【前衛2002年03月号掲載】
(私は、二〇〇一年一二月一四日、慶應義塾大学経済学部で、「議会制民主主義の諸問題について」をテーマに、講義・質疑をおこなう機会がありました。この講義は、当時、慶應義塾大学経済学部の特別招教授をされていた作家の小田実さんと経済学部の二人の教授が担当する新設科目「現代思想」の、一講義としておこなわれました。約四〇〇人の聴講者が、講義を熱心に聞いてくれ、質疑も講義にかみあわせた真剣そのものでした。以下の稿は、その講義・質疑の大要です)。
みなさん、おはようございます。実は、私は、大学で講義するのは、これが初めてなのです。私も大学は卒業していますが、(東大)本郷の講義には、あまり出た記憶がありません(笑い)。政府に抗議する運動を、おもにやっていて(笑い)、コウギ(講義)といっても別のコウギ(抗議)でした。
というわけで何しろ今日が初めてなので、国会で質問するよりも、ちょっと緊張しておりますが、こういう機会をあたえていただいたことに、感謝をしています。
私に与えられたテーマは、「議会制民主主義の諸問題について」です。
「議会」といいますと、あまりいい印象をもっていない方が多いのではないでしょうか。「金権腐敗」とか、「密室談合」とか、「審議不在」とか、そんなイメージが多いと思います。そういう実態があることも、現場におりまして痛いほど感じています。
しかし「議会」というものが、国民の暮らし、平和、民主主義など、日本社会のあらゆる問題に深くかかわっていることも事実です。そして議会を、社会の進歩のために役立てようという努力が、さまざまな形でおこなわれていることも事実です。
私たちは政党という立場で、議会を社会の進歩のためにと活動していますが、市民運動の立場で議会に働きかける活動にとりくまれているみなさんもいらっしゃる。さきほど小田実さんが阪神・淡路大震災の被災者支援の「市民=議員立法」のお話をされましたが、それもそうした動きの一つだと私は考え、協力して運動をやってきました。
ですから、議会制民主主義というテーマは、考えてみる値打ちのある大きなテーマだと思います。いくつかの角度から、みなさんと一緒に、この問題について考えながら、お話をさせていただきたいと思います。
まずお話ししたいのは、議会制民主主義とはそもそも何かという問題です。私は、議会制民主主義という概念を、国民主権の原則のうえに、普通選挙権によって議会の構成員を選ぶ政治体制と、まずとらえておきたいと思います。
議会があれば、その国に議会制民主主義があるとはいえません。この区別はよくみておく必要があると思います。これは天皇が専制的な権力をもっていた戦前の日本を思い起こせばすぐわかります。戦前の日本にも帝国議会がありました。しかしこの帝国議会は惨めな議会で、立法権をもっていません。立法権をもつのは天皇で、帝国議会はそれを「協賛」するだけでした。「協賛」とは協力し賛同するという意味です。そういう役割しか与えられていなかった。天皇は、議会と関係なく、法律と同じ効力をもつ「勅令」を出す権限をもちました。
何よりも重大なのは、軍事・外交・教育など、天皇の大権に属することには、議会は口が出せなかったことでした。軍事のこと――陸軍・海軍の統帥権を一手に握っていたのは、天皇であり、議会は軍の作戦行動についてはいっさい口がだせません。それから戦前の教育の基本は、「教育勅語」で決められましたが、これも天皇が決めたもので、「教育勅語」 に反して教育について議会で云することは、およそ考えられませんでした。
それにくわえて国民の選挙で選ばれるのは衆議院だけで、もう一つの貴族院は皇族、華族と天皇が任命した勅任議員で占められました。しかも貴族院は衆議院と同じ権限をもっていて、法律案は衆議院を通っても貴族院を通らないと法律にならない。そういう議会でした。
ですから主権は国民にある――国民主権ということが土台にないと、議会があったとしても、議会制民主主義があるとはいえません。国民主権の原則のうえに、普通選挙権――つまり一定の年齢に達したらすべての人が選挙権をもつ制度があってはじめて、議会制民主主義の最小限の条件が整うと、私は考えています。
それでは、議会制民主主義は、どのようにしてつくられていったのでしょうか。私は、この制度が、各国の民衆の長いたたかいのなかでつくりあげられていったことを、ぜひみてほしいと思うのです。
人民が議会を求め、この制度をつくっていった。つまり議会制民主主義というのは、天から降ってきたものではなく、初めから与えられていたものではなく、民衆の運動、人民の運動、人民のたたかいがつくったということです。
いくつかの国をみてみますと、人類で初めて国民主権を宣言し、民主共和制と議会制民主主義を確立した国は、一七七六年に独立宣言を世界に発したアメリカでした。この独立宣言にいたるには、イギリスの植民地支配からの解放をめざす長いたたかいがありました。一七七五年から一七八一年まで、実に六年間にわたる独立戦争をたたかいぬいて、アメリカは独立をかちとっています。
いまでも世界の民族解放運動でつかわれている合言葉に、「自由か、死か」というのがあるでしょう。この言葉を最初に叫んだのは、アメリカ独立をめざすたたかいのなかでの、パトリック・ヘンリーという人です。そういう言葉も、このたたかいのなかで生まれたのです。
独立とあい前後して、人類史上初めての議会制民主主義が生まれたのもアメリカでした。アメリカの州のなかには、すでに独立の前――植民地時代から、民主的議会をつくっていた州もありました。独立後につくった州もあります。アメリカでは、一八二〇年代にはほとんどの州が男子の普通選挙権を確立しています。その後、奴隷解放戦争があって、一八六六年から七〇年の時期には黒人の選挙権も広がりました。女性にまで選挙権が広がったのが一九二〇年です。長いたたかいをへて、アメリカは議会制民主主義の発祥の地になったのです。
アメリカ独立運動の精神的支柱になった歴史的著書に、トマス・ペインの『コモン・センス』(一七七六年)という本があります。この本には、アメリカがイギリスの植民地支配から分離独立することの意義が高らかにうたわれているのですが、それは、イギリスの政治体制にたいする容赦ない批判――つまり王権、王政による支配への容赦ない批判とむすびついて書かれています。
ペインは、イギリスの政治体制について、イギリスには「二つの暴政の汚い遺物と新しい共和政的要素とが混合している」と書いています。「二つの暴政の汚い遺物」とは、第一に、「国王という君主専制政治の遺物」であり、第二に、「上院という貴族専制政治の遺物」だとされています。そしてペインは、第三の要素として、「下院という新しい共和政治の要素、そしてこの性能いかんにイギリスの自由がかかっているのだ」とのべています。第一の要素、第二の要素、これは圧政の要素です。第三の要素――下院だけが、不十分だけれども選挙で選ばれていた。これがどれだけちゃんと機能するかに、イギリスの自由はかかっている。しかし実態は、王政によって下院の民主的な「長所も台無し」にされている。だから王への忠誠を否定し、王政をきっぱり否定し、民主共和制をうち立てよう。これが『コモン・センス』の呼びかけでした。
この本は、たいへんによく読まれて、独立戦争をたたかった兵士たちの雑嚢には、みんな一冊ずつこの本が入っていたという話があるぐらい、アメリカの建国の精神になった本です。
この民主主義の精神、独立の精神は、私たちと共鳴しあうものをもっています。しかし、残念ながら、いまのアメリカの政権には失われている精神のようです。ぜひブッシュ大統領にも、よく読んでもらいたい本であります(笑い)。
イギリスは、議会制政治の伝統が長い国といわれますが、普通選挙権にもとづく民主的議会がつくられる道のりは、簡単なものではありませんでした。一九世紀の初頭に、イギリスで選挙権があったのは、大地主と貴族と大金持ちの資本家だけです。そこに起こったたたかいが、みなさんもよくご存じだと思いますが、チャーチスト運動です。チャーチスト運動というのは、「成年男子の普通選挙権」をはじめとする六カ条にわたる「人民憲章」(ピープルズ・チャーター)の実現を綱領にした運動でした。
この運動は、一八三〇年代から一八四〇年代にいくつかの高揚をつくりだしました。私たちの先輩のマルクスは、この運動をひじょうに高く評価して、いろいろな援助をしています。マルクスも、エンゲルスも、一八四八年にヨーロッパ諸国で革命がおこり、その革命のなかにとびこんで、まっさきにかかげた要求は、民主共和制、普通選挙権の断固たる主張でした。私たちの先輩が、ここから、理論活動、政治活動をスタートさせていることに注目してほしい、と思います。
チャーチスト運動は、一八四八年の革命の後、衰退の道をたどるなど、紆余曲折はありますが、イギリスでは、長い間のたたかいによって、一八八四年に、とうとう男子の普通選挙権がつくられました。女性も含めた普通選挙権は一九一八年でした。
フランスはどうでしょう。フランスでは複雑な経過をたどって議会制民主主義がつくられました。一九世紀のフランスのブルジョアジー(資本家階級)は、他の国の支配階級とくらべてもずいぶん野蛮で乱暴なところがありました。ですから普通選挙権を採用しても、自分たちにつごうが悪くなるとすぐにやめてしまうという歴史がくりかえされました。三つの革命を通してこれが確立しました。
まずフランス大革命です。一七八九年にはじまったこの大革命のなかで、一七九二年に史上最初の普通選挙にもとづく議員が選ばれ、国民公会が創設されましたが(第一共和政)、普通選挙権はわずかの期間で廃止されてしまいました。
つぎにおこった大きな革命の激動は、一八四八年二月にフランスで火蓋がきられたヨーロッパ革命です。この革命のなかで、半世紀ぶりにフランスでも普通選挙権が復活するのですが(第二共和政)、これも支配する側のつごうが悪くなってしまうと、すぐに廃止になりました。
つづいて一八七一年に、パリ・コミューン――パリの労働者たちが圧政に抗して革命にたちあがり、コミューン=共同体がうちたてられました。これも弾圧によって、血の海のなかに鎮圧され、破壊されるわけですが、この鎮圧のなかで三回目の普通選挙制が実施されました。ですからフランスの人から見ると、普通選挙制は、弾圧がつきまとっているために、最初はあまり歓迎されたものではなかったようです。
しかし、この制度は、一八七五年に第三共和国憲法が制定され、一八七六年に普通選挙制にもとづく最初の総選挙がおこなわれるなかで、しだいに定着していきました(第三共和政の確立)。
結局フランスでは、フランス大革命、一八四八年の革命、パリ・コミューン、この三つの革命をへて、紆余曲折はありながらも、人民、民衆のたたかいによって、この制度が定着していきました。女性をふくめた普通選挙権は一九四五年のことでした。
日本はどうかといいますと、日本にもたたかいの歴史はあります。一八七〇年代から八〇年代にかけて自由民権運動が全国各地で起こりました。「国会を開設せよ」という要求がおこりました。なかには、「人民に人権を与えよ」という要求――国民主権の主張も、すすんだ論者のなかから生まれました。この運動は、迫害と弾圧を受けましたが、天皇制政府の側も一定の譲歩をして、一八八九年には帝国議会をつくることになりました。
その後も、普通選挙権をめざす運動はつづけられます。日本共産党も、一九二二年に創立した直後の綱領草案では「君主制の廃止」「一八歳以上のすべての男女にたいする普通選挙権」をかかげています。しかし、日本の場合は、普通選挙制の導入は、ひじょうに暗い歴史と結びついています。日本で、男子の普通選挙権が実現したのは、一九二五年のことですが、その同じ年に天下の悪法といわれた治安維持法が強行されています。天皇制に反対する者はみんな牢獄に入れる。最高刑は死刑(その後の改悪で)という天下の悪法と抱き合わせで、普通選挙権が実現した。国民の自由のないところに、まともな議会はありえません。とても議会制民主主義などとよべる制度ではありませんでした。そういう不幸な歴史をもっています。
日本で議会制民主主義が、制度的に確立したといえるのは、おびただしい戦争の犠牲をへて、一九四六年に制定された日本国憲法で、国民主権が確立し、男女ふくめた普通選挙権が明記されて以降のことだと思います。
各国をざっとみてきましたが、私がいいたいのは、議会制民主主義は、民衆の運動、人民の運動、国民の運動、そのなかから、人々の要求で生み出され、つくり出されてきた。こういう歴史をもっているということです。そういう意味では、この制度は、人類が生み出した偉大な歴史的英知の一つだと考えています。
ですから、私たちは、現実の議会制民主主義にいろいろな問題点があっても、その問題点をただしてその民主的発展につとめ、社会の発展の今後のどの段階でも、議会制民主主義を逆流から守って、豊かに発展させていくことが大事だと考えています。国民のたたかい、市民のたたかいによって、この人類が生み出した財産を守り育ててほしいというのが、私の思いです。
それでは、日本の議会制民主主義の現状はどうなっているでしょうか。私は、国会で仕事をしていますが、日本の議会制民主主義の現状をみますと問題だらけです。現場でいろいろと仕事をしていて、三つぐらい大きな問題点を感じています。
第一に、国民をきちんと代表しているかという問題です。つまり国民の民意を反映する議会となっているかという問題です。
この点では、現在の制度には、国民の民意を国会に反映させることを妨げる、いろいろな党略的な仕掛けがあります。まず小選挙区制がそうです。一つの選挙区で一人しか当選しないわけですから、大政党が少数の得票でも、圧倒的多数を占めてしまう。こういうゆがみが起こります。企業献金もそうです。企業献金は、結局国民の代表者ではなく、企業の代表者を国会に送り込んでしまいます。政党助成金もそうです。三〇〇億円もの政党助成金が各党で山分けされています。私たちは受け取っていませんが、これも国民の民意をゆがめる働きをします。
私たちは、政党助成金は、自分が支持していない政党にも、税金が分け取りされるという点で、憲法にしるされた思想・信条の自由をふみつけにする、違憲の制度だと考えています。この制度は、政党にとっては、国民のなかに財政の根をもたない、根無し草の“国営政党”をつくってしまうことになります。政党は、財政の問題でも、草の根で国民のみなさんに個人の寄付をお願いして、国民としっかり結びつき、国民に支えていただく。そうしてこそまともな政党といえるのではないでしょうか。政党助成金はそれをやらなくてすんでしまう。まさに“国営政党”です。「民間にできることは民間に」などといって、なんでも民営化をいっているのに、政党だけ“国営化”というのは、おかしいのではないでしょうか。私は、この制度は、撤廃すべきだと考えています。
第二は、国会できちんと審議が保障されているかという問題です。この点からも国会を点検してほしい。国会は立法府です。立法府である国会において、立法の主体は議員です。ところが、たとえば予算を伴う議案提案権は、衆議院では五一人以上の議員がいないと出せないのです。参議院でも二一人以上です。さきほど小田さんがいわれた被災者支援法などは予算を伴いますから、参議院でも二一人集めないとだめです。これはおかしな話で、たった一人でも、選挙で選ばれた議員であれば議員立法を提案する権利は与えられて当然だと、私は考えます。そんな制約はおかしいと思います。
それからもう一つ、そうやって議員立法のほうは縛っておいて、政府提出の法案はどうなっているかというと、異常なまでの成立率になっています。とくに一九九三年以降――いわゆる自民党単独政治が終わって「連立の時代」になってからがひどいのです。この時代には、日本共産党以外は、みんな与党に入ったり出たりという政治になりました。そのために、国会の審議が空洞化していくのです。
政府が提出した法律の成立の率を計算してみましたら、九三年以降、九八・六%です。提出したらほとんど全部が通る。しかも審議時間がほんとうに短い。自衛隊の海外派兵を最初に決めた法律は、PKO(国連平和維持活動)協力法でした。あの時は三国会、一五九時間の審議をしました。今度はテロの問題で自衛隊を海外に派兵する法律をつくりました。たった五九時間です。しかも同時にPKO法の改定もやりました。これは、たったの二二時間です。数の力が国会を支配しています。
第三に、行政監督権が保障されていないことです。国会は、憲法で、「国権の最高機関」と決まっています。行政府やそのもとにある官僚機構を監督する権限があります。ところが、私たちがいろいろと国会の場で事実を明らかにするよう求めても、政府も役所もなかなかほんとうのものは出さない。なんだかんだと理屈をこねて出さない。
一つだけいいましょう。「機密費」という問題が大問題になりました。内閣官房とか外務省で何に使っているかわからないお金が、何十億円もあることが問題になりました。私は、今年(二〇〇一年)はじめの国会で、この「機密費」がどう使われているかを、内閣官房の内部文書を手に入れて、国会の予算委員会で追及しました。たとえば、「野党対策」などに党略的に流用されている。それから、法をやぶって、外務省から内閣官房への「上納システム」があるなど、すべてが書いてある文書を予算委員会で配りました。しかし、政府は、「知らぬ存ぜぬ」です。そこで、私たちは、この文書を書いた人の筆跡鑑定までおこなって追及しました。筆跡鑑定人に詳しい鑑定をやってもらいました。そうしたらこれを書いた人がはっきりとわかりました。いまの官房副長官をやっている人です。筆跡というのは変わらないものです。「一〇〇%間違いない」というのが、筆跡鑑定人の結論でした。ところが、それだけ事実がつきつけられても、真実をいいません。
「機密費」問題一つとっても、「知らぬ存ぜぬ」をくり返す。財務大臣をやっている人は、テレビでは「機密費」の実態を生々しく語りました。ところが国会で聞かれたら、「忘れてしまいました」(笑い)と答えたでしょう。やくみつるさんの漫画が、「朝日新聞」に出ていました。強烈な風刺の漫画です。「君の名は 塩川正十郎」。「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ去らずして、忘却を装う、心のやましさよ」(笑い)という痛烈なことが書いてありました。そのくらい批判をあびても事実をいわないのです。
ぜひ現在の国会を、この三つの角度から、批判の目で見てほしい。きちんと国民の代表の機関になっているか。きちんとした民主的審議が保障されているか。行政の監督の権限がきちんと保障されているか。私はそういう点で、現在の日本の議会制民主主義は、大変な問題点をかかえていると思います。しかしだからといって、これの改革をあきらめたら日本の政治はまともにできません。ぜひ若いみなさんに、そういう実態を変えるための力を貸してほしい。これが私の気持ちです。
つぎに議会制民主主義と、国民の運動、市民の運動のかかわりについて、私が考えていることをお話ししたいと思います。
私たちは議会制民主主義を非常に重視しています。政治の現状を告発する。あるいは国民の要望に即して政治を改善、改革する。さらには民主的政権をつくる。いろいろな意味で議会は大事です。
同時に、議会活動だけからものをみるという立場はとっていません。議会活動とは、あくまでも国民の運動、市民の運動、民衆の運動の全体のなかの、大事ではあっても一部分だと考えています。
だからたとえ議会のなかでの力関係では可能であっても、国民の多数が強く反対することは、政権党といえども簡単にはできません。憲法九条の改定がそうです。憲法九条を取り払いたいと思っている国会議員は、おそらくアンケートをとったら三分の二を超えると思います。国会はそこまできています。しかし改憲案をすぐに出せません。出そうとしていますが出せません。やはりこれを出したら、つぎに国民投票が待っている。それに勝つ自信がまだありません。ですから、最終的に物事を決めるのは、国民の運動、民衆の運動、市民の運動なのです。
その土台のうえに、力を合わせて議会活動をすすめるというのが、国民・市民運動と議会の活動にかんする、私たちの基本的立場です。私たちは、これを人民的議会主義と呼んでいます。議会活動をおおいに重視するが、議会のなかからだけものごとをみるという考え方をとらないのが、私たちの立場です。
小田実さんとの出会いについて、さきほど小田さんからお話があったので、私なりの思いをお話しします。
阪神・淡路大震災が、一九九五年に起こりました。小田さんは現場で苦闘されました。私は、住んでいるのは千葉県ですが、何度も現地を訪れました。阪神・淡路大震災では、被災者の個人補償が大きな問題になりました。住宅をなくした人、住宅が壊れた人、ローン地獄で苦しんでいる人をどうするかが問題になりました。小田さんと私が初めて会ったのは、九六年九月だったと思います。そして一一月に小田さんが個人補償の法案を超党派の「市民=議員立法」としてすすめたいと、国会に訪ねてこられました。
実は、その二日前に、私は神戸にうかがっていました。震災後約二年たった時点での現状についてうかがって、私どもの独自の被災者支援法案を現地で提案していたところでした。そこに小田さんが訪ねてこられた。小田さんのほうの案を見せていただいたらほとんど内容が同じでした。全壊の場合は五〇〇万円の補償、半壊は二五〇万円、金額まで同じでした。別に相談したわけではないのですが、ほとんど一緒でした。
部分的にはいろいろな違いもありましたが、共同のとりくみに参加しようと、私もその一人にくわえてもらいました。小田さんは非常に熱意をもってがんばりました。何しろあの迫力満点の顔でしょう(笑い)。他党も、小田さんにいわれますと、動かされました。私も、私なりに力をつくしました。
そのなかで、たいへん不十分な法律ですが、それまで公的支援をしないといい続けてきた政府に、ともかくも「被災者生活再建支援法」というのをつくらせました。一つ穴を開けたという一歩をすすめました。その後もまともな法律にしようと、私は、何回か小田さんとお会いして共同のとりくみを続けてきました。私は、この共同を大事にしていきたいと強く願っています。
私は、議会に席をおく者と、市民の運動と、両者が力をあわせて、新しい議会制民主主義、国民主権の前進をつくりだすために、ともに知恵を合わせて探求してみたいという思いでいます。
そこでもう少し話をすすめて、政党と市民運動の関係について、私たちがどう考えているのかにすすみたいと思います。
一致点を大切にして、共通の目的の達成のために、対等の立場で共同を
私たちの立場は、一致点を大事にして、共通の目的の達成のため、共同の意思があるみなさんと、「対等な立場」に立って闊達に共同をはかりたい、というのが基本的な立場です。これが私たちの原理・原則です。
ここで、「対等の立場」ということが、たいへん大事だと、私は思っています。「対等の立場」とは、つまり上下の関係は一切ないということです。同じ目線の関係だということです。政党の側が「上」に立って押しつけることは、私たちはしません。同時に、市民運動の側も「上」に立って押しつけることはしないことが大事だと思います。
政党と市民運動には、それぞれの役割の違いがあると、私は思っています。ですからそれをお互いに認めあう。これも大事だと思っています。
そして共通の目的の達成のために、お互いによく相談をして、互いの立場を柔軟に調整することも、たいへんに大事なことだと思っています。そうしてこそ運動も気持ちよく合理的にすすみます。
いろいろな経験がありますが、小田さんとの共同の経験では、非常に気持ちのいい関係で事がすすむことができたと、私は思っています。小田さんがもってこられた立法の提案を思い起こしてみても、私たちの提案とは部分的な違いがありました。しかし大局の方向で一致があり、しかも五〇〇万円、二五〇万円と金額まで一致しているのですから、党の独自案にこだわらず、もっとも多くの方々の賛同がえられ、実現に道が開かれることを何よりも重視して共同をはかるという立場で、私たちは行動しました。
もう一ついいますと、徳島での吉野川可動堰での住民運動のとりくみの経験です。無駄かつ有害な公共事業ということで大問題になっている可動堰です。あの問題で、住民投票を実施しようという運動が起こりました。私たちも地元の市議団、県議団が一緒になってとりくみました。市民運動のみなさんもがんばった。この運動は、まさに澎湃として起こりました。
しかし、“さる党”が「住民投票は賛成だ」といいながら、その実施に困難を持ち込む提案をしてきたのです。どういう提案かというと、いつ実施するかを書いていないのです。そうすると、たいがい棚ざらしにされる危険があるのです。もう一つは投票率が五〇%以上というハードルが書いてあるのです。普通の選挙でも、そこまでいかない選挙が結構ありますから、これはなかなかきついハードルです。
この二つのかなりきついハードルを設けたものを、“さる党”が出してきたのです。日本共産党を含む三つの市議会の会派も、市民運動のみなさんも、“これは変えてくれ”と“さる党”に迫りました。しかし“さる党”はかたくなな態度をとり続けた。これでは条例が否決されてしまう。市民運動のみなさんは、“さる党”の案に賛成してでも条例をまず通そうという動きになりました。日本共産党の議員団は、市民運動のみなさんがそこまで決断したのであれば、必要な確認書を交わして、この案に賛成して住民投票を実現させようと判断をしました。そこで条例が可決されました。みんなが乗っかってきてしまったので、“さる党”は青ざめました。自分で出している案なので、賛成しないわけにいかなくなり、賛成多数になって条例になりました。
実際に投票になると、今度はボイコットが起きましたが、それをはねのけて徳島の住民のみなさんは、見事に難関をクリアーして、投票率五五%で住民投票を成功させ、九〇%が可動堰反対の意思をしめしました。はっきり審判を下しました。あの運動をとおしても、私たちはずいぶんいろいろなものを学びました。
「対等の立場」と私はいいましたが、そのことに加えて、私たちの党について、一つだけ説明しておきたいことがあります。
私たちは、二〇〇〇年の日本共産党第二二回大会で規約を改正し、「前衛党」という規定を削除しました。この規定にこめてきた私たちの思いは、いろいろな社会の不合理に対して不屈にたたかう、先をよく見越してたたかおうというものですが、「前衛党」という言葉が誤解されるのです。「前衛」があれば「後衛」もあり、「前」があれば「後」があると、何か上下関係を連想させる。そのように誤解される言葉はとろうと提案をして、この言葉にこめてきた私たちの思いはしっかりとひきつぎながら、「前衛党」という言葉は削除しました。
私たちは、社会発展の促進のために奮闘することを自分たちの責任だと考えていますが、それは自分自身に課している努力目標であって、あれこれの特別の立場を、運動のなかで他の人々や他の団体に求めるという立場はとりません。
そういう立場で、闊達に、国民の運動、市民の運動と連帯をはかっていきたい。これが私たちの気持ちです。
この問題にかかわって、もう一つ考えてみるべき問題があります。
議会制(代議制)民主主義と、直接民主主義との関係が、私は現代の日本でも新しい問題になっていると思います。いろいろな角度から、この課題を考えてみる必要があると思います。
私は、議会制民主主義に基本をおき、その民主的発展に努力しながら、直接民主主義の精神をできるだけ取り入れるように、いろいろな探求をやっていきたい。
とくに地方政治には、その探求の可能性が大いにあると思っています。
地方自治体の住民には、たとえば条例をつくったりなくしたりすることを請求する権利が、直接民主主義の権利としてあります。事務の監査請求権もあります。議会の解散請求権もあります。議員や首長のリコール権もあります。このように直接民主主義の制度が、地方自治体の仕組みのなかにはずいぶんとあります。これらを活発に活用した運動が必要だと私たちは考えています。
そのうえで私は、住民投票の運動は、たいへん大きな発展の可能性をもっていると考えています。実際この間、住民投票はめざましい役割を果たしています。沖縄の基地問題、新潟県巻町の原発問題、新潟県刈羽村のプルサーマルの問題、各地の産業廃棄物の処理施設の問題、さきほどの吉野川可動堰の問題など、住民の判断が問われる重大問題で、住民投票がおこなわれ、いろいろな積極的役割を果たしています。
いろいろなケースがありますが、一つは、代議制民主主義がまともに機能しなくなったとき、つまり議会が、住民の意思をおよそ無視して暴走したとき、それにストップをかけるということで住民投票がおこなわれる。
もう一つは、国がその地方に対して、たとえば原発の問題でも、基地の問題でも、無理無体を強いてきたときに声をあげるという意味で、住民投票の運動が起こっているケースがあります。
ただ現状では、議会が条例を否決してしまえば、つまり住民投票条例が制定されなければ、投票を実施できません。私が調べてみますと、一九七九年以降、一四九の自治体で、住民投票の提案・提起がいろいろなかたちで起こされています。主に住民側から起こされているのです。ところが、条例が可決されたのはそのうち二七です。ごく一部でしょう。しかも、そのうち住民投票にまでこぎつけたのは一三です。ただ住民投票までこぎつけた場合は、ほとんどすべてが住民投票をおこした住民側の勝利になっています。
ですから私たちは、地域や住民生活に重大な影響を及ぼす問題について、住民が直接に意思を表明する機会を安定的に保障するために、住民投票を法制化することを提案しています。いちいち条例をつくらなくても、必要な一定の条件を満たせば住民投票ができる法制化が必要ではないか。そのことを、この場でもみなさんに提案したいと思います。ぜひ力を合わせて、実現をはかろうではありませんか。
さて、この問題にかかわって、もう一つ、みなさんに考えてほしい問題があります。それは、政党のあり方にもいろいろあるということです。
議員が主人公で、その集合体としての政党
政党のなかには、議員が主体で、その議員を中心に、さまざまな組織が議員を支援する、“議員中心党”とも呼ぶべき政党もあります。どこどことはいいませんが、主人公はあくまで議員です。政党は議員の集合体です。
くわえて、そういう政党のなかでは、議員を支援する組織も、必ずしも政党の自前の組織でない、他の組織に代行させている場合が多いのです。たとえば企業・団体が応援していたり、業界団体を締めつけて応援させる政党もあります。代行していると思ったら幽霊党員だった場合もあるでしょう。KSD問題では、そもそも党員も、さらに党組織がまるごと幽霊だったと、ずいぶん問題になりました。宗教組織が代行している政党もあります。労働組合が代行している政党もある。
しかし、そうではない政党もあります。私たちの党についていいますと、私たちの党は、草の根で国民のみなさんと結びついている支部という組織をもっています。全国に約二万六〇〇〇あります。私たちの合言葉は「支部が主役」です。
国民に責任を負う政党であるかぎり、民主的な討論をつくして方針を決め、決めた方針はみんなで実行するという民主集中制という原則が、私はあたり前の基本だと思っています。同時にこれは、私たちの党についていいますと、上意下達ではありません。これも実はこの前の規約の改定で、規約のなかにあった「上級」「下級」という言葉をとりました。「上」「下」という言葉は基本的になくしました。私たちの党のなかには、「上」と「下」という概念はありません。あるのは仕事の分担です。私は委員長をしていますが、委員長という仕事を分担している。私の父は居住支部の支部長をしています。これも仕事を分担している。このあいだにもちろん、親子の上下関係もありませんが、党としての上下関係もありません。あるのは仕事の分担です。それぞれの立場で、役割をはたすということです。そして私たちは、中央委員会は支部の経験に学ぶ、支部も中央の決定に学ぶというように、双方向の政党の運営を心がけています。もちろん、これは政党の内部のあり方の問題であって、他の政党にこういう政党のあり方を押しつけるつもりはありません。しかし、少なくとも私たちはそういう政党のあり方をとっています。
そして、さきほども住民運動、市民運動、国民運動のみなさんと、「対等の立場」で、上下の隔てなく協力していくことが私たちの方針だといいましたが、そういう「支部が主役」で双方向で学びあうような政党になってこそ、多くの国民のみなさんとの広い「対等の立場」での共同も可能になってくるのではないかと考えています。
世界を見渡してみますと、欧州では草の根に基盤をもった政党も少なくありません。もちろん、私たちとでは政治的な立場の違いはあります。しかし、たとえば社会民主主義政党、あるいは保守政党もふくめて、かなり個人の党員を持って、しっかりと草の根に根をはって活動している政党があります。
それらとくらべても日本の政党政治は、全体として“議員中心党”的な欠陥をもっているのではないか、かなり問題点をもっているのではないかと思うのです。
立場はそれぞれでも、国民主権をおおもとの立場とするかぎり、国民のなかにしっかり根をはって、国民が主役になるような政党をつくってこそ、その思いを国政に反映させることができるのではないか。
ここに近代政党のあたり前のあるべき姿、あるべき役割があると私は考えています。
議会制民主主義について、私の考えを、いろいろな角度からお話ししました。この制度は各国の国民がたたかいのなかで生みだした制度だということ、日本の議会制民主主義の現状、国民運動・市民運動とのかかわりなどについての私の考えもいいました。
最後に、私からのみなさんへのメッセージとしてのべたいのは、議会制民主主義を生かすも、殺すも、国民の運動、民衆の運動、市民の運動しだいだということです。
議会制民主主義の制度のもとで恐るべきファシズムが生まれた経験もあります。第一次世界大戦後、この大戦の敗戦国となったドイツでは、ワイマール共和国とよばれた体制がつくられました。世界でも民主主義の制度としては、一番すすんだ議会制民主主義の共和国といわれていました。そのドイツで、ナチスが政権をにぎった。
もちろんナチスは、政権を手に入れるために、暴力や謀略も行使しました。しかし国民の多数の支持をえて、ヒトラーが政権についたということも事実です。議会制民主主義のもとでファシズムを生んでしまったこともあるのです。
私は、若いみなさんに訴えたいのは、世の中で「あたり前」といわれていることも、自分の頭、目と耳と足でたしかめて、判断してほしいということです。そうしなければ、かつての歴史のように、議会制民主主義というものが、一時的であれ、歴史の前進を逆転させ、歴史に逆流を持ち込むことにつながることもありうることになります。
もちろん、歴史は無為に流れているわけでない。二一世紀の未来が、暗いものだとは私は決して考えません。ただ、歴史から教訓を学ぶことが、有益であることも、まちがいないことでしょう。
世界では、この間、テロと報復戦争という激動がありました。テロを根絶したいというのは世界の共通した思いです。これに反対する人はいません。しかしそこから「報復戦争は当然だ」という声だけが洪水のように流されました。タリバン政権が軍事的に粉砕されると、今度は「アメリカがアフガンを解放した」という声が洪水のように流されました。「アフガンの国民はみんな喜び、女性は解放された」「アメリカが戦争をやったからこそ、それが成し遂げられたのだ」というわけです。
私たちはこの問題に対して、軍事報復という対応をすべきではない。国連中心の告発と制裁と裁きを理性的に追求する必要があることを訴えましたが、それとは違う方向にいきました。世界では、「テロも戦争も反対」という声もずいぶん起こりました。いまも広がっていますが、なかなか報道されません。
現在も事態は動いていますが、米軍の報復戦争がもたらしたものはなんだったか。冷静にふり返ってみるならば、二つの大きな事実が確認できるし、いまの時点で国際社会がしっかり確認するべきだと、私は考えています。
第一は、罪のないおびただしいアフガンの市民が犠牲になったという事実です。その数は正確にはわかりません。数千人かもわからない。わからないというところが恐ろしいのです。テロの容疑者が、その国のどこかにいるというだけで、タリバンとも関係のない、ビンラディンとも関係のない、罪のない民間人を数千という規模で犠牲にする権利は、どの国にも与えられていません。
ニューヨークでの犠牲者に対する追悼はくり返されました。私たちも追悼の行事に参加しました。しかし米国からアフガンの民間人の犠牲者への追悼と謝罪はあったでしょうか。ほとんど聞こえてきません。せいぜい「遺憾である」などの官僚用語が使われるだけです。「やむをえない犠牲だ」ともいわれました。冷酷な言葉だけです。
クラスター爆弾という爆弾が、今になって問題になっています。これを一つ落とすと、空中で割れて二〇〇個もの子爆弾に分かれて、無差別に殺戮します。しかもこれは、非常に始末が悪くて、不発弾が残ります。一〇%とか一五%が不発弾になって残ります。何千個、何万個の不発弾が、将来にわたってアフガンの子どもや女性や市民を傷つけ続けるわけです。このクラスター爆弾をまいておいて、アメリカはそれを自分で撤収しようともしないではないですか。
それからこんな事件もありました。数百人のタリバンが捕虜になって、収容所に入れられた。そこで暴動が起こったという理由で、米軍と北部同盟が一緒になって、ほとんど全員を殺してしまった。空爆と銃撃で殺したというのです。この疑惑は、きちんと究明されるべきです。捕虜にした者を殺してはいけないことは、ジュネーブ条約などのさまざまな国際法で決まっています。タリバンであろうとなんであろうと、捕虜というものは、人権が守られなければなりません。私は、これも曖昧にされてはならないと思います。こうした殺戮が、新しい憎しみをもたらして、新たなテロの温床にならないと誰がいえるでしょうか。みんな家族もあります。子どももある。そういう人たちが、どれだけの規模で殺されているかわからないのです。
これをあまり伝えない日本のマスコミは問題だと思います。欧州のマスコミは日本にくらべれば伝えています。アラブのマスコミはもっとたくさん伝えています。
たとえば、イギリスに「インディペンデント」という新聞があります。「村は破壊された。そしてアメリカは何も起きなかったと主張する」という非常に痛烈な批判の記事を書いています。
アメリカに「ボストングローブ」という新聞があります。「この戦争は正義でない」という論評を出しました。「米国政府は、戦争地帯で何が起こったのかほとんど公表してこなかった。立ち入りは制限され、盲目的な愛国心で目を曇らされているジャーナリストたちが明らかにしたことはもっと少ない。軍部の外にいながら、呑気にもこの戦争は『正義』だとみなしている者たちのどれだけ多くが、実際に起こっていることを知っているのか」といっています。
アラブの有力紙には、すごい風刺が載っていました。破壊されたニューヨークのツインタワーと同じ形に積み上げられた髑髏の風刺画を掲載したのです。アラブの人々のなかに深い悲しみ、憎しみを残したことを、この風刺画は語っています。
アメリカの軍事攻撃によって無実のアフガンの人たちがどれだけ犠牲になったのか。私はこれは、国際社会が絶対に曖昧にせずに、きちんと事実・真実を全世界に明らかにしなければならない問題ではないかと思います。
第二に、もう一つ問題がある。今度のテロに対する軍事報復というやり方が、“テロへの対抗を看板にすれば何でも許される”という無法を、国際社会に持ち込んでいることです。ブッシュ大統領は、イラクなどへ攻撃を広げることを再三示唆しています。スーダン、ソマリア、イエメンなどの名前もあがっています。
アフガンへの攻撃も、国連による告発と制裁がとられないまま、一部の国が勝手に起こしたという深刻な問題点をもったものでしたが、他の国に軍事攻撃を拡大するとなれば、これははっきりとした侵略戦争、干渉戦争になります。世界をまきこんだ大戦争になります。この点では、いま非常に重大な歴史的な瞬間だと思います。
アメリカのハンプシャー大学に、マイケル・クレアさんという教授がいます。私たちともよく接触があるこの方も、「いま歴史的瞬間だ」と訴えています。「アメリカがビンラディンを捕まえた。あるいは殺害した。そのあとにブッシュ大統領はなんというのか。『これでわれわれの任務は完了した』というのか。それとも全世界に向かって『これからいよいよ戦争は重大な局面を迎えた』というのか。非常に大きなわかれ道である」と。
私は、戦争の拡大ということになったら、甚大な新たな犠牲者がつくられ、世界に国際法というものがなくなる無法がもちこまれ、テロを根絶するどころか新たなテロの根を全世界にまき散らす――そういう結果を招くと思います。
もう一つ注目してほしい動きが、イスラエルの政府の動きです。イスラエルの政権が、「テロをかばう者は同罪」というブッシュ大統領の乱暴な論理に便乗して、パレスチナ自治政府を「テロ支援団体」と決めつけ、アラファト議長と「断絶」することを一方的に宣言して、大規模な軍事攻撃という無法にのりだしています。これは許されないことです。もちろんパレスチナの一部の過激派がおこなっているテロに、私たちは反対です。この立場は変わりません。しかし、自治政府のなかの一部にテロリストがいることで、自治政府全体をひっくり返すというのは無法そのものです。こんなことをしたら、一九九三年のオスロ合意以来の中東和平の努力を、すべてぶち壊すことになります。このイスラエルの火事場泥棒的な暴走を許してはならないと思います。
こうしたことがどうして起こってしまうかといえば、イスラエルの首相が、ブッシュ大統領の論理をそのまま乱暴に拡大して使っているからです。私は、無法が法にとってかわるときこそ、テロリストが「勝利」の凱歌をあげるときだと思います。“テロへの対抗を看板にすればなんでも許される”という無法を、国際社会にもちこむことは、絶対に許さない。その努力が大事ではないでしょうか。この点でも歴史的瞬間だと思います。
そう考えますと、日本政府がやっていることは実におかしいことです。浮かれたように参戦法案を通し、米軍の支援におもむきました。ブッシュ大統領からお褒めの言葉をいただき、「偉大な民主主義国家の地位にふさわしい新たな軍事的役割を引き受けはじめている」と礼賛されました。しかし、日本が自衛隊を派兵することで失ったもの、失おうとしているものははかりしれないと思います。
私たちの党はパキスタンに調査団を出しました。そうしましたら、中東の人々がみんな日本に対して親愛の感情をもっていることがわかりました。パキスタンのプロフェッショナル・フォーラムという知識人の集まりと、私たちの党の緒方靖夫さん(参院議員・党国際局長)が懇談しましたが、こういう声が出てきました。「日本が自衛隊を派遣することは間違っている。日本はこの地域ではどこの国からも、どの民族からも憎まれたことはない。派兵は、日本が紛争にかかわり、友人でなくなることを意味する。日本には軍隊をもたないという憲法があるのだから、その方向に沿って役割を果たしてほしい」というのです。考えてみるとそのとおりです。
かつて日本は、中国を侵略しました。朝鮮を植民地にしました。東南アジアまで侵略しました。しかし幸いなことに、中東までは侵略戦争の足をのばすことはありませんでした。戦後も、憲法九条があったおかげで、中東への軍事介入には日本は参加していません。だから中東の人々には、日本という国は「平和な国」だと思われています。憲法九条のある国――「戦争をしない国」だと思われています。これこそ財産ではないでしょうか。
私は、そういう国だったら、さきほどのべたパレスチナ問題でも、この問題の本当に道理ある和平のために、外交での努力をする余地は、日本にこそあると思います。そういう努力をこそやるべきだと思います。それをやらないで兵隊を出せば、せっかくあった信頼まで丸つぶれではないですか。
こういう問題もふくめて、テロ、報復戦争、日本の参戦について、ふり返ってそのもつ意味を考え、今後の道も考える重大な節目にきているのではないでしょうか。若いみなさんに、いろいろな角度から、ぜひこの問題を考え、行動してほしいと思います。
今日は「議会制民主主義」がテーマでした。私は、これを平和のために生かすことも、戦争に利用することも、国民しだいだと思っています。とくに若いみなさんしだいだと思っています。私は二一世紀を決して暗い世紀だと思っていません。暴力や不正の支配する世紀になるとは思いません。
二〇世紀をふり返ってみても、一〇〇年の単位でみたら、民主主義、民族の独立、平和、あらゆる面で、人類は大きな進歩、巨大な進歩を遂げています。二つの世界大戦という甚大な犠牲をはらいながら、この進歩はなし遂げられました。歴史はジグザグだけれども、やはり前にすすみます。そして、歴史をつくるのは人間であり、それを前にすすめるのは、人間のたたかいです。
二〇世紀に人類がなし遂げた進歩にてらすならば、未来は大いにのぞみがあります。前途に希望をもって、二一世紀を私たちは生きたいと思います。
平和の問題だけではない。リストラの名でどんどん生首を切っていくという現実もあるでしょう。お年よりが、医療でも、介護でも、年金でも、将来に不安をかかえている現実もあるでしょう。これらの現実が、あたかもやむをえないことであるかのように、いわれているということもあります。
いろいろな問題で、世の中では「あたり前」のようにいわれているが、不合理や不正義はあるのです。それをぜひ、しっかり若いみなさんが見抜いて、自分の問題として考えて行動してほしい。不正義と不合理が社会でおこなわれたら、社会の側から、民衆の側から強烈な反撃が起こっていく、そういう二一世紀の日本をつくりたいと私は思っています。
ご清聴ありがとうございました。(拍手)
(しい・かずお)
聴講生 日本共産党が近代政党であることや、綱領として一貫性をもっていることに関しては非常に敬意を払っています。三つ質問したいと思います。
一点目は、政党と市民運動の関係がうまくいった例を吉野川の可動堰の問題や巻町の原発問題で話されましたが、うまくいかなかった例がもしあったら教えてください。そしてうまくいかなかった例から共産党が学んだことや、市民運動の限界ではないかという点があれば、聞かせてください。うまくいかなかった例を考えることが、政党と市民運動の関係をよりはっきりさせるために有意義だと思います。
二番目の質問は、若干私の価値観が入ってくるかもしれません。これから政党の再編の問題があるだろうと思います。私は、民主党や自由党は「ゆ党」だと思っています。野(や)党と与(よ)党の中間にある「ゆ党」という意味です。社民党と提携していくとすれば、その際の共産党の立場がどういうものになるのか、それをお聞きしたいと思います。
三番目に、志位さんは東大在学中にたぶん運動の現場におられたと思うのですが、「働きかけ」と「押しつけ」の問題が最後に残るだろうと思います。運動することは、ある種、働きかけることで、やはり啓蒙性がどうしてもある。ただ、いまの若い人は特に「働きかけ」をすぐ「押しつけ」と思ってしまうという側面があるような気がします。そうすると運動に対する忌避感にもつながってくる。実際の現場の経験から、「働きかけ」と「押しつけ」の難しさをリアルに語ってもらえたらと思います。
志位 うまくいかなかった例という話ですけれども、個々にはいろいろありますね。私たちの側の未熟さから、うまくいかなかった場合もあります。それは、個々にいろんな反省点をもっている場合もあります。
もう一方で、これは率直な話なのですけれども、市民運動のみなさんの側から、「共産党は引っ込んでおいてくれ」とか、「裏方に徹してくれ」ということを言われることが、一部にあるのです。こういうときには、共同の運動として発展させることがなかなか難しくなってくることもあるのです。さきほど「対等の立場で」ということを言ったのですけれど、「共産党はできるだけ前に出ないでくれ」というようなことを言われると、私たちの党の立場からすれば、私たちの党を支えてくれているたくさんの草の根の力があるわけですが、その力が発揮できません。私たちの支持者との関係でも、力が発揮できません。
私たちは政党として、国政から、地方の問題まで、党として責任を自覚して活動しています。政党と市民運動には、それぞれの立場があり、役割の違いもあります。それをお互いに認めあって、一致点を大切にして、「対等の立場」での共同をすすめる努力が、お互いに必要ではないでしょうか。
それから他の政党との関係、とくに社民党との関係についてご質問がありました。日本共産党と社民党とでは、経済政策の基本などでずいぶん違いがあります。違う点については、率直な批判や論争もしていきたい。ただ、憲法九条の擁護では、一致点があります。今年(二〇〇一年)も五月三日の憲法記念日の集会を、日比谷公会堂でやったんですけれども、土井たか子さんと私と並んで、一五分ずつ訴えたんです。このときは、この共同にたいして、たいへんな期待が集まりました。加藤周一さんや澤地久枝さんも、一緒に訴えました。この集会は、始まる前から霞ヶ関のほうまでずうっと人が並ぶという大盛況で、入れなくてみなさんにご迷惑をかけたほどでした。何千人という人が集まった。外で聴いた人もくわえて約五千人。帰ってしまった人をふくめたら、もっとたくさんです。憲法の問題では、改悪反対という一致点があるし、これは大事にしていきたいと思っています。
それから「働きかけ」と「押しつけ」の関係についてですが、これはなかなか難しいことです。きょうの私の講義も、情報提供として聴いてもらったらいいと思っています。みなさんに対して、決して私の立場を押しつけて言ったつもりはありません。もし「押しつけ」だというふうにとられたとしたら、私のしゃべり方が未熟だったということになるかもしれません。
私は、若い人たちと接する場合に、まず情報を提供する。この情報というのが実に偏っているんですよ。それは共産党からみれば偏っているだろうという意見もあるかもしれないけれど、公正に見て偏っている問題があるんです。少なくとも共産党は、政権党にたいしてアンチテーゼを掲げている党ですから、その党がどういう情報、メッセージを発信しているかを見るのは、少なくとも対極にある意見を知るという意味では有益ではないかと思います。
私たちは、若い方と接する場合でも、国民のみなさんと接する場合でも、私たちの論理をただ押しつけているというふうにならないようにするために、できるだけ努力をしているつもりです。
真実を伝えていく、情報を提供する、国民が本当に望んでいる情報を提供する。そういう態度でのぞむということではないでしょうか。今日の講義も、一つの情報として、みなさんが考える素材として受け取っていただければ、それで十分であります。私の立場に対して、同意を求めるものではもちろんありません。ただ、こういう考え方をする人間もいるし、党もあるのだということを知ってもらいたい。そういうつもりできょうはお話をさせてもらいました。
聴講生 貴重な講演ありがとうございました。廃棄物問題や処理場の問題についてお話をうかがいたいと思っています。先日みんなで仕上げた論文で、「不法投棄問題」を取り上げました。千葉県の銚子市周辺です。それについてですが、市民という立場では、総論賛成、各論反対という部分があると思うのです。たとえば、処理施設が足りないからつくらなければいけないというのは理論としてわかっているけれども、自分のうちの近くに建てるのは嫌だという意見がどうしてもあると思うのです。志位さんもおそらくそういう現場に立たれて、そのような総論賛成、各論反対という立場に対するトレード・オフがあったと思います。そのへんに対するご意見をうかがえればと思います。
志位 廃棄物問題、その処理施設の問題には、いま言われたような問題がおこります。なかなか難しい問題ですね。
そのさいまず大切なことは、住民の合意のないところでは、ことは進まないということです。住民合意という原則は、きちんとまずつらぬかれなくてはならないと思います。そのためにも、行政の側は、施設の適切性や安全性などについて、責任をもった判断と情報の公開などをおこなうことが必要だと思います。それぬきに、一方的な上からの押しつけの計画はよくありません。全国のあちこちで、広域処理計画が持ち上がっていますが、この方式では住民の声がほとんど反映されないことが多いのです。住民の自覚、自発性、自治体が一体となった協力をどうつくりあげていくか。ここがまず肝心なことだと思います。
もう一つの原則は、廃棄物を出すものの責任です。それをきちんとおさえた解決方法をとらなくてはいけない。廃棄物を出すのは、もちろん私たちも出しますよね。私たち自身が、たとえばごみの分別に努めるということは必要でしょう。私の家なども生協に入っていますが、紙パックのリサイクルなど、できることはちゃんとやらなくてはならない。そういう個人の努力も必要なのだけれども、圧倒的にごみを出しているのはやっぱり企業、とくに大企業なのです。大企業に排出者の責任をしっかりはたさせていくことがたいへん重要だと思います。とくに産業廃棄物の処理は、排出者である企業が責任をもっておこなうべきであって、自治体などに押しつけるべきではない、税金をつかって処理施設をどんどんつくっていくというのはおかしい、というのが私たちの立場です。
ごみ問題を解決するには、ごみの内容をきちんと調べ、それにそくした解決方法をとるべきだろうと思います。そういう努力のなかで、住民の合意をいかにはかっていくかということだと思うのです。
千葉県でも海上町というところで産業廃棄物処理施設の反対運動がもちあがりましたが、そもそも企業の責任でやるべきものを、ただ押しつけてくるというやり方に対しては、これは住民から「ノー」の声が出るのは当然の結果だと思います。
聴講生 いまの問題も含めて、何か問題が起こったときに、現場にいって足で調べる議員というのは、いまどれくらいいるのかをお聞きしたいと思います。
志位 これはそういう「統計」をとったことがないから、わからないのですが、どうでしょうか。現場に行くといっても、ほんとうに苦しんでいる国民の声を聞くために現場に行くのではなくて、違う目的で行くような議員もいますからね。そういうこともあって、なかなか「統計」はとりづらいのですけれども。
私について言えば、どんな国会の質問をする場合でも、現場の人たちの声にたって、ということを大原則にやってきたつもりです。現場というのは、そこでまさにさまざまな熱い問題が生じている場ですから、その声ぬきには、国会での質疑はできません。
とくに、私が現場というときに、災害などの被災地は、重い意味をもっています。私も、何度か、国会で阪神・淡路大震災の問題を取り上げたことがありました。被災者の方々が、どういうたいへんな状況にあるのかということ、その空気を吸ってこなかったら、生きた質問はなかなかできません。被災者のことを考えているつもりでも、「痛みがわかっていない」というお叱りを受けることにもなります。
それから沖縄の問題です。沖縄にかんする質問をやるとき、沖縄の米軍基地、かつて沖縄で行われた戦争について、少なくともあの現場に立ってみて、どういう実態があるのかを知っておくことは、絶対に必要不可欠だと思います。たとえば米軍の嘉手納基地がおかれている嘉手納町とは、どういう状況にあるのか。嘉手納町は、町の面積の八三%が基地なんですよ。たった一七%のところに張りつくように住民が住んでいる。そういう現場を見ないで、そしてその現場のみなさんの心を聞かないで、およそ沖縄のことを国会で議論することは、できないと思います。私はできません。実態を知らないでとりあげるというのは恥ずかしいことであり、恐ろしくてできない。
ほんとうの意味で現場で困っている苦しみの声、嘆きの声、これは社会保障や医療の現場にだってある。介護の現場にだってある。労働者の働く企業の現場、中小企業の現場にだってある。それをくみあげて国会に届けるのが国会議員の仕事で、それをやらない国会議員は、私はあまり意味がないと思います。
他の党でもそういうことに対して真剣に、私たちと立場は違っていますが、やっている人もいます。そういう人も知っています。ただ、全体のことはわかりません。
聴講生 ご講義のなかで日本の議会制民主主義の現状と問題点をお話しになりましたが、この問題点に対する志位さん自身の働きかけ、またまわりでその問題点についてどのような動きがあるのか、お聞かせください。私たち自身もこうした問題については疑問があって、経済の分野でも、たとえば「既得権益」にがんじがらめになっている現状に対する疑問を感じています。それを私たちのレベルからどのように変えていくことができるか、お話を聞かせていただければと思います。
志位 国会の現状の問題点については、それぞれについて国会のなかで私たちは改善と改革のための働きかけをやっています。たとえば、選挙制度を民意の反映するものにすべきだ、あるいは審議をもっとしっかり保障すべきだ、あるいはもっと国民に情報を明らかにしなさい、こうした働きかけはやっています。ただ、国会というのは、正論とともに、数がものをいう世界です。そのなかで、議会をまともにしていくためには、国民のみなさんの後押しがどうしても必要です。
たとえば、「党首討論」があるでしょう。全体で時間は、たったの四〇分ですね。全体で四〇分だと、私は六分なんですよ。六分でまともな討論をするのはかなり至難の業です。しかも相手は、聞かれてもいないようなことも言いますしね。「党首討論」というからにはもっと時間をとって、たとえば、ゴールデンタイムにドーンと時間をとって、毎週必ずやるなどというようにすれば、ずいぶん国民のみなさんにも政治がみえやすくなるはずです。私たちは、もっと時間をといつもいっているのですが、相手は頑として四〇分、共産党は六分と、なかなか聞きませんね。議会はみなさんのものですから、ぜひみなさんから本当にまともな議会をつくれという声をあげてほしいなというふうに思います。
議会制民主主義というのは、さきほど言ったように、もとは人民、民衆のたたかいがつくったものです。もっとさかのぼれば、議会制民主主義ができるまえの議会だけれど、一番最初の議会は、王に勝手に徴税をさせないというところから起こっているのです。税金から最初の議会は起こっている。王による一方的な徴税の権利を縛るというところから起こった。いま税金の問題、消費税の問題とか、いろいろな税金の問題が問題になっています。経済の問題、税金の問題、暮らしの問題、そこから議会は起こっている。そういう切実な問題から、議会が民意をきちんと受け止められるものにするように、みなさんの運動を起こしてほしいなと思うのです。
さっき言いましたように、議会のなかだけでものをみない。できることはいっぱいありますよ。デモをやったっていい。集会をやったっていい。インターネットでいろいろやったっていい。いろいろなことができます。
海をこえてもできます。アメリカの高校生で、報復戦争に反対して、反戦Tシャツを着て頑張った女子生徒がいましたね。エールを送りたいですね。ああいう頑張りにエールを送りたい。それからアメリカの連邦議会で、民主党の議員だったけれど、一人だけ報復戦争に反対した人がいましたね。カリフォルニアの人です。ああいう理性の声にたいする連帯の動きを、若者が起こしてほしいな。そう思いますよ。
聴講生 素朴な質問なんですけれども、僕はべつに自民党の支持者ではありませんが、日本から米軍基地が仮になくなったら、だれが日本を侵略から守るのでしょうか。
志位 この質問に答える前提として、事実としていま日本にいる米軍で日本防衛の任務をもっている軍隊があるかどうか、調べてみてください。
在日米軍で最も数が多いのは海兵隊でしょう。四万七千人の在日米軍のうち二万六千人が海兵隊です。沖縄に海兵隊がいます。岩国にもいます。海兵隊というのは防衛の任務を与えられていませんよ。海外での戦争に殴り込む部隊なのです。
それから在日米軍の空軍はどうでしょう。嘉手納の空軍基地、それから青森の三沢基地にもいます。これがどういう部隊かというと、航空宇宙遠征軍というのを編成しているのです。つまり日本を根拠地にして世界中どこでも、空中給油機と戦闘機と爆撃機が一体になって、どこでも爆弾を落とせるような体制になっている。空軍も遠征軍なのです。
在日米軍の海軍はどうでしょう。横須賀を母港にしている空母機動部隊でしょう。空母というのは、今度のアフガン戦争をみたって、これも攻める一方の兵器でしょう。
そうすると、在日米軍は日本を守るためにいるんじゃない。日本を足場にして世界に出ていくために、世界に殴り込むための部隊なのです。これがなくなることは、日本がかえって安全になるということなのです。まず、なくなることが安全なのです。
日米安保条約を廃棄し、在日米軍には本国に帰ってもらって、そのうえでどうして日本を守るかということについては、そのときにすぐに自衛隊をなくすわけにいかないだろうと考えています。安保はなくしたいという人でも、自衛隊は必要だという考え方の人は多いですから。安保をなくして在日米軍がなくなるその段階で、自衛隊は抜本的に軍縮する。しかしこの自衛隊を解消する、憲法九条の完全実施の手続きをおこなうには、その先、一定の時間がかかるだろう。つまり、そのとき私たちが政権についていたとしますと、自衛隊と私たちの参加する政権が共存する期間というのがあるだろうというのが、私たちの見通しです。
こういう期間をつうじて、民主的政権が、憲法九条をいかした平和外交によって、日本のまわりの国、韓国、北朝鮮、中国、東南アジア諸国、アメリカ、ロシア、そういう国々と本当の平和・友好の関係をつくって、もう軍隊がなくても大丈夫、もう十分に日本の平和は大丈夫という、国民多数の合意が成立したところで自衛隊の解消をおこなう。これが私たちのプランです。二一世紀の世界、東アジアの条件をみれば、そういう合意が成立することは、おおいに可能だと考えています。
それでは自衛隊が過渡的に存在している期間に、もしも日本が侵略されるという事態が起こったらどうするか。これはほとんど想定できない理論的仮定なのですが、そのときの答えも私たちはこの前の大会で出しました。そのときは、そのときにあるすべての手段を使って抵抗する。その手段のなかから自衛隊を排除しない。自衛隊も活用するということです。
そういう方針を決めていますけれども、憲法九条の完全実施のために、うまずたゆまず努力する、軍縮をはかり、国民の合意で最後はなくしていくという立場で努力するというのが、私たちの考えなのです。