志位和夫 日本共産党

力をあわせて一緒に政治を変えましょう

演説・あいさつ

2023年12月10日(日)

「若者タウンミーティング」から

志位委員長 大いに語る


写真

(写真)質問に答える志位和夫委員長=11月18日、党本部

 日本共産党東京都委員会が11月18日に開いた「若者タウンミーティングwith志位和夫」の内容が、大きな反響を呼んでいます。このうち、「共産党がめざす社会主義・共産主義はどんな社会か?」と「どうしてそこまで民主集中制を大事にしているのでしょうか?」の二つの問いに答えた志位委員長の発言を紹介します。司会は、2021年総選挙で東京24区候補だった吉川ほのかさんと、東京北多摩中部地区青年学生オーガナイザーの中村直貴さんです。


社会主義・共産主義社会と「人間の自由」

共産党がめざす社会主義・共産主義とはどんな社会か?

パネル8

 吉川 次の質問に移りたいと思います。資本主義のままでいいとは思わないけれども、中国やソ連のようになるのはイヤです。共産党がめざす社会主義・共産主義とはどんな社会なのでしょうか。

 志位 共産主義というと「自由がない社会」というイメージが多いかもしれません。しかし、実は、まったく正反対なんです。

 私たちは、来年1月に開催予定の第29回党大会の大会決議案に、「人間の自由」と社会主義・共産主義の関係について、こういうことを書き込みました。

 「わが党綱領が明らかにしている社会主義・共産主義の社会は、資本主義社会がかかえる諸矛盾を乗り越え、『人間の自由』があらゆる意味で豊かに保障され開花する社会である。『人間の自由』こそ社会主義・共産主義の目的であり、最大の特質である」

 そして、「『人間の自由』こそ社会主義・共産主義の最大の特質」ということについて、それを三つの角度から特徴づけました。いわば“21世紀の日本共産党の「自由宣言」”をのべたのが、大会決議案のこの一節です。パネルをご覧ください(パネル8)。

「利潤第一主義」からの自由――「人間の自由」は飛躍的に豊かなものになる

パネル9

 志位 第一の角度は、「利潤第一主義」からの自由です。

 これはどういうことか。

 いま資本主義のもとで、空前の規模で格差が広がっています。次のパネルをご覧ください(パネル9)。「世界不平等研究所」が、2021年12月に発表した調査で、世界における富の分布を明らかにしたものですが、パンデミックを経て、格差は空前の規模で拡大しています。上位1%の人に世界全体の資産の38%が集中している。下位50%の人は、わずか2%しか資産をもっていない。ここまで格差が広がってしまった。

 もう一つは、気候危機の深刻化です。世界中で異常豪雨、台風、山火事、干ばつ、猛暑、海面上昇が大問題になっています。国連のグテレス事務総長は、「地球温暖化の時代は終わった。地球沸騰化の時代が始まった」――こういう厳しい警告を発しました。

 なんでこんなことが起こるのか、ここでも「なぜ」を考えてみたい。

 資本主義のもとでは、生産は何のために行われるでしょうか。資本主義のもとでの生産の目的・動機は、すべて個々の資本のもうけ――利潤をひたすら増やすことに置かれています。このことを私たちは、「利潤第一主義」と呼んでいるのですけども、これが資本主義のもとでは鉄則として働きます。

 「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は、人間の労働から最大のもうけを吸い上げようとします。そのことから、貧富の格差が起こりますし、長時間労働が起こりますし、「使い捨て」労働が起こる。いろいろな害悪が生まれてきます。

 もう一つあるのです。「利潤第一主義」に突き動かされて、資本は、もうけのためだったら、地球環境はお構いなし、「あとは野となれ山となれ」――これでやってきました。それが今日の気候危機を招きました。

 「利潤第一主義」という病、これは資本主義のもとではどうしても治せない。

 それではどうすればこれを治せるか。「利潤第一主義」というのは、生産手段――すなわち工場とか機械とか土地とか生産に必要なものを資本が持っていることから生まれます。これを(生産手段を)資本の手から社会全体の手に移す――これを「生産手段の社会化」と呼んでいますが、そうすると生産の目的が変わってきます。個々の資本の利潤の最大化から、社会と人間の発展のためへと生産の目的が百八十度変わってくる。これが社会主義・共産主義への変革です。

 「利潤第一主義」から自由になることによって、「人間の自由」は飛躍的に豊かなものになります。人間は搾取や抑圧から自由になり、貧困と格差から自由になり、「使い捨て」労働や長時間労働から自由になり、繰り返される恐慌や不況から自由になり、環境破壊から自由になります。人間が生きていくための労働はもちろん必要ですが、労働の性格は人間的なものに一変します。

「人間の自由で全面的な発展」――真の自由の輝きはここにある

パネル10

 志位 第二の角度は、「人間の自由で全面的な発展」です。

 ここで使っている「自由」という言葉は、第一の角度で使った「自由」とは、違った意味で使っています。第一の角度で使った「自由」は、他者からの害悪(「利潤第一主義」の害悪)を受けない「自由」です。そういう意味では消極的な自由です。第二の角度での「自由」は、もっと積極的な意味で使っている。自分の意思を自由に実現することができるという意味での「自由」です。

 そしてここで強調したいのは、未来社会――社会主義・共産主義社会における「自由」は、「利潤第一主義」からの「自由」にとどまるものではない、この社会における真の自由の輝きは、実は、その先にある、すなわち「人間の自由で全面的な発展」のなかにこそあるということです。

 それでは「人間の自由で全面的な発展」とはどういうことか。マルクスの盟友だったエンゲルスが、その最晩年(1894年)に、イタリアの社会主義者のジュゼッペ・カネパという人から手紙をもらいます。カネパは、来たるべき社会主義社会の基本理念を簡潔に表現するスローガンを示してほしいとの質問をしました。この質問に対して、エンゲルスは返事を書いて、一言で言うのはなかなか難しいが、あえて言うならばということであげたのが、マルクス、エンゲルスが若い時代に書いた『共産党宣言』(1848年)のなかの次の一節でした(パネル10)。

 「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」

 ここで「各人の自由な発展」という言葉が出てきます。これはどういう意味かといいますと、人間というのは誰でも自分の中に素晴らしい可能性をもっている。ある人は科学者になる可能性をもっている。ある人は芸術家になる可能性をもっている。ある人はアスリートになる可能性をもっている。ある人はモノづくりの可能性をもっている。人間は、みんな誰でも自分のなかにたくさんの素晴らしい可能性をもっている。ここで「たくさんの」と言ったのは、人間がもっている潜在的な可能性は一つでなく、多くの可能性であるからです。そして人間は誰でもすべてそういう素晴らしい可能性をもっている。これが科学的社会主義の人間観なのです。

 しかし、資本主義のもとでは、そういう潜在的な可能性を、本当に自己実現して、のびのびと発展させることができる人は、一部に限られています。素晴らしい可能性を持っていながら、それが埋もれたままになってしまうという場合が少なくない。マルクス、エンゲルスは、ここを根本から変えたいと考えました。すべての人が「自由な発展」ができるような社会をつくりたい。こう考えた。これは2人が、最初の時期から生涯をつうじて、一貫して社会主義・共産主義に求め続けたものだったのです。

 彼らが最初に出した答えは、社会から分業をなくせばいいというものでした。分業によって一人ひとりの人間が「活動の特定の排他的な領域」に縛り付けられていることが、「自由な発展」を阻んでいる。これをなくせばよいと考えた。マルクス、エンゲルスが初期の時期に書いた『ドイツ・イデオロギー』(1845~46年)という労作があるのですけど、そのなかでは「分業の廃止」という構想が書かれています。いわく、「私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には批判をするということができるようになる」。これは、とても牧歌的な構想ですが、2人が最初の時期から、人間の自由で全面的な発展を共産主義の根本的内容として追求していたことを示すものです。(注)

 (注)『ドイツ・イデオロギー』では、共産主義社会について、「個人個人の独自な自由な発展がけっして空文句でない唯一の社会」(全集③、475ページ)などの特徴づけも行っています。

 志位 しかし社会全体から分業をなくすことはありえないことです。どんなに社会が発展したとしても分業は必要となってきます。マルクス、エンゲルスは、「分業の廃止」は現実ではありえないし、解決の道でもないと、この考え方を乗り越えていきます。彼らが最終的に得た結論というのは「労働時間を抜本的に短くする」という結論でした。この結論は、マルクスの『資本論』のなかにはっきりと書き込まれました。(注)

 (注)『新版 資本論』第12巻、1459~1460ページ。

 志位 たとえば、1日3時間から4時間、週2日から3日の労働、あとは自由時間となったらどうしますか。

 吉川 すごいですね。

 志位 吉川さん、誰もが十分な自由時間がもてるようになれば、あなただったら何に使いますか?

 吉川 私だったら、大学4年間、美術をやっていたので、引き続きモノづくりをやりたいなって思いますね。

 志位 なるほど。そうなると、いまの仕事をやりながら、美術もやってみようと、こういうふうになりますよね。

 そういう形で、みんなが十分な自由時間をもてるようになれば、自分の中に眠っている力を存分に発展させられるようになるだろう。それをみんなでやったら、社会全体の素晴らしい発展につながってきますね。「万人の自由な発展」につながってくる。そのことによって、ますます労働時間が短くなって、人間の発展と社会の発展の好循環が生まれてくる。マルクス、エンゲルスは、このことをこの言葉で表したわけです。

「利潤第一主義」からの自由は、「人間の自由で全面的な発展」の条件となる

 志位 最初のパネル(パネル8)に戻ってください。

 第一の角度――「利潤第一主義」からの自由と、第二の角度――「人間の自由で全面的な発展」との関係はどうなっているかと考えると、前者の「自由」を得ることは、後者の「自由」を得ることの条件になってきます。

 「利潤第一主義」からの自由――生産手段の社会化が実現し、人間による人間の搾取がなくなれば、社会のすべての構成員が平等に生産活動に参加するようになり、そうなれば、当然、1人当たりの労働時間はうんと短くなります。

 さらに、「利潤第一主義」から自由になることによって、資本主義に固有の浪費をなくす道が開かれます。たとえば資本主義のもとでは、恐慌と不況が繰り返され、なくなることは決してありませんが、これは浪費の最たるものです。リーマン・ショックのときを思い出していただければわかるように、一方で、街頭に多数の労働者が放り出される。一方で、大企業の機械は止まっている。こういう状況は浪費の最たるものです。それから、資本主義の「利潤第一主義」のもとで「大量生産、大量消費、大量廃棄」が繰り返されることも、浪費の深刻なあらわれです。その最も重大な帰結が、いま私たちが直面している気候危機にほかなりません。「利潤第一主義」から自由になることによって、これらの浪費がなくなったら、労働時間はうんと短くなります。

 こうして第一の角度――「利潤第一主義」からの自由を得ることは、第二の角度――「人間の自由で全面的な発展」の条件になってくるのです。そして第一の角度にとどまらず、その先の第二の角度までいったところに、私たちのめざす未来社会の真の自由の輝きがある。そういう関係です。

発達した資本主義国での社会変革――「人間の自由」でもはかりしれない豊かな可能性

 中村 いやもう、できれば今すぐにでもめざしたいなという気持ちもありますけど、じっくり頑張りながら、めざしていきたいなって思います。自分は個人的には睡眠時間をしっかり確保したいなと思って、聞いていました。とはいっても、旧ソ連や中国のようになるのではという心配も出てくるかなと思います。

 志位 それへの答えが、この第三の角度――「発達した資本主義国の巨大な可能性」というところにあるんです。日本の場合には、発達した資本主義国から社会変革を始めるわけです。それは「人間の自由」という点でも、はかりしれない豊かな可能性をもつ。これが第三の角度なのです。

 旧ソ連や中国が、なぜ自由のない社会になったか。革命の出発点の遅れという問題が、大きく作用しました。ロシア革命の場合には、革命前は、ツァーリとよばれた皇帝が絶対権力を握っていて、人民にはまったく権利がない。国会も形ばかりのもので権限がない。自由も民主主義もない。そこからスタートした。中国革命はどうか。中国は辛亥革命(1911~12年)によって中華民国がつくられ、共和制の国になったわけですが、軍閥が割拠し、日本の侵略もあるもとで、議会は存在しなかった。自由と民主主義の経験がほとんどまったくないところから革命が始まった。

 そういう遅れた社会から革命を始めたら、指導者には、自由と民主主義をつくるための特別の努力が必要でしたが、そういう努力は十分にやられず、逆に、ソ連ではスターリンによる大量弾圧が行われ、一党制が固定化された。一党制は中国にも輸出されました。そうした歴史的事情が、自由という点での重大な問題点につながっていきました。

 それでは日本はどうだろうかと考えてみた場合に、発達した資本主義を土台に先に進むわけです。高度な生産力がある。国民の生活と権利を守るルールもつくられてきた。自由、民主主義、人権の諸制度も、日本国憲法のもとで七十数年間、曲折を経ながらも続き、発展させられてきた。人間の個性という点でも、搾取社会という制約があっても、たくさんの豊かな個性が資本主義のもとでつくりだされてきた。こういうものをすべて引き継いで先に進むわけですから、その先につくられる社会が、自由のない社会ということには絶対になりません。

 日本共産党は、党の綱領で、将来にわたって、資本主義のもとでつくられた自由や民主主義など価値あるもののすべてを、引き継ぎ、豊かに発展させ、花開かせるということを約束しています。綱領で約束しているだけでなく、発達した資本主義を土台に先に進むわけですから、それが未来社会が「自由のない社会」には絶対にならない最大の保障だということを強調したいのです。発達した資本主義国での社会変革は、「人間の自由」という点でも、豊かな達成を土台にして先に進むことができる、はかりしれない豊かな可能性をもつ、これが第三の角度で強調していることです。

 2020年の第28回党大会での綱領一部改定のさいに、私たちは、「発達した資本主義での社会変革は、社会主義・共産主義への大道である」という命題を書き込みました。これは、ロシア革命以後の歴史的経験を踏まえたものであるとともに、資本主義の発達のなかで未来社会にすすむ諸要素が豊かな形でつくりだされるという理論的な展望を踏まえたものでした。

 この問題で最後に言っておきたいことは、今日、三つの角度から未来社会の自由の話をしたのですが、いまの私たちのたたかいは、そのすべてが未来社会につながってくる、地続きでつながってくるということです。たとえば、労働時間が長すぎる、短くしてほしい、「サービス残業」をなくしてほしい、労働時間の抜本的な短縮のためのたたかいは、「人間の自由で全面的な発展」の条件をつくることにつながってきます。それから学費を無償にしてほしい、賃金を上げてほしい、人間らしく働けるルールをつくっていきたい――これらを求めるたたかいは、「利潤第一主義」からの自由を得ることにつながってきます。いま私たちがとりくんでいるたたかいというのは、未来社会に地続きでつながっている。未来社会ははるかかなたの遠くにあるものじゃなくて――もちろんそこにいたるにはいくつかの段階を経ることになりますが――、いまのたたかいとつながっている。いまの私たちのたたかいが、未来社会の素晴らしい豊かな展望を準備するということも、胸に置いて、頑張りたいと思います。

多数者革命と日本共産党の役割

どうして民主集中制をそこまで大事にしているのでしょうか?

 中村 六つ目の質問に移りたいと思います。今、共産党に対していろいろと批判を聞くことがありますが、どうして民主集中制をそこまで大事にしているのでしょうか、こういった質問が寄せられています。

段階的発展、多数者革命、統一戦線――日本共産党の社会変革を進める基本的立場

パネル11

 志位 この問題については、根本のところから今日はお話をさせていただきたいと思います。つまり、社会進歩の事業のなかで、共産党が果たすべき役割とはいったい何なのか、その役割を果たすためにはどういう組織が必要なのか、こういう大本のところから、お話ししてみたいと思うんです。パネルをご覧ください。(パネル11)

 日本共産党は、社会変革を進めるうえで、つぎの三つの基本的立場を一貫して堅持して奮闘するというのが、私たちの綱領の立場です。

 第一は、社会の段階的発展の立場です。社会というのは、その時々に直面するさまざまな矛盾を解決しながら、一歩一歩、階段を上るように、段階的に発展する。一足飛びにはいかない、段階的に発展するという立場です。

 日本共産党の綱領では、いま上るべき階段は、今日お話しした日本の政治の二つのゆがみ――異常な「アメリカいいなり」、「財界中心」の政治のゆがみをただして、「国民が主人公」の日本をつくる――私たちはこれを民主主義革命と呼んでいますが、これがいま上るべき階段だと明らかにしています。それを上った次に社会主義社会に向けての変革という次の階段を上る。こういうプログラムを私たちはもっています。

 第二は、多数者革命の立場です。どういうことかというと、あらかじめ選挙で示された国民多数の意思にもとづいて階段を上るということです。共産党が勝手に引っ張っていくようなことはしない。国民多数が合意して階段を上っていく。あらかじめ選挙で示されたというところが大事で、平和的にやっていくということです。よく共産党について「暴力革命の党」という悪口がありますけど、うそですよ。私の顔を見てください。暴力革命をやりそうに見えますか。これはうそです。あらかじめ選挙で示された国民多数の意思にもとづいて平和的に社会の変革を進める。これが多数者革命の立場です。

 第三は、統一戦線の立場です。思想・信条の違いを超えて、直面する矛盾を解決するための一致点で、国民の多数を統一戦線に結集して、階段を上っていこう。一党一派ではなく、統一戦線で社会を変えるというのが、大方針です。

 この三つの立場を、社会発展のどんな段階でも一貫して堅持していこうというのが、日本共産党の革命論なのです。

多数者革命のなかで共産党は何をやるのか、なぜ共産党が必要なのか

パネル12

 中村 多数の意思で社会を変えていこうという立場だと思いますが、そういった多数者革命の中で、共産党は何をやるのか、なぜ共産党が必要なのかということについて、お話しください。

 志位 それがつぎの大きな問題になってくるんですが、私たちは日本の社会の外にいて、外部から日本社会を何か特別な方向に引っ張ってゆこうとしているのではありません。民主主義革命でも社会主義的変革でも、それを進める主体となるのは主権者である国民自身です。つまり国民の多数が「この社会を変えよう」となって、はじめて社会は変わる。そのためには、国民の多数が自分の置かれている客観的な立場を理解する。どこに自分たちを苦しめている根源があるのかを理解する。その解決のために何が必要かを理解する。そして日本の進むべき道を自覚してはじめて「この社会を変えよう」となりますよね。そういうことが必要になってくる。

 たとえば「賃金が上がらなくて苦しい」――その根源には何があるのか。さきほどお話ししたように、財界が旗を振って、労働法制の規制緩和をやって、非正規ワーカーに置き換えていった。この問題がある。その解決のために何が必要かと考えたら、「財界中心」の政治のゆがみを変えようということになります。一つひとつのところで、国民自身の「自覚と成長」が進んでこそ「社会を変えよう」という声が多数になる。

 もう一つ大事なことは、こういう「自覚と成長」は自然には進まないということです。なぜなら、そうした「自覚と成長」を阻む議論が、世の中にはあふれているじゃないですか。たとえば「賃金が上がらなくて苦しい」という声にたいして、財界などは何というか。「自己責任」だという。「賃金が上がらないのは個人の責任だ」「上がらないのはあなたの努力が足らないからだ、もっと努力せよ、スキルアップせよ」というのが財界の言い分です。しかしそうじゃない。「自己責任」なんかじゃない、悪いのはあなたじゃない、政治のゆがみなんだと、相手が流してくる「自覚と成長」を妨げる議論を打ち破っていく努力が必要になります。古い政治にしがみつく勢力が流してくる妨害や抵抗とたたかい、それを打ち破ってはじめて「自覚と成長」が進む。エンゲルスは「長い間の根気強い仕事」が必要だといいました。そうした国民の「自覚と成長」を推進する役割を果たすのが日本共産党だということを自覚して奮闘しよう。

 大会決議案ではそのことをこのように書きました。(パネル12)

 「どんな困難にも負けない不屈性、科学の力で先ざきを明らかにする先見性を発揮して、国民の自覚と成長を推進し、支配勢力の妨害や抵抗とたたかい、革命の事業に多数者を結集する――ここにこそ日本共産党の果たすべき役割がある」

 多数者革命の事業に、国民の多数者を結集する、それを推進する――ここに日本共産党の役割があると私たちは考えています。(注)

 (注)社会の段階的発展と国民の認識や力量の発展の関係について……この問題について、『新・綱領教室』で次のようにのべたことがあります。

 「強調しておきたいのは、(社会発展の)階段を一歩上るごとに、変革の主体である国民の認識や力量が発展するということです。階段を上る主体は、主権者である国民です。国民は、階段を一歩上るごとに、違った姿になるでしょう。すなわち、国民は、階段を一歩上れば、自らの力で社会を変えられるという確信をつかむでしょう。また、一つの階段を上れば、この方向で進めば、もっと立ち入った変革に前進にできるという、次の展望が見えてくることにもなるでしょう。さまざまな意味で、社会変革の主体である国民の認識や力量が発展するという展望をもって、綱領路線の実現の事業に取り組むことが大切だと思います」(下巻、25~26ページ)

 社会の段階的発展の階段を一歩上るごとに、社会の仕組みが変わるだけでなく、国民自身が大きく変わる。こういうプロセスにおいて、国民の認識や力量の発展を推進する役割を担うのが日本共産党であると自覚して奮闘していきたいと思います。

民主集中制の大切さ――多数者革命を推進する仕事はバラバラの党ではできない

 中村 そういった役割を不屈に果たしていく、すごく大事なことだと思うのですが、ここと民主集中制とはどのような関わりがあるのでしょうか。

 志位 多数者革命のなかで日本共産党がいまお話ししたような役割を果たそうとしたら、民主集中制という組織原則をしっかりと貫き、発展させることが、どうしても必要になってきます。

 国民の多数者を革命の事業に結集する仕事をやろうとしたら、「どんな困難にも負けない不屈性」――どんな困難があっても“くじけない頑張り”が必要になりますし、「科学の力で先ざきを明らかにする先見性」――社会の発展の法則を科学的に明らかにしていくことが必要になりますし、「支配勢力の妨害や抵抗とたたかい」、打ち破っていくことが必要になります。こういう仕事をやる党がなかったら進まない。

 そういう仕事をやろうと思ったら、バラバラの党でできるでしょうか。派閥に分かれていて、党内で抗争をやっている、そういうバラバラな党でできるでしょうか。

 そこで民主集中制が必要になってきます。民主集中制に対して、「独裁」だなどと悪者あつかいする議論は以前から繰り返されてきましたが、これは全く違います。怖いことでもないし、特別なことでもないんです。

 民主集中制というのは、簡単にいえば、方針を決めるときには民主的な討論を尽くし、決まった方針はみんなでそれを実行するということです。民主的討論と行動の統一ということです。

 行動の統一というのは、どんな政党であっても国民にたいする公党としての当然の責任だと思います。だからどの程度まで実行しているかは別にして、どの政党だって規約を読んでみたら行動は統一するとの趣旨が書いてあります。行動の統一を乱すものは処分することも書いてある。どの政党でもそうです。

 ましてや国民の多数者を革命の事業に結集する役割を果たそうとすれば、行動の統一ができない、派閥抗争をやっているようなバラバラの党で、どうしてそうした仕事ができるでしょうか。どうして、国民の自覚と成長を妨げる議論を打ち破って、多数者を結集することができるでしょうか。多数者革命を推進する仕事は、バラバラの党ではできません。日本共産党が民主集中制という原則をとっていることは、多数者革命を推進するという国民への責任、社会進歩への責任を果たすという立場からのものなのです。

 もう一ついっておきたいのは、いま日本共産党が規約で定式化している民主集中制の原則は、どこかの外国からの輸入品ではないということです。それは日本共産党自身の体験を経て確立した大原則です。

 かつて、1950年に、ソ連のスターリンが、日本共産党に「武装闘争の方針をとれ」などというとんでもない方針を押しつけるという干渉が起こり、党が分裂してしまったことがありました(「50年問題」と呼んでいます)。この分裂を克服する過程で、もう二度とこんな誤りを繰り返してはならない、党内に派閥・分派をつくってはならない、意見の違いで排除してはならない、民主主義の運営を徹底するとともに行動は統一する、民主集中制を貫くという教訓を引き出しました。

 その後、1960年代に入りまして、ソ連と中国・毛沢東派が、日本共産党に激しい干渉攻撃をやってきた。このときのやり方は、日本共産党の党内にソ連派や中国・毛沢東派をつくって、党をのっとってしまおうという無法なものでした。そのときに干渉に追随・内通した人たちは分派をつくって党をかく乱しようとしましたが、民主集中制でみんなが団結して、干渉を打ち破っていきました。そういう経験を経て、この原則をより確かなものに発展させていきました。行動の統一ができないバラバラな党だったら、私は、いま日本共産党は影も形もないと思います。この原則を堅持して発展させるということが、未来ある道だと確信しています。

「異論を許さない党」は事実と違う――党大会に向けた民主的討論を見てほしい

 中村 ありがとうございます。自分も力を合わせて頑張っていきたいなと思いました。もう一つ質問が来ていますが、共産党は「異論を許さない党」になっているから、民主集中制を放棄したらいいんじゃないかという議論も出ていると思います。

 志位 共産党は「異論を許さない」というのは、これも事実と違うのです。

 党員が党の外から、共産党を攻撃することは規約に反しますから、やってはならないということになりますけども、党内で規約にのっとって自由に意見をいう権利は、全ての党員に保障されています。

 いま来年1月の党大会に向けて全党討論がはじまっています。先日の中央委員会総会で党大会決議案を提案して、2カ月間の全党討論を行うことになります。この全党討論では自由に意見を出すことができます。そして全体の討論の流れのなかではなかなか出てこない少数の意見についても、みんなにわかるように、特別の冊子もつくる。こういうこともしっかりやっていくつもりです。

 党大会は、どの党にとっても、一番大切にすべき会議になると思います。それを2カ月間かけて討論をやって、自由な意見を保障しているという党が他にあるでしょうか。ないと思います。たとえば自民党が、大会に向けて議案を発表し、討論をしているでしょうか。聞いたことがありません。党大会の議事録を見ても討論の時間がまったくない。本当にセレモニーみたいに大会が終わってしまっています。こういう党との対比でも、日本共産党が党大会にむけてとりくんでいる民主的討論の姿を見てほしいと思います。

 このように、「異論を許さない」というのは事実と違うし、そういう事実と違うことをいって「民主集中制を放棄せよ」という議論をする人がいるけれども、かりにわが党がそういうことをやったとして、喜ぶのは誰でしょうか。共産党をつぶそうとしている勢力、封じ込めようとしている勢力だと思います。私たちはそういう勢力を喜ばせるようなことはいたしません。

国民多数から信頼される魅力ある党に――民主集中制を発展させる努力をすすめたい

 志位 同時にいっておきたいのは、民主集中制を現代にふさわしく発展する努力は当然必要だと思います。たとえばわが党は「双方向・循環型の活動」ということを、この間、心がけてきました。一方通行の上意下達ではなくて、全国で草の根で頑張っている支部のみなさんと中央委員会が、同じ高さの目線で、双方向・循環型で学び合って、いろいろな活動を発展させる努力をやってきました。これはもっと発展させていきたい。

 それから、日本共産党に参加する人は、みんな一人ひとり個性をもっている。多様性をもっている。それを大事にしていくことも大切です。大きな方針のところではみんなが団結する必要があるけれども、一人ひとりによって表現の仕方、訴える言葉は違うじゃないですか。それは自由なんです。そういう多様性や個性を大切にして、自分の言葉、生きた言葉で話すことをもっとやっていかなくちゃいけない。

 さらに、とても大切なことは、日本共産党内の活動としても、ジェンダー平等を大切にし、ハラスメントを一掃する。これは日本共産党の中にも、いろいろな問題、弱点があります。それは自己改革していかなければなりません。そのことを、この間の中央委員会総会でもみんなで決めました。

 民主集中制の原則をしっかり堅持するとともに、現代にふさわしく豊かに発展させていく努力をはかりたい。そのことによって国民の多数から信頼される党になっていく、魅力ある党に成長するように努力していきたいと思います。