの実等を各々入れます。手当り次第何に当るか判らないので大勢で食べると、とても楽しみなものです」(笑い)

 次はサンドイッチです。「パンを薄く切つたのに人参馬鈴薯、青豆等をゆでて薄く塩で味をつけたものを挟みます」「パンの上に鰹の塩から、醤油の実、ユズ味噌又は鱈の子、鱈か鰊の干物、塩鮭ほぐしたの等を塗ります」「ハムだの腸づめだのとブルジヨアの食ふ高いサンドウイツチよりいくらいいか知れません」(笑い)

 1932年10月といいますと、前の年の1931年9月に日本軍国主義による中国侵略戦争がはじまり、弾圧もいよいよ厳しくなってくる最中です。そういう時期に、青年と結びつき、のびのびと楽しい活動をしていたことは本当に驚くべきことだと思います。

 戦前の共青の活動から、困難にへこたれない不屈性とともに、青年と結びつき要求実現に楽しくとりくんだ姿を紹介しました。民青同盟のみなさんが今とりくんでいる活動は、こうした歴史的伝統を立派に引き継ぐものだと思います。(拍手)

「未来は青年のもの」――数万の民青同盟へとさらなる発展を

 みなさん。「未来は青年のもの」という言葉があります。これは昔も今も真理だと思います。みなさんが共青いらいの素晴らしい伝統を引き継ぎ、青年の切実な願いを実現するために青年とともにたたかう、日本の政治の「二つのゆがみ」をただし青年の希望をとどける、そして日本共産党綱領と科学的社会主義を学ぶ――この“三つの魅力”を輝かせて、数万の民青同盟へとさらなる発展をとげることを心から願いまして、ごあいさつといたします。ともにがんばりましょう。(拍手)